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【静けき森は罪人を許したもうのか?】 #8
<前回>
「うひゃあーっ! あたいのきゃわわなビットたちがッ!」
「もっとたくさん出せばいいんと違うんか!?」
「出せるけどぉ! あっちゃこっちゃから犬ッコロも来てんのよ! このままじゃジリ貧なのだわ! せめて背中を任せられるのを一人二人……」
ちょうどその時だ。ウィップたちがもと来た方向から、複数の足音が近付いてきた。
「いくさ屋殿ですね!? 援護に参りました!」先頭の槍使いの青年が言った。胸元には一角獣のメダリオンをぶら下げている。
「うひょ! ナイスタイミングよ、お兄さま!」
「え? いえ、僕はあなたのお兄さんではありませんが……」
「きゃわわな反応してんじゃねーわよッ! あたいら、向こうの弓手を始末するからさ、お兄さまたちは犬ッコロの相手しといて!」
「りょ、了解です! お供はいりますか!?」
「必要ないじゃろ。この程度、ジジイと小娘にお任せあれじゃ」
ウィップは鞭をしならせて、空を見上げた。また矢の雨が降りそそいでくる。
パパパパン、と音をたて、《七代目のチェーンウィップ》が矢を弾き落とした。命中する矢だけを狙った的確な防御だ。それに守られることで、マッハは霊力を練ることに集中できた。
「《うひのうひっひ、うひひひひ》! ブチ焼いたるのだわーッ!」
マッハが杖を高く掲げた。空中でいくつもの炎が渦を巻き、球形に収束すると、高速でまっすぐ飛んでいった。中級炎霊術の代名詞、《ファイアーボール》である。
「む……!」
ドミニクは危険を察知して枝から飛び降りた。一発は彼女の留まっていた木に命中して焼き倒し、三発はオークに命中して炎上させた。精強なるオークはその程度で斃れはしないが、二発、三発と狙い撃ちにされ、結局その三匹は焼死した。
「雷だけでなく、炎の霊術まで……! しかもこの威力!」
あの娘、敵ながら舌を巻く腕前の術師だ。ドミニクはひそかに高揚した。狩人として魔物や人と命を獲りあっていた頃を思い出す、心地よいひりつきだった。
「オークどもよ! 牽制射撃を続行せよ! 射た後はすばやく移動し、敵に位置を特定させるな!」
「オオオォォォ……!」
ヘイズオークは頷き代わりの唸りをあげ、それぞれに散開した。
ドミニクはふたたび矢をつがえる。悪魔の力を得たこの身なら、回避行動をとりながらでも正確に狙撃できよう。《モアブの娘》として、猊下に恥じぬ戦いを……!
彼女は目にも止まらぬ速さで矢を連射した。
《七代目のチェーンウィップ》はそれらを打ち落とす。マッハの攻撃にもかかわらず、矢の数はむしろ増加しているようだ。老兵は唸りながら破顔した。
「うーむ、腕っこきが一人おるようだのう。じゃが敵のペースは乱せた。儂ゃ打って出るぞい」
「お爺さま、ちょい待って」
マッハは杖を地面に突き刺し、詠唱を開始する。
「《うひとうひゃひゃのうひうひひ》! 土団子、こねこねーっ」
霊力が地面に染み込んだ。杖を傾けてシャベルのように掘り出すと、土はごっそりと宙に浮き、ひとりでに球形となった。地霊術《アースボール》。マッハは三属性以上を操れる術師なのだ。天才を名乗るのも驕りではない。
彼女はそれを、ひょいと放り投げるようにして、ウィップに寄越した。
「おいお主、こりゃあ……!」
「時限式だから気を付けてねー」
うひひ、と少女は笑う。ウィップは苦い顔をしつつも、土団子を小脇にかかえ、弓兵のひそむ方角へ走り出した。
ヒュン、ヒュン。前方で空気を裂く音がする。矢が低い位置を飛んできたので、ジグザグに走って躱す。どうやら敵はウィップに狙いを定めたようだ。実に好都合。
《七代目のチェーンウィップ》を高い枝に巻き付ける。飛来する矢が突き刺さる寸前、老人の体が上方に引っ張られた。鎖を部分的に消失させることによる疑似的な巻き上げ機構である。
「まったく、ジジイには無茶な運動だわい。おまけにこんな危なっかしいもん持たせおって」
不満をこぼしつつも、彼は片手で変幻自在に鞭をあやつり、次々と枝を渡っていく。
年齢離れした動きに、ほとんどの矢は対応できない。ただ一人の放ったものを除いては。そいつの狙いは徐々に精度を上げていき、ついに飛び渡る途中のウィップの腕をかすめた。
「ぬぐう……ッ! いい腕しとる! ますますツラを拝みたくなったわ!」
流れる血と痛みを一顧だにせず、ウィップは前に進んだ。どうせ癒しの光がすぐに塞いでくれる。死ぬような傷でないなら安いものだ。
一切の怯みを見せず、むしろ加速していく老人の動きに、それでも手練れの矢はついてきた。足、脇腹、頬。次はこの皺だらけの額に突き立てるか? 上等じゃ。やれるものならやってみせい。
いよいよ敵の影が見えてきた。オークの弓兵が散開している。右方向に二、左方向に五。木の陰に隠れても無駄だ。老兵の勘はするどいのだ。
手練れの矢が飛んでくる。首を傾けてそれを躱し、彼は土団子を左のオークどもへ投げつけた。
弓兵オークたちは警戒するが、誰にも命中しないと見ると、そのまま動かなかった。土団子は何度か地面を跳ねたあと、ころころと転がって……
次の瞬間、爆発した。
「「「オオオォォォッ!?」」」
オーク兵は周囲の木々もろとも吹っ飛ばされた。三匹は致命傷を負い、のこり二匹は高熱でどろどろに融解した泥土に付着され、その熱に悶えている。
あれは単なる《アースボール》ではなく、マッハの編み出した地と炎の混合霊術《アースボム》だ。土団子の中に炎霊を閉じ込め、時がきたら一気に炸裂させる。威力は見てのとおりだ。しかも直撃を避けたとしても、高熱の泥に粘着されて尋常ならざる痛みに苛まれることになる。あの娘は性格が悪い。
ウィップは一瞬だけオークに同情したが、もちろん動きを鈍らせはしない。鞭を枝にぶら下げ、振り子の慣性で右方向のオークに向かって飛ぶ。
クルトウェポンは空中で《四代目のウォーハンマー》に変じている。重力を味方につけ、オークの頭上に振り下ろした。頭蓋を砕き、首骨を折る感触が手のひらに伝導した。
潰したオークの頭を支点に半回転、老人はさらに跳躍する。最後のオークが弓を構える。のろい。彼はその頭上を跳び越え、膝をたたんで背後に着地、そのとき既に武器は《五代目のクナイ》となっている。低い姿勢のまま振り返り、オークの両足の腱を断つ。倒れてくるオークの巨体を躱し、すれ違いざまにクナイを首に滑らせた。オークの背中が地面をたたくと同時に、頸動脈から血が噴き出た。老いた膂力、小さき刃、なれど殺すのに事は無し。
老人は意識を闇の奥に向けた。
ヒュンヒュンヒュン。手練れの矢が飛んでくる。ウィップは身を転がして躱す……いや、躱せない。先読みされている。仕方なく、致命部位に届くものを選択的に《五代目のクナイ》で打ち落とした。攻撃が緩んだわずかな隙に、ウィップは駆け出した。
ある時は打ち落とし、ある時は木陰に隠れて、矢を回避しながら前進していく。だが距離を詰めている気配がしない。敵は逃げながら攻撃してきているようだ。このまま行くと、煙の発生源がある方角だが……。
(マッハたちを警戒して防御に回ったか……それとも誘っておるのか)
考えても詮無いことか。老人はそう割り切った。狩るべき相手が同じ場所にあるなら楽というものだ。
矢の猛攻を抜け、ついに彼は開けた場所に出た。
その中心にあったのは、漆黒の古木であった。幹のあちこちに空いた洞からぶすぶすと煙をあげ、周囲にまき散らしている。間違いなくこれが発生源であろう。何とかしてこれを切り倒せば……。
「あ?」
気付いた瞬間、老人の背筋がぞわりと粟立った。
これは樹ではない。
死骸だ。
戦火に焼かれ、その身の髄までも真っ黒に炭化した死骸が縒り合わさった、古木のような何かだった。
根に見えたのは火を逃れるために地面を這いずろうとした死骸で、幹に見えたのは互いに抱き締めあって最期を迎えた死骸で、枝に見えたのは天に救いを求めて手を伸ばす死骸だった。
洞に見えたのは彼らの口で、煙に見えたのは彼らの魂の嘆きだった。
あまりにも呪わしき遺物の姿に、老兵の精神は打ちのめされた。恐慌こそきたさなかったが、その心身は釘付けにされ、動けなかった。
停滞はほんの一瞬。だがこの状況において、その隙は致命的である。
「これが蹂躙されたミディアンの姿だ。畏れるがいい」
はっとした。青肌の女が弓を構え、正面からウィップを狙っていた。
敵は彼女だけではない。この呪わしき古木を守るために配されていたのか、数十匹の魔犬の群れが今にも跳びかからんとしている。
とても一人で処理できる数ではない。
身を隠す時間もなかった。
青肌の女がキリキリと弓をひく。躾のなっていない幾匹の魔犬が、唾液を散らして駆け寄ってくる。ウィップは絶望的に《五代目のクナイ》を……。
「今よみんな! やっちめぇーッ!」
甲高い少女の声が響いた。
ウィップとは別の方角から、マッハと《ユニコーン騎士団》の連中が来ていた。彼らは手にしていた物体をいっせいに放り投げた。マッハお手製の土爆弾。
「マジかいな、あいつ!」
ウィップは近くの木の陰へ飛び込んだ。よく知っている恐怖が彼を動かした。
轟音。震動。吹っ飛んでいく物体は土か、肉片か。
おさまった頃を見計らい出て行くと、魔犬の数はすっかり減っていた。土煙でよく見えないが、半分以下になっているのは間違いない。そいつらの元にも《ユニコーン騎士団》の若い連中が向かっていき、とどめを刺している。
「ッかぁー……若いモンは無茶するのォ」
老人はマッハを見た。少女は視線に気が付くと、歯をむき出しにして親指を突き立てた。
土煙が晴れてくる。
ウィップは気付いていた。自分に向けられた殺意がいまだ消えていないことに。
ばらばらに飛び散った魔犬の死体に囲まれながら、青肌の女は弓を構えたままだった。体のあちこちに高熱の泥を浴びていても決して揺らがない、美しい姿勢だった。
女は薄くあけた口から煙を吸い込んでいる。古木が吐きだす煙だ。その体に邪悪な力が満ちていくのが、遠目からでも分かった。
「私は《モアブの娘》序列第五位、ドミニク。猊下の忠実なるしもべ。そして元狩人」女は告げた。それは決闘の名乗りだった。「勝負だ、ご老体」
「応。来いや」
ドミニクは矢を放った。
その矢はまっすぐには飛んでこなかった。山なりの軌道を描きながら、その途上で、幾つもの紅い影に分裂した。
ウィップは知っている。《魔影分身》の術。質量をもつ分身を生み出す魔霊術だ。
数十本にもおよぶ分身が、別々の軌道をなぞり、どしゃ降りのように落下してくる。打ち落とさねばならない。彼は魂にもっとも強く刻まれた記憶、《七代目のチェーンウィップ》に切り替えた。
「かああぁぁぁーッ!!」
老人は咆えた。鎖鞭が嵐のように舞い、分身は血飛沫のように砕けていった。
「見事なものだな」
ドミニクは小さく呟いた。
全霊をかけても、あの老人に自分の矢は届かない。この勝負には負ける。ドミニクにはそれが分かっていた。ゆえに、ドミニクの勝ちだ。
彼女の指先から煙がひと筋、こそこそと地面を這うようにして、老人の近くに転がる千切れた魔犬の首に結ばれている。《操魔の呪法》を込めた煙だ。呪法は首だけの魔犬に、『噛みつけ』と指令を送っていた。
あと数秒で消える命を燻らせ、魔犬の首はずるり、ずるりと動いた後、下顎の力だけで跳ね上がった。
すべての矢を打ち落とした老人は、危機を察知して振り返った。
だがもう遅い。もはやクナイであろうと間に合わない。
老人は利き腕で顔を庇った。そこに魔犬は噛みついた。
深く、深く、牙を立てる。この白い光でも癒しきれぬほど毒で神経を侵すために。命を奪えずとも、もう戦うことができないように。それが《ベルフェゴルの魔宮》の……崇拝する猊下のため……。
「ああ」
ドミニクは息を漏らした。
「駄目か」
「おう、駄目じゃ」
ウィップは振り返り、にやりと笑った。
彼はもう、鞭を手にしてはいなかった。クルトウェポンは鋼鉄の篭手に変化し、老人の利き腕を守っていた。魔犬が噛んでいたのはそれだった。
「《八代目のガントレット》。せがれの鍛えた逸品じゃ。いいじゃろ」
ウィップは魔犬を振り払った。そして武器を《五代目のクナイ》に切り替え、投擲した。クナイはドミニクの額に突き刺さった。狩人はパクパクと口を動かしながら、ゆっくりと仰向けに倒れた。もう動かなかった。
死体に歩み寄りながら、ウィップは手をかざす。正統なる所持者の魂に呼応し、《五代目のクナイ》は手元に舞い戻った。それから周囲を見まわした。雑魚の魔物もほとんど片付いているようだ。
「お爺さま、だいじょぶー? ギックリしてない?」
マッハが駆け寄ってきた。ウィップは呵々大笑で迎えた。
「ド派手にかましたもんじゃなあ。お陰で助かったわい」
「うひひ。感謝はゼニでよろしくね」
そう言って、少女は古木を見上げた。さしものお転婆娘の額にも冷や汗が浮かんでいる。
「これが煙の発生源ってわけね。……厭な気分だわ。すごく」
「そうじゃの。お主、どうにかできるか?」
「魔霊が密集してるせいで悪い力になっちゃってるのよね。物理的に砕いて拡散してあげればきっと無害だわ。気は進まないけど……誰かがやってあげなきゃね」
彼女は前に進み出て、雷霊珠の杖を掲げた。口の中で何かを唱える。普段とは違う、祈りのような詠唱だった。
閃光。轟音。練り上げられた霊力が上方で結ばれ、稲妻の剣となって振り下ろされた。
古木は真っ二つに割れ、ぼろぼろと崩れていった。骸に封じられてきた怨嗟の霊は、今ようやく本当の煙となって、散っていった。
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