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【君の安らぎは何処にあるのか?】 #5
レイチェルはジルケを地面に座らせ、頬と首筋に負った火傷を癒していた。光を帯びる右手を優しく当てながら、静かに祈る。
「はい、もう大丈夫だと思いますよ」
「ありがと」ジルケは傷のあった場所をさすった。「あんたの光は不思議だね。あったかいような、ひんやりしてるような」
彼女はそう言って微笑むが、その表情は固かった。
「すまない、皆。僕の責任だ」
焼き尽くされ、灰と化した馬車の前で、クリスは悔恨の表情で言った。
「南の群れを討滅させたくらいで安心すべきではなかった。あと一日二日、護衛の冒険者をさがす時間はあったはずだ。行動を急ぎすぎた……」
「よしましょうや、会長」馬から下りたアッペルバリが言った。「そういうのは無事に帰った後でいい。それより、問題は『これからどうすべきか』ってことですぜ」
「うん……、その通りだね。気持ちを切り替えよう」
クリスは頷いた。
火の矢を放った男は深手を負っていたが、辛うじて生きていた。死なない程度の処置をすませ、今はバルドが身体検査している。
先頭馬車を曳いていた馬は二頭とも無事だ。食料運搬という目的は果たせなくなったが、移動することはできるだろう。
「このまま村へ向かうか。リディアに帰るか。あるいは……」
「会長」
思考するクリスに、バルドが声をかけた。
「どうした。何かわかったか?」
「はい。これを」
男は衣服を引き剥がされ、上半身を裸にさせられていた。あばらの浮き上がる痩せこけた体。それを目にした途端、クリスの表情が歪んだ。
「こいつ……《ベルフェゴルの魔宮》か……!」
アッペルバリも、ひとまずの治療を終えたジルケも、その声に首を振り向かせた。レイチェルは全員の空気が張り詰めたように思った。立ち上がり、問う。
「なんですか? その《ベルフェゴルの魔宮》とは」
「……これを見てごらん」
クリスに促され、レイチェルも男を見た。
男の躰……右腕、胴体、そして左腕に、数字の刺青が彫られていた。
右手の甲から肩にむかって10000000000000。左手側も同様だ。そして心臓の位置には、ひときわ大きく666……。魔珠派において、きわめて不吉なものと崇められている数字が、禍々しい字体で刻まれていた。
「これは……なんと怖ろしい……!」
「両腕に0を13個。胸に不吉なる獣の数字。魔珠派の秘密結社、《ベルフェゴルの魔宮》のしるしだ」
クリスは声を低くして語る。
「奴らは《操魔の呪法》を編み出した一派の末裔で、その歴史は古い。何百年も昔からその呪法を用い、魔物を使役することで社会に復讐し続けている。長いあいだ鳴りを潜めていたらしいけど、ここ十年ほどは活発に動いているようだ」
(魔物を使役……十年……)
レイチェルの魂は、その言葉につよく反応した。胸の奥がわななき、全身の血がざわめきだした。脳が心臓とともに何かを訴えるかのように鼓動を打っている。
彼女はその理由を知っている気がした。
彼女はクリスを見た。友は小さく頷き……、感情を抑えた声でささやいた。
「そうだ。こいつらがイラの村を滅ぼした。僕らの大事な人たちの、仇だ」
「……!」
レイチェルは口もとを押さえ、よろめいた。クリスは背中に手をまわして支えた。彼女は潤んだ瞳で、横たわる男を見続けた。
「裏に《ベルフェゴルの魔宮》がいたわけか。道理で装備が整っていたはずだよ」ジルケが近付いてきて言った。「ってことは、こいつがゴブリンどもを呪法で操ってたってことか」
「だろうな」アッペルバリは同意しつつ、首を傾げた。「でもよ、こいつだけじゃねえと思うぜ。知能が低い魔物ならまだしも、あれだけの数のゴブリンを操ってたんだ。よほど高位な霊術師でなけりゃ管理できまい」
「中々やるやつだよ、こいつ」
「それはそうだがよ、こいつが倒れてからも、ゴブリン連中は散り散りにならねえで逃げてったろ? ってことは呪法が切れてねえか……、そうでなくとも根城がある。そうなりゃそこに控えてる連中がいて、それを管理する奴もいるはずだ」
「どっちにしろ、まだ終わってないってわけかい」
「そう見た方がいいと思うぜ。ま、訊いてみりゃ分かるがよ」
アッペルバリは針のように鋭くとがった短剣を腰から引き抜いた。その刀身に《酔煙》を吹きつける。そして地面に膝をついて、男の胸元にそれを突き立てた。
「うがっ、あっ……!」
「おっと、起こしちまったかい旦那」アッペルバリは口の端をゆがめた。「なァに、痛いのはすぐに消えるさ。《酔煙》を血管にじかに注入したんだ。すぐに夢心地になる」
男は少しのあいだ痛みに呻いていたが、やがてその目がどろんと濁り、大人しくなった。
アッペルバリはクリスに視線を向ける。彼は頷き、質問を始めた。
「確認する。お前は《ベルフェゴルの魔宮》の一員だな?」
「アァ、ア……そうです……間違いありません……」
男は素直に答えた。気絶から覚醒した直後からの酩酊状態となれば、まさしく夢のなかにいると思っているのだろう。それでいて信頼できないほどには思考力を落としていない。アッペルバリの熟練の技といえた。
「お前が指揮していたゴブリン部隊の総数は」
「五十六……すべて通常種です……」
「そいつらの根城はあるか? その場所は?」
「根城……あります……ペーラの森の……谷に……」
「そこに控え部隊はいるか? いるならその数と内訳は」
「控え部隊……います……ゴブリンが四十と……アビスオークが一匹……」
ジルケとアッペルバリは顔をしかめた。逃げ帰ったゴブリンの数は、おそらく二十ほど。合わせれば六十匹にもなる。そのうえにアビスオーク。かなり大規模な群れといえた。
「武器の内訳はどうなっている?」
「剣、槍、斧の近接部隊が三十……クロスボウが十です……」
「根城にはお前の仲間はいるか?」
「います……我が友、ビロンが……」
「我が友? ふざけやがって」ジルケが吐き捨てた。
「そいつはどんな奴だ?」
「小柄な……赤髪の男です……ともに学び……同じものを憎み……」
「どうでもいいことを喋るな」クリスは遮った。「そいつの戦闘能力は?」
「彼は……《操魔の呪法》に特化した術師で……戦うのは得意ではありませんが……魔物は彼に……よく従います……」
「お前たちがその部隊を率いている理由は?」
「街道を通る者たちを襲い……世界に我らの怒りと憎悪を……思い知らせるため……」
ジルケの槍を握る手がギリリと軋んだ。アッペルバリが目線で制した。クリスは無表情で続ける。
「お前たちにそうするよう指示を与えた者はだれだ?」
「アー……分かりません……文書での指示だったので……」
「お前たちの組織の本部や支部の場所は?」
「本部は……分かりません……支部は……私が知るかぎりでは……ウィンストの町の廃教会の……地下に……」
「いいだろう。もう十分だ」
彼はフリントロックの引き金をひいた。男の頭蓋に穴が空いた。レイチェルは驚愕し、声をあげた。
「ク……クリス!? 何を……」
「……《ベルフェゴルの魔宮》は僕らにとって仇だ。聞くことがなくなったなら、一秒たりと生かしておく理由はない」
クリスはこちらを見ることなくそう言った。レイチェルは返す言葉を失った。
「さてと……どうすんです、会長?」何事もなかったかのように、ジルケが問う。「このまま引き下がるのか、奴らに一発かましてやるのか」
クリスは顎に指をあてて考えた。
「……願望だけを言うなら……、追撃をかけたい。さらわれた御者たちが心配だし、奪われた食糧を取り返さなければ」
「御者たちを諦めて、リディアに引き返し、改めて食料を集めなおすって手は?」
アッペルバリが聞いた。冷徹ではあるが、危険性を考えれば当然の意見である。
「集める量を最低限にし、可能なかぎり急いだとしても、村にとどくまで三日はかかる。ユーヒルは相当に逼迫している。子供あたりに餓死者が出てもおかしくない。最善を望むなら、今日中に届けなければならないんだ」
「勝算はありますかね? 敵戦力が分析できても、いかんせんこっちの打撃力が足りないんじゃ?」
「あたしは十分にやれるぞ」
「お前さん、霊力をけっこう使っちまっただろうが」
「向こうに着くまでに少しは回復できるさ。霊薬もあるし」
「だが万全とは……」
「打撃力なら、私が補います」
レイチェルの言葉に、皆がいっせいに視線を向けた。三人が訝し気な顔をするなか、クリスだけが悲しそうに眉をひそめた。
「でもレイチェル、君のそれは……!」
「追撃するならば、最速かつ最大の戦力を以って敵をたたくべきです。私たちに手を抜いていられる余裕などないでしょう」
彼女はクリスを真っ向から見返した。
「分かっています。あなたが心から私を想ってくれていることは。でも私だって……ユーヒルの人々を救いたいという心は、あなたと同じです」
「……」
二人は十数秒も見つめ合った。やがてクリスは諦め、長い息を吐いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
レイチェルたちが襲撃を受けた場所から北の森のなかに、その朽ち果てた古砦はあった。
使われなくなってから数百年は経っているのだろう。石造りの壁はあちこちが崩れ、天井も穴があき、光がさし込んでいる。蔦が這い、自然の花に飾られた砦は、堅牢さを代償にした美をその身に纏っていた。
だが今この時において、その美をありがたがる存在はこの場にいない。ひしめく命のほとんどは、生命への害意に満ちあふれた魔物ども。たったひとりの人間も、闇と汚泥に親しみ、光と清廉を憎む性質のものだった。
たったひとり。そう、今はひとりだ。その人間、ビロンは長いため息を床に落とした。
「おお、リチャード。我が友」
目深にかぶったフードの奥で、その目が悲しみに光った。
いつものごとく街道へ襲撃に向かった部隊が、その数を半数以下に減らして帰還した。帰還した中には、それを率いていた友の姿はなかった。それで得られたのは馬車一台分の食料。割に合わぬ。そう思った。
ゴブリンが連れてきた御者どもの話によれば、彼らはメイウッド商会の者と交戦したらしい。しかもその中には、会長であるクリストファーもいたという。
ビロンは事の顛末を推測し、腑に落ちる思いだった。メイウッド商会のキャラバンなら、間違いなく《ユニコーン騎士団》が護衛についていたはずだ。いつもいつも自分たちの邪魔をする、精強なる魔物狩りの戦士たち。だからリチャードは襲ったのだと納得し、ゆえにリチャードは帰らぬのだと納得した。
おそらくリチャードとはもう二度と会えぬだろう。奴らの手にかかったのならば、生かされているはずがない。
(友よ、許してくれ。君を行かせるべきではなかった……)
彼は心のなかで深く悔い、ずっと閉じていた目を開けた。
そこは砦の大広間であった。二階の床とそのうえの天井は大きな穴があき、吹き抜けとなっている。彼の眼前ではゴブリンたちが小躍りしながら、御者どもの死体を喰らっていた。
小柄で、貧相で、なんと醜い生き物だろう。まるで自分のようだ。子供のころから誰にでもそう言われたきたし、自分でもそう思ってきた。リチャードは違った。彼は自分を見ても怖れずにいてくれた……。
(メイウッド商会の連中は、反撃を仕掛けてくるだろうか)
彼は考える。
(だが今すぐではあるまい。御者どもから聞き出した戦力が真実ならば、そんな余裕はないはずだ。逃げる時間はある)
ビロンたちの任務は、街道を通る商人たちを襲撃して人間社会に打撃を与え、奪い取った物資を《ベルフェゴルの魔宮》に上納することである。砦にはこれまでの襲撃で貯め込んだ物資がたっぷりとある。襲撃を受ける前に、これらを運び出すべきだろう。
(待っていてくれ、リチャード。君の魂の安らぎのため、復讐は必ずする。だが今は……)
ビロンは決断し、魔物たちに指示を出そうとした。
そのとき、彼の感覚に引っ掛かるものがあった。広間の外で何かが起きている。騒いでいたゴブリンたちも気付いた。ビロンのなかで嫌な予感が膨れ上がった。
その予感は形となり、ものすごい勢いで大広間に飛びこんできた。
「ギギッ!?」「ゲギャギャ……!?」
自分たちの目の前に落下したそれを見て、ゴブリンたちは驚愕に後ずさった。それは手足をねじり切られ、ずた襤褸と化したゴブリンの死体だった。その顔は恐怖に歪んでいた。
二つ、三つと、さらに飛び込んでくる。一つは折れた柱に激突してつぶれ、一つは地面を跳ねたさいに四肢を爆散してまき散らした。
「何者だ!」
ビロンは小さな体躯に似合わぬ大音声を響かせた。
つかつかと足音を鳴らしながら、その者はさし込む光のなかに姿をさらした。修道服を着た白髪の女だった。
女は死にかけのゴブリンの頭をつかみ、引きずっている。それを見せつけるように目の前にかかげ、手を放し、その頭を踏み砕いた。
女はけだもののような目でビロンを見据え、そして言った。
「私はレイチェル・マクミフォート。お前の友もこんな風に死んだ。……お前はどうする」
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