【君の安らぎは何処にあるのか?】 #6
「何者だ!」
ビロンは小さな体躯に似合わぬ大音声を響かせた。
つかつかと足音を鳴らしながら、その者はさし込む光のなかに姿をさらした。修道服を着た白髪の女だった。
女は死にかけのゴブリンの頭をつかみ、引きずっている。それを見せつけるように目の前にかかげ、手を放し、その頭を踏み砕いた。
女はけだもののような目でビロンを見据え、そして言った。
「私はレイチェル・マクミフォート。お前の友とやらもこんな風に死んだ。……お前はどうする」
その瞬間、ビロンのなかで激情が炎のように燃え上がった。この女を魔物どもに蹂躙させ、尊厳の底の底までを穢し、肉の一片までも奴らの餌にしてやりたいと欲求した。彼の理性はその感情をよく抑えたが、その乱れが呪法に乗って、一匹のゴブリンの精神に飛び火した。
「ギギーッ!」
ゴブリンは女への恐怖を攻撃性に上書きされ、手にしたクロスボウでレイチェルを撃った。
レイチェルは飛来する矢を人差し指と中指ではさんで止め、そのまま手首の動きだけで返した。矢はゴブリンの眉間に突き刺さった。ゴブリンはもごきながら、ゆっくりと仰向けに倒れた。
「ギ……ギギッ?」「ゲゲーッ!?」
ゴブリンたちの間にふたたび驚愕が広がっていく。ビロンも同様だ。この女は全力を以って当たらねばならぬ相手だと判断した。
「魔物たちよ! 全身全霊で敵を排除せよ! 魔の衝動のまま、思うがままに蹂躙するが良い!」
そう叫んだビロンの躰から、邪悪な霊力が砦全体へ広がった。ゴブリンたちの目が怒りに赤く染まった。
レイチェルは大広間全体を見まわす。無残な姿となった御者たちの死体や、いくつもの髑髏を見つける。
彼女はほんの一秒、目を閉じた。
次に開かれたとき、その目は決断的な殺意に光った。
「ギギギーッ!!」「ギゲーッ!」
号令とともにゴブリンたちが一斉にクロスボウを構え、放つ。広間だけでなく二階からも飛んでくる十数本の矢を、レイチェルは拳ではたき落とし、迫り来る近接戦闘部隊を迎え撃った。
ビロンはクロスボウ部隊に追加の指示を出そうとした。
しかし、彼の集中をかき乱す要素が二階に発生した。それも二ヶ所同時。彼は舌打ちする。
「やはりあの女は囮か……! 《ユニコーン騎士団》め!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
二階に空いた大穴の西側に陣取っていたクロスボウ部隊は矢をつがえようとして、唐突な心地よさによろめいた。
「ギギギ……!?」「ゴブ……ゴブゴブーッ!」
ほとんどのゴブリンが戸惑っているなか、斧を手にした一匹が、その空間への入り口を指さす。そこには壁から半身を乗り出して《酔煙》を送り込んでいるアッペルバリがいた。
気の確かなゴブリンたちがクロスボウを構える。アッペルバリは体を引っ込め、飛来する矢から身を隠した。
「おっと、見つかっちまった。やっぱ酒が足りねえな。効きが弱い」
「ないもんねだりしても仕方がないだろが」ジルケが言った。彼女はアッペルバリの背を守っている。「こっちからも来るぞ! 早くしとくれ」
「ウイ、ウイ」
アッペルバリはあらかじめ火打石で着火しておいた枝の束をゴブリンたちへ投げつけた。か細い火は漂っていた《酔煙》に引火し、空気中で一気に燃え上がった。
「アギャギャ!?」「ギゲーッ!」
「火が足りないみたいだねぇ。それじゃ、オマケだよ!」
唐突な炎に身を焼かれのたうつゴブリンたちに、ジルケは風を送り込んだ。新鮮な空気を与えられ、ゴブリンたちはさらに激しく燃えさかった。ここに陣取っていた部隊は全滅だろう。
だが安堵してもいられない。別の場所からゴブリンどもが殺到してきている。
「クソったれどもめ。次から次へと……」
ジルケは毒づいた。霊力を消耗し、愛馬からも離れた自分でしのぎ切れるか。そんな弱音が口から零れそうになる。
(『やると決めたんだったら、躊躇しない。やれるまでやるだけ』……、か)
砦に突撃するとき、レイチェルがいった言葉。ジルケはそれを思い出す。
彼女は確かにそれを実行した……否、している。その様を思い、ジルケは口を笑みの形へと捻じ曲げた。
彼女は廊下へと飛び出し、向かってくるゴブリンたちへ突進した。
「ギギーッ!」「ギゲーッ!」
隊長の号令に合わせ、弓手が矢を放つ。数は五。《矢避けの風》はないが、自分ならしのげる。そう信じた。
身を低くし、全速で駆け抜ける。二本は頭上を通過。一本が頬を、一本が腿をかすめた。一本は顔面に当たる軌道だ。手甲でそれを弾いた。
彼女は速度をわずかにも緩めなかった。後方へ向けた槍の穂先に、己の身で切った風を集めるために。愛馬と比べ、なんと不格好な風だろう。だが奴らを殺すには十分だ。
「まわれまわれ、《螺旋の旋風》ッ!」
ジルケは前方に突きを放った。
轟! 逆巻く風の螺旋が廊下にうずまき、その中心を一閃の風がつらぬいた。風はゴブリンどもの肉体を貫き、切り裂き、その血と肉片をそこら中にまき散らした。悲鳴は風の音にかき消された。
風が止んだ。ジルケは止まらなかった。まだまだ殺すべき相手はいる。急がなければならない。一人きりで戦うあの娘のために。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ぬうううん!」
「ゴギャーッ!」「アギャーッ!?」
二階東側。バルドは隙だらけのゴブリン二体に背後から襲いかかり、手刀で首をへし折った。周囲には同じように致命部位を的確に砕かれた死体がいくつも転がっている。
あと何体だ。バルドは肩を上下させ考えようとしたが、やめた。背後から斧ゴブリンが跳びかかってきている。
「ギキャーッ!」
バルドは振り返りながら、ズン、と右足で床を踏みつける。そこから地の霊素がほとばしり、砕けた石材、土、砂、植物の破片などがより集まって、一枚の大きな壁となった。ゴブリンの斧はその壁にめり込んだ。
「ギゲッ!?」
「ふんッ!」
バルドは壁に体当たりし、倒した。「ゴブゲッ!?」と潰れた悲鳴がかすかに聞こえた。
「ギギーッ!」
離れた場所からクロスボウの矢が飛んでくる。バルドは再び床を踏みしめた。手のひら程度の石壁が矢の軌道上に生成され、防いだ。
バルドはそれを掴み、霊力を注ぎ込みながら投擲する。石壁は空中で形を変え、やじりと化し、ゴブリンの額に突き刺さった。ゴブリンは声もなく倒れた。
「フゥー……」
バルドは深く息を吐きながら、改めて周囲を見回した。今ので最後か。
彼が始末した数は十八。ゴブリン程度の魔物とはいえ、一人で相手するのは危険な数だった。彼が唯一得意とする霊術《アースウォール》がなければ、四方から包囲され、やられていただろう。地の霊素が濃い場所であることがバルドの有利に働いた。
しかし消耗が激しい。《アースウォール》を連発したためだ。彼は息を整えながら、大穴から一階大広間を覗き込んだ。
「これは……!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一階は血の海だった。三十匹ほどのゴブリンどもが、殴られ、砕かれ、潰され、叩きつけられ、叩き割られ、引き千切られ、噛み千切られ、自分たちの武器を逆用され……とにかく惨たらしい有様となって散乱していた。
レイチェルは血塗れの姿でその只中に立っていた。返り血に染まっておきながら、その白い髪はなおも聖なる光を宿していた。
「ギギギ……!」「ゴブーッ!」
残りのゴブリンは二体。彼らは仲間たちの悲惨な姿に震えていたが、呪法の力には抗えず、絶望的にレイチェルへと向かっていった。
レイチェルは床に刺さった手斧を掴み、無造作に投擲した。斧が一体の頭をかち割るのと同時に、今度は装填済みのクロスボウを拾う。彼女に放たれるはずだった矢はゴブリンの喉元に突き立ち、その命を終わらせた。
これでゴブリンはすべて始末した……残り一匹を除いては。
「ギギーッ!」
仲間たちの死体に埋もれ様子をうかがっていたゴブリンが、剣を手に跳びかかった。完璧に近い奇襲だったが、レイチェルの鼻は誤魔化せない。彼女は振り返ることなく、右手のクロスボウを顔面に叩きつけた。
「アギャーッ!?」
クロスボウが砕けるほどの衝撃は、ゴブリンの顔面を陥没させ、眼球を飛び出させた。ゴブリンは血だまりに仰向けで倒れ、ぴくぴくと痙攣し、止まった。
「……」
噎せ返るような血の臭いのなか、レイチェルはすんすんと鼻を鳴らしながら、あたりを警戒する。
大広間にいたゴブリンはすべて始末した。だがビロンはいつの間にかいなくなっていた。探し出さなければ。
そう思い、一歩を踏み出した時である。
「オオオォォォ……」
地の底から響くような唸り声をあげながら、その魔物は姿をあらわした。
ゴブリンの体格、凶暴さを何倍にも大きくしたかのような姿……オーク。大きな棍棒と盾で武装している。しかも通常であれば濃緑であるはずの体色が、大地に染み込んだ血のように赤黒い。
それはすなわち、かつて大陸に未曽有の災禍をもたらした《深淵の魔王》により召喚された証。通常のオークより遥かに強大な眷属種、アビスオークであった。
「オオオォォォ……」
アビスオークは辺りに漂う魔物たちの嘆きを感じとった。レイチェルの二倍近くある巨体に怨嗟の感情が満ち、筋肉が膨張し、さらに巨大になっていくように見えた。
「キサマ……ナカマ……ヨクモ……」
アビスオークはたどたどしい口調でそう言った。眷属種となれば、言葉を知る個体もいよう。
レイチェルは前かがみになり、呼吸する。
どのような敵であれ関係ない。やると決めたから、やるだけだ。
「オオオォォォ!!」
アビスオークは雄叫びをあげながら突進した。レイチェルはじっと待ち構えた。
驚くべき速さでレイチェルの眼前に迫り、棍棒を振りおろす。レイチェルは身を躱し、盾とは反対側の側面へ回り込もうとする。
「オオッ!」
アビスオークは床を叩いた反動で、棍棒を斜めに跳ね上げる。レイチェルは上体を反らして躱す。低い位置に盾の追撃が来た。レイチェルはさらに姿勢を崩し、ブリッジ姿勢をとった。
床についた両手を軸に体を回転させ、股間を蹴り上げにいく。しかしアビスオークは上半身を振り回した勢いに乗り、ダンスを踊るような足さばきですでにその場から移動していた。
「フシュゥゥ……!」
蒸気のような息を吐き、アビスオークは体勢を整える。レイチェルは両手をついて獣のように身を低くする。
「オオッ!」
アビスオークは折れた柱を棍棒で打ちくだき、破片を飛ばしてきた。
レイチェルはすかさず横に避けたが、敵は間髪入れず、追撃を蹴ってよこした。ゴブリンの首なし死体だった。
躱すのは容易なことだった。しかし敵の狙いをレイチェルは見誤った。首の切断面からまき散らされた血がレイチェルの顔にかかり、視界を一瞬だけ塞いだ。
「……!」
「オオオォォォ!!」
その一瞬の間に、アビスオークが迫った。
真横から棍棒が振り抜かれる。回避する動きがとれず、左腕を盾にして受けるしかなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?