【静けき森は罪人を許したもうのか?】 #35
ほぼ同時に、狼女と馬頭鬼は駆け出した。
獣たちの咆哮が森に轟いた。
爪と拳が交錯する。狼女の爪が胸板を抉りとる。馬頭鬼の拳は頬をかすめる。双方、致命部位を狙っての躊躇ない一撃。互いに恐怖の色はない。
馬頭鬼が覆い被さろうとした。
狼女は、残像を切るほどの速さで後方へ逃れた。
そのままの速度で周囲を駆けまわる。樹の幹を蹴って、三角跳びを繰りかえす。森が衝撃に震える。
馬頭鬼はただ待ち受ける。
やがて、極限まで引き絞られた矢のごとく、狼女が跳び蹴りを放った。
馬頭鬼は地を踏んだ。アースウォールが立ちはだかった。
狼女の蹴りはあっけなく壁を砕き、貫いて、
馬頭鬼の頸に突き刺さった。
頸は半回転した。
馬頭鬼は、めきめきと音を立てて、ゆっくりと、それを振り戻す。
そして殴り返した。
狼女は吹っ飛び、一度地面を跳ねた後、樹の幹に叩きつけられ、落下した。うずくまり、大量の血を吐く。すぐに顔を上げる。睨みかえす。ふたたび跳びかかってゆく。
馬頭鬼は迎撃しようとした。狼女はその拳を躱し、肘に咬みついた。深く、深く、深く牙を立て、遂には砕いた。闇色の血が溢れ出した。次の瞬間、血は蠢いて、腕となった。馬頭鬼は再生した腕の裏拳で反撃した。狼女の頭部は粉砕された。血と、骨と、脳髄とが、雪に飛び散った。
狼女は死ななかった。欠けた頭部に光が満ちて、すぐ元に戻した。月に祝福されていた。狼女は鉤爪を叩きつけ、馬頭鬼の片腕をまた落とした。
だが、それもすぐに治った。馬頭鬼も黒角に祝福されている。黒角は森に満ちる闇を喰らって憎悪に変え、憎悪は血肉となって馬頭鬼を突き動かす。
獣と人の混ざりものたちは、互いに幾度も殺し合い、殺され合った。狼女の手刀が心臓を貫けば、馬頭鬼は剛腕で頭をねじ切った。それでも互いは死ななかった。爪が、拳が、牙が、蹴りが、どれだけ血と肉と骨と脳と髄液とをまき散らしても。彼らを生かすのは心臓でも脳でもなく、魂なのだ。
混戦のなか、狼女が喉笛に咬みついた。牙が暴れ、馬頭鬼の血がぶしゅぶしゅと溢れる。強引に首を引きちぎろうとしている。
馬頭鬼は引き離そうとはせず、狼女を強く抱き締めた。魂の所在ごと圧殺する一手。狼女のあらゆる骨が砕け、内臓が破裂していく。
狼女は逃げようとしなかった。むしろ圧迫されるのを利用して、より深く喰らいついた。どちらの殺意が治癒に追いつくかの勝負。馬頭鬼の血と狼の吐血が混ざりあい、足元に零れ、雪を溶かす。まるでアビスの血の池。
やがて、馬頭鬼が根負けした。忌々しげな唸りとともに狼女の首をつかみ、放り投げた。頸骨が露出するほど、彼は喰われていた。
狼女は受け身をとれず、雪面を転がる。砕けた骨を治癒しながら、ゆっくりと立ち上がる。口に含んでいた血肉を吐き出す。狼の顔はながく伸びた鼻先まで血に染まっている。
そして、両者は理解していた。互いの真の致命部位。魂の中核がある場所を。
狼女は胸部の中心。
馬頭鬼は黒角の根元。
そこを穢す。光の魂には闇を以って、闇の魂には光を以って。そうすれば治癒は絶たれる。殺すことができる。
馬頭鬼が先に動いた。頸が完全につながるのを待たず、彼は大地を踏んだ。二対のアースウォールが次々と連なっていく。馬頭鬼と狼女を挟みこむ、一本の回廊をつくるように。
馬頭鬼は胸の前で両腕を交差し、身をかがめた。突進の構え。黒角が月光を弾き、殺意に煌めいた。
狼女は、喉を鳴らし、呼吸を繰りかえした。
治癒が間に合っていない。回避行動はとれない。ならばやることはひとつだ。
彼女は心を決めた。
馬頭鬼が咆える。
走り出す。
闇黒一角獣の突進。
狼女は、己の胸に爪を刺し入れた。
そしてなにかを摘み出した。
直後、彼女は雪を蹴り、跳びかかった。
両者は激突した。
馬頭鬼の角は、正確に、胸の中心を貫いていた。
だが、そこに狼女の魂はなかった。
串刺しにされた狼女は、その爪で、白い球体を摘まんでいた。
月のような、
雪のような、
彼女の魂。
神狼珠。
「教えてあげる」
彼女はそう言った。
神狼珠を、黒角の根元に突き入れた。
馬頭鬼は目を見開いた。
「グ──オオ──オオオオォォォォッ!?」
光が。純白の冷たさが。流れ込んでくる。血管をめぐり、闇をかき消してゆく。
馬頭鬼は憎悪を保とうとした。己の意志を強いて、戦う理由を思い出そう縺ィ縺励
屓縺励◆縲� 違う。これは自分の記憶ではない。光の記憶が邪魔を縺励※縺�k縲�
繧峨@縺溘� 振り払おうとする。バルド・ロランディの憎悪を思い出そうと縺吶k縲�
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笑っていた?
あの時、俺は、笑っていたのか。
馬頭鬼はそれを思い出した。
突進が崩れ、彼は転倒した。
アースウォールが崩壊する。
ふたりは揉みくちゃになって雪を転がり、やがてレイチェルを上にして、止まった。
レイチェルは何度も殴りつけた。
人狼の姿でなくなった彼女の拳は、とてもか弱かった。
馬頭鬼はただ受け入れた。
それが彼の、バルド・ロランディとしての、最期の選択だった。
やがてレイチェルは殴るのをやめた。
バルドは動かなくなっていた。
レイチェルは、バルドの額から、血塗れの神狼珠を引き抜いた。
彼女の躰は、急激に死にかかっていた。魂を外に出したからだ。心臓が、脳が、体中のあらゆる細胞が、生きようとする力を失い、冷たくなっていく。
レイチェルは、震える指で、魂を胸に戻そうとした。
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