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【君の安らぎは何処にあるのか?】 #7
アビスオークは折れた柱を棍棒で打ちくだき、破片を飛ばしてきた。レイチェルはすかさず横に避けたが、敵は間髪入れず、追撃を蹴ってよこした。ゴブリンの首なし死体だった。
躱すのは容易なことだった。しかし敵の狙いをレイチェルは見誤った。首の切断面からまき散らされた血がレイチェルの顔にかかり、視界を一瞬だけ塞いだ。
「……!」
「オオオォォォ!!」
その一瞬の間に、アビスオークが迫った。
真横から棍棒が振り抜かれる。回避する動きがとれず、左腕を盾にして受けるしかなかった。
「んッ……ぐ……!」
衝撃が全身に伝わるよりも速く、レイチェルの躰は吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。ひびが蜘蛛の巣のように走った。
アビスオークがとどめを刺すために向かってくる。その上で用心深く、再びゴブリンの死体を蹴り飛ばしてくる。
レイチェルは痛みを忘れさせながら何とか躰を動かし、床へ転がる。飛んできた死体は壁にぶつかり、砕けた果実のように血と破片をまき散らした。
アビスオークが到達する前に走り出してその場を逃れる。さらに牽制のため、取れる範囲の武器を手当たり次第に投げつけた。命中することなど期待していない。とにかく敵を釘付けにし、自身は動き続けることに徹した。
「グウウゥゥー……コシャク……ッ」
アビスオークは苛立たし気に唸りながら、飛来するものを振り払った。頭部に飛んできた剣を盾で防ぐとき、死角が生じた。
レイチェルはあらぬ方向に斧を投げて注意を逸らしながら、自身は反対側へ走り、跳び、壁を蹴った。矢のような速度でアビスオークへ。
「グウウゥゥッ!」
アビスオークはその跳び蹴りを防げず、頸部にまともに受けた。その巨体が衝撃に後ずさり、砂埃の跡を引いた。だが大したダメージにはなっていない。
レイチェルは敵と向かい合う位置に着地した。
「GRRRRR……」
レイチェルは呼吸を整える。額に脂汗が流れた。無茶な動きをした反動だ。左腕を始めとして、何本かの骨が折れている。《白狼の祈り》は身体の治癒能力を限界以上に引き出すが、骨組織の再生はやや遅い。
わずかに稼いだ時間で、彼女は考える。
当初の予定では、盾をかいくぐって懐に潜り込み、死ぬまで殴りつけるつもりだった。しかし今の蹴りで、敵の肉体が想定以上に硬いことが分かった。片腕が折れた状態では、殺しきる前に反撃されるだろう。
腕が治癒するまで待つか。あるいは弱点を狙って突くか。どちらにせよ、手練れの敵を相手にその隙を作らねばならない。どうやる。奴が向かってくる……!
そのときだった。
「ぬううううん!」
力強い声とともに、バルドが天井の穴から降ってきた。
彼はレイチェルとアビスオークの間に割って入り、石床を踏みしめた。震動で巻き上げられた土などが彼のもとで《アースウォール》を築き、アビスオークの姿を隠した。
レイチェルはバルドと視線を合わせた。それから後ろを振り返った。弱々しい風を集めながら、ジルケが走ってきていた。
そして彼女は何をするべきかを決断した。
「ナメルナ……ニンゲン……!」
アビスオークは棍棒を横に振るい、《アースウォール》を紙切れのごとく破った。すかさず盾をかまえ、反撃に備える。
降ってきた男が殴りかかってくる。正面からではなく、棍棒を振りぬいた逆の側面から。予想通りだ。
「ナメルナト、イッタゾ!」
アビスオークは棍棒を振り戻した。男は棍棒を殴り返したが、当然、アビスオークが打ち勝った。
「ぬぐ……ッ!」
拳の骨が砕ける感触とともに、男の躰は吹っ飛んだ。
アビスオークは修道女へ意識を振りもどそうとした。その横面に、風が吹きつけてきた。
「ムウウウッ?」
強い風ではなかった。身を裂くどころか、目を閉じようとも思わない程度のそよ風だ。アビスオークは視界の端で、それを巻き起こした槍の女の姿をとらえた。
同時に、敵の狙いにも気が付いた。微弱な風だが、ゴブリンたちの血や、先ほどの男が作った土壁の破片などが乗せられている。目を潰す気か。
いや、目だけではない。風の音で耳を。血の臭いで鼻を。そうやって集中を乱し、その隙に修道女を近付かせるつもりなのだろう。
「オノレ……!」
アビスオークは歯を食いしばり、地鳴りのような音を響かせた。そして決断した。この状態ではあの女の接近を防ぐことは不可能。ならばあえて近付かせ、迎撃に集中する。
アビスオークは棍棒と盾を捨てた。接近戦では邪魔になる。太い腕でひさしをつくり、薄目で周囲をうかがいながら、あのけだものを待ち構える……。
「ム……」
刺すような痛みを感じ、肩を見る。矢が突き刺さっていた。角度からすると二階からだ。もうひとりのニンゲンが、奪ったクロスボウで放ったものか。
矢の一本程度、致命部位でなければ何ら問題はない。真の問題は矢それ自体ではなかった。アビスオークはじわりと広がる酩酊感に、身体と意識を揺るがされた。
(ドク……カ……!?)
アビスオークはぐらつく足を必死に制御する。遠距離への警戒をおろそかにしすぎた。否、そうなるよう誘導された結果か……!
狭まりかける視界の端を、白い風が走った。
アビスオークはそれを掴もうとした。
白い風はするりと真横を抜け、アビスオークの後ろに回り、その背中へ跳びかかった。
左腕をアビスオークの首に、両足を胸に絡め、がっちりとホールドする。
彼女は右手にゴブリンの死体から奪った剣を握っていた。
逆手に握ったその剣を、アビスオークの左目に、躊躇なく突き刺した。
「オオオォォォッ!?」
アビスオークは絶叫した。酩酊と、経験したことのない痛みに意識をかき乱され、しゃにむに身体を振りまわした。
修道女は力を緩めず、さらに剣を刺し込んだ。このまま脳まで突き刺して殺すつもりか。
「ソレダケハ……サセヌ!」
アビスオークは意識の手綱を握りなおし、己の巨体を石床に叩きつけるつもりで、背中から倒れた。剣が深く突き刺さるリスクも覚悟しての行動だった。
「ンぐ……ッ!」
レイチェルは衝撃に肺の空気を吐き出した。砕けた骨が悲鳴を発し、意識を手放しかけた。
それでも決して力は緩めなかった。
殺すと決めたからだ。
レイチェルは首に回していた左手、いまだ骨が砕けたままの腕で、剣の柄を叩いた。剣はさらに深く沈んだ。
「グオオオォォォーッ!」
アビスオークはまた叫んだ。それは嘆きの叫びだった。
レイチェルはその叫びにも、自らの痛みにも委細構うことなく、何度も柄を叩く。
「オオオォォォ……オノレ……ニクイ……ニクイ! ニクイカ! ソレホドマデニ! 我ラヲ! 憎ミ給ウカ! ナゼ我ラヲ……」
言葉はそこで止まった。七度目に叩きつけたとき、剣はついに彼の脳に到達し、その命を絶たしめた。
レイチェルは激しく呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと巨体の下から抜け出した。
「レイチェル! 大丈夫かい!」
叫びながら、ジルケが走り寄ってくる。レイチェルは黙って頷いた。
「私は……平気。みんなは」
「あたしとアッペルバリに大した怪我はないよ。霊力は使い果たしちまったけどね。バルドは……」
ジルケは背後に目線を送った。アッペルバリに肩を借りながら、バルドは治癒霊薬を一気に飲み干し、頷き返した。ジルケはにやりと笑い、レイチェルに向き直った。
「タフな旦那だからね。薬一本ありゃすぐ元通りさ」
「俺も酒がありゃあ、元通りなんだがな」アッペルバリが言った。酔いが醒めたらしい彼の顔は、ひどく不健康に見えた。「派手にやらかしたもんだな、修道女さま。大したもんだよ」
「そういうのはいい」レイチェルは立ち上がった。「それより、ビロンという男を逃がした。クリスも心配だ。探そう」
「そうだね。あんたを褒め口説くのは、仕事終わりの酒盛りでってことにしとこう」
ジルケはそう言ってウィンクした。レイチェルはどう返事すべきか分からず、彼女から目を逸らした。
色々なものが目に入った。魔物たちの餌とされた人間たちの死体。自分が散らしたゴブリンたちの死体。悲嘆の表情で絶命するアビスオークの死体。
深淵の魔王は、かつてエルガルディア全土を覆った百年の戦禍の果てに生み出された。彼の者の眷属種もまた、戦禍の犠牲となった魂が、嘆きの記憶だけを持って転生したものなのだという。
赤黒い魔物の末期の叫びを、彼女は思い出す。
「……憎んでなんかいないよ」レイチェルは小さく呟いた。「怒ってるだけだ。私は」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
砦の裏手。薄暗い森に囲まれた場所でのことである。
「よし。お前たち、準備はできたな」
「ギッ」「ギギッ」
ビロンの言葉に、四匹のゴブリンたちは頷き返した。彼らが担いでいる袋の中には、持ち出せる限りの金銀財宝が詰め込まれている。
一方のビロンは馬上だ。馬には荷車が繋がれており、そこにはメイウッド商会から略奪した食糧が載せられている。
あのレイチェルという女の戦いぶりを見て、彼は生き恥をさらすことを決断した。アビスオークを含めた残りの戦力を捨て石にして、《ベルフェゴルの魔宮》に献上すべきものを持ち出し、逃げ出すことを。
奴らが何の目的で食糧を運んでいたのかは、御者どもから聞き出している。これほどまでに素早い襲撃をおこなった以上、最優先で食糧を取りもどしに来るはずだ。その隙に、財宝を持たせたゴブリンたちを別方向に逃がす。
つまり食糧は囮である。体格的にも技術的にも、ゴブリンたちに馬を操ることは不可能だ。ビロンがやるしかない。
危険な役目であるが、そのことに対する恐れは彼にはなかった。彼が心配するのは別のことだった。
(術者と距離をとると呪法の力は弱まる。こやつらが財宝を持ち逃げすることになれば……)
ゴブリンとは強欲な生き物だ。彼らにとって使い道のないものであろうと、きらきら光るものを本能的に求める性質がある。呪法でうまく制御し、略奪に役立ててきたが、その制御がなくなればどうなるか。火を見るよりも明らかであった。
ビロンは俯き、逡巡した。記憶のなかの友を想った。
(……『大丈夫だ、ビロン。君は《操魔の呪法》に関しては類まれな才能を持ち合わせていると、大司教様も仰っていたじゃないか。頭も切れる。君はとても素敵なやつだ。そんな君を迫害した世の中に、その力で存分に復讐しようじゃないか。俺とともに』……)
その言葉が彼の逡巡を断ち切った。彼は顔をあげた。
「さあ、行け! 私は西、お前たちは……」
「GROWL!」
そのとき、木陰から一匹の獣が躍り出て、ゴブリンに襲いかかった。
「な……ッ!?」
「ギャギャッ!?」「アギャーッ!?」
あまりに唐突な出来事に、ビロンもゴブリンたちも戸惑った。その間に獣はゴブリンの喉笛を噛み千切り、絶命させた。くすんだ水色の毛並みを血に染め、その獣……ミストウルフは次なる獲物に目をむけた。
ミストウルフは配下にはいない。野良の魔物だ。ビロンは罵りたい気持ちをおさえ、指示を下した。
「や……やれッ! 殺せ!」
「ギャギャーッ!」「ゴキャーッ!」
「GROWL!」
魔物たちは戦いをはじめた。呪法に怖れを上書きされた三匹のゴブリンは、それぞれの武器を幾度もミストウルフに突き立てた。しかし獣は止まらず、一匹、また一匹と、その喉笛を砕いていった。ゴブリンが倒れるたび、地面に財宝が散らばり、血で汚れていった。
ビロンが馬から下り、倒れたゴブリンの槍を手に取ったとき、最後の一匹が死んだ。ミストウルフは満身創痍だったが、衰えることのない殺意でビロンを睨んだ。
呪法をかける時間はない。ビロンは躊躇なく眉間に槍を突き立てた。ミストウルフはなおも顎を大きく開けたが、体が崩れるとともに、それも閉じた。
「くそッ! なんということだ! これでは……」
BANG! 彼の言葉は、そして思考は、その爆発音によって一瞬、途切れた。彼は衝撃に尻をついた。
「な……こ……これ、は……ッ」
彼は反射的に手で胸をおさえた。その手がべっとりと血に濡れているのを絶望的に見下ろした。
焼けるような痛みを感じる前に、彼の意識は、砦から近付いてくる足音に引っ張られた。
身なりのよい、紫色の髪の男だった。ビロンは当然その男の名前を知っていた。彼は憎悪に痛みを忘れた。
「貴様……クリストファー・メイウッド……!」
クリストファーは一定の歩調で進みながら、フリントロック・ピストルに装薬と弾丸を込める。淡々とした手つきだった。ビロンは立ち上がれず、後ずさることしかできなかった。
血だまりを、散らばる財宝を踏みつけ、ミストウルフの死体を無造作に蹴りどかし、クリストファーはビロンの眼前に立った。そして無感情な視線とともに、銃口を向けた。
「き、貴様……どういうことだ……その魔物……まさか、貴様は……!」
「六秒だけ待つ」クリストファーはビロンを無視し、言った。「《ベルフェゴルの魔宮》について知っている限りを吐くと誓え。吐かないなら殺す」
「……!」
クリストファーの顔には一片の感情も浮かんでいなかった。それは何があろうと、どうであろうと、やることをやると決断した者の顔だった。
ビロンはまっすぐに睨みつけた。六秒など不要だった。
「呪われてあれ。忌まわしい獣め……!」
BANG! 引き金をひいた。ビロンの額に、友と同じように穴が空いた。クリストファーは銃口を下ろした。
「クリス」
声をかけられ、クリストファーは振り返る。
白い髪のレイチェルがそこに立っていた。クリスは微笑んだ。
「終わったようだね」
「……うん。みんな殺した」
「こっちも大丈夫だ。食糧はすこし減らされたようだけど、十分に足りる。急いでみんなの手当てをして、ユーヒルへ向かおう」
「……」
レイチェルは無言で俯いた。悲しんでいる様子だった。
クリスは近付き、血にまみれた彼女の手を握った。彼はそれを厭わなかった。
「ありがとう。君のおかげで、ユーヒルの人たちを助けられる。君は間違ったことなんかしていないよ。僕は……」
クリスは何かを言いかけて、やめた。レイチェルは手を握り返した。二人は視線を交わらせぬまま、お互いの指を絡め合った。
「会長! ご無事で」
砦からバルドたちが駆け寄ってきた。クリスは手を放し、彼らの方へ向かった。
レイチェルの髪から白い光が抜けた。彼女はクリスたちの会話を背後に聞きながら、ほんの少し血がぬぐわれた己の手をさすり、二人分のぬくもりを確かめた。
【君の安らぎは何処にあるのか?】 おわり
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