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【静けき森は罪人を許したもうのか?】 #13


【総合目次】

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 霧におおわれた天守閣のあたりで、稲光がひらめいた。俺は顔にかかった魔物の返り血をぬぐいながらそれを見上げる。

 雷光姫セリアと霧の魔王との決戦が、いよいよ始まったのだろう。魔王を討つための一党に加われなかったのは口惜しいが、ものは考えようだ。そのぶん配下の魔物をたくさん殺すことができる。結果として死すべき者が死すのなら、あとはどう楽しむかを考えるべし。俺にとって魔物狩りとはそういうものだった。

「ご武運を。若き王女様御一行」

 そう呟く俺の背後で、魔物の気配がうごいた。どうせ折り重なった仲間の死体にかくれているミストゴブリンが奇襲をかけようとしているのだろう。失敗したときの間抜けな死に顔をおがむため、俺はあえてそれを待つ。

「ミギヒャーッ……ギャバッ!?」

 振り返るのとほぼ同時、跳びかかってきたミストゴブリンを、横合いから殴りつける奴がいた。すっとんでいった魔物は中庭の城壁に叩きつけられ、肉の染みと化した。

 俺は唇をひんまげて不満をあらわし、頑健なる冒険者をじろりと睨む。

「余計なことするなよ。俺の獲物だぞ」

「そいつは悪かった」ちっともそう思っていないふうに、男はいう。「魔剣士ヴァルラム様といえど、これだけ殺した後じゃお疲れかと思ってな」

「百匹ばかしで疲れる俺じゃないさ。あと十倍は楽しめる」

「ふん。さすがだな」

「だがまあ、礼は言っておくよ。ええと……すまん、名前なんだっけ?」

「ブラッド。ブラッド・マクミフォート」

「ああ、そうだった。すまないな、人の名前を覚えるのがどうも苦手で」

「別に気にしない」

 そういうが、雄々しい鼻がひくついている。血の臭いにうんざりしてるんでなけりゃあ、気にしてるように見えるんだが?

「しかしまあ、お前もずいぶん殺したじゃないか。何匹殺った?」

「数えてない。お前ほどじゃないのは確かだ」

「質じゃあ俺が負けてるよな。オークのあたま踏み台にして霧飛竜ミストワイバーンにしがみついて墜としたの、見てたぞ。術なしでよくやるものだ」

「やると決めたからやっただけだ。それに俺の力じゃない。白狼の加護がついてるおかげだ」

 白狼。こいつの故郷……イラとかいう村の守り神だったか。一緒に酒をのんだ夜、たがいに身の上話をしたことを思い出す。

「あれ。お前、神官の一族に生まれたのが嫌で故郷を飛び出したって言ってなかったか?」

「……下らんことは覚えてやがる」ブラッドは顔をしかめた。

「やっぱりそうだよな。今さら信心に目覚めたってわけか?」

「そうじゃない。しいて言うなら……、故郷だ」ぽりぽりと頭を掻く。照れ隠しだろう。「この災禍で、ひどい有様になった町や村を何度も見てきた。そうなると、捨てたはずの故郷でも気になっちまってな。まあ、そういう感じだ」

「ふうん。なるほどね」

 わかる気がする。魔物に侵略され、あるいは惑乱の霧によって心をみだされ自滅していった人々を見るたび、俺の憎悪はいや増していった。俺の故郷も、魔のために滅んだからだ。

 俺の母は、処女の身で俺を懐胎した。母は夢のなかで淫魔インキュバスと交わり、その胤が俺だと言うのだ。つまり俺は魔物の子だ。とはいえ、それはただそれだけの話でしかない。俺は愛の夢のはてに生まれた子なんだと母は言ってくれた。俺にはそれで十分だった。

 だが、そんな母は魔珠派の教徒どもにとって、特別な存在だったらしい。十四のころ、何者かが俺の村を焼き払い、母をさらった。俺は数年をかけて下手人を探し出し、皆殺しにしたが、すべては手遅れだった。

 俺は誓った。魔霊を宿した罪人どもを残らず殺してまわることを。そうすることで、俺はこいつらとは違うんだと母に証明することを。

 ブラッドと俺は違う人間だ。過去も違うし、冒険者となった動機も違う。だから同じものを見ても惹起する感情が異なるのだろう。素直にうらやましかった。俺と同じになってほしくはないなと、そう思った。

「それなら、故郷に礼を言わなきゃな。この戦い、ぜったいに生き残って、里帰りしろよ」

「……そういう台詞はやめてくれ。死神に好かれる」

「はっははは。結婚したい相手とかいないか? たくさんの死神に好かれれば、奪い合いで共倒れしてくれるかもしれないぞ」

 ブラッドは鼻で笑った。俺は頬を吊り上げた。

「おいおたくらァ! なにのんびりお話なんかしちゃってんだァ!?」

 砕けた白鳥の像を背後にした男が、魔物にかこまれて泣きそうな声を張り上げていた。飛び出してくる霧豹ミストパンサーをガントレットでいなし、そのガントレットを変形させたカッツバルケルでとどめを刺す。ええと、誰だっけな。クルト村のいくさ屋……七代目だか八代目だか。強いわりにすぐ弱音を吐くやつだ。

「もう中庭には俺たちしか残ってないんだぞ! おたくらも働け!」

「おや、本当だ。誰もいないぞ」

 霧が濃いせいで気付かなかった。剣戟や怒号もいつの間にやら遠ざかっている。これはいけない。

「みんな城内に入ったか。獲物をとりっぱぐれてしまうな。行こう、ブラッド」

「ああ」

「おいィ!? この群れ俺に押しつける気か!? せめて手伝ってからにしろやァ!」

「そのくらいお前ひとりで平気だろう。だいたいお前、《緋色の牝鹿》と組んでたじゃないか。フられたのか?」

「ああそうだよォ! あの薄情女、あっちのが点数かせげるからって城内に行っちまった! 金の亡者めが!」

 なら、こいつは大丈夫だ。《緋色の牝鹿》は効率優先の女だが、本当に危ない奴を放っておいたりはしない。実際、今度は武器をチェーンウィップに変形させて豹の群れをなぎ倒している。いくさ屋の看板は伊達じゃない。

 天上でまた雷光。決戦は激しさを増している。城内の怒号も。

「王女様が頑張ってるっていうのに、俺たちが怠けるわけにはいかないな。せいぜい働くとしよう」俺はカタナをぬき、城内へすすむ。「罪人、みな 豁サ縺吶∋縺励□縲�


笳�笳�笳�笳�笳�


縲檎スェ莠コ 、みな死すべしだ」

 俺はカタナを振るった。そのひと振りで煙の魔物どもヘイズモンスターズの首を十本ばかり刎ね飛ばした。これで残りはこの教団の大司教のみ。俺はカタナの血をぬぐいもせず、情けなくへたり込んだ男にゆっくりと歩み寄る。

「き、き、貴様……我らと同じ魔珠派であろう。なぜ我らを殺すのだ。なぜ」

「わからんのか。わからんだろうな」

 俺は魔教のあるじを見下ろした。視線が倦んでいるのが自分でもわかる。

 冒険者となってから二十年ほど。あいかわらず魔物や魔珠派の人間を狩ってばかりいる。それ以外にやりたいこともない。俺にとって、母に誓ったことがすべてなのだ。

 そのために、たくさん殺した。殺して、殺して、殺した。冒険者ってのは得な稼業だ。やりたいことをやるだけで金がもらえる。感謝もされる。だから殺して、殺して、殺して、殺した。いつからか俺は魔剣士と呼ばれるようになった。面映ゆくはあったが、悪くない。その名にもっと箔をつけようと、殺して、殺して、殺して、殺して、殺した。やがて霧の魔王があらわれ、殺すべき連中が山ほど増えた。イラついたし、楽しい日々だった。魔王が討たれたあとも魔物は一向に減らず、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺した。そのうち、なぜか楽しさを感じられなくなった。こんなにも殺しているのに。もっと殺さなければだめだ。俺はじりじりと焦らされた。だから殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、そして母をさらった連中の背後に《ベルフェゴルの魔宮》だとかいう黒幕がいたことを知り、気がつくと、俺は目のまえの男の喉を斬っていた。

 男はごぼごぼと血を溢れさせながら、濁った声で末期まつごの言葉を吐き出した。

「こ、れで、我が世界も、終わり、か……ッ」

 死んだ。俺は納刀するていどの動きをする気も起きず、ぼんやりとその死に顔を眺めた。

 母を奪った元凶はこれで始末しきれた。俺のなかに不思議な感覚がおとずれていた。それは感慨というにはあまりに重く、胸の底でよどんでいる。

 この感覚の名前は……、そうだ。倦怠感。

「ああ」

 俺は息を吐いた。理由はわかりきっている。

 何も終わってはいないのだ。母の仇を討ったとしても、魔物たちは世に溢れ、罪人たちは跋扈する。俺がやってきたことは、大海に石を投げ込むていどのことでしかなかった。そんなことを何十年も繰り返してきたのだと、ようやく俺は悟った。

 いや……、そんなのは十四のときから悟っていたはずだ。だがそれでもいい、それでもやるんだ、俺はそれを続けていける人間なんだと、若いころは愚かにもそう信じられた。その余熱が、ここまで残っていたに過ぎない。

 だが、もう、冷めた。

 この世の罪人をすべて殺すなど、どだい無理な話だった。そう知っていてなお同じことを繰り返せるほど、俺は愚かではなくなってしまった。

 面倒くさくなったのだ。

 けれど……、俺はこの狂気を手放す気には、どうしてもなれなかった。これまでの人生のすべてを注いできたのだ。じゃあ俺の人生はいったい何だったっていうんだ?

 揺らぐ思考にぼやけていた視界が、焦点をむすぶ。

 喉を裂いて殺した男の顔。末期の言葉を思い出す。「これで我が世界も終わりか」。世界の、終わり。

「ああ。そうか」

 それは天啓だった。思わず頬がゆるんだ。

 俺の手でこの世の罪人を滅ぼすことはできない。ならば、俺自身が罪人になればいい。そして正義や憎悪の心を燃やした誰かが俺を殺してくれたなら。罪人は滅び、世界は終わり、俺の復讐はそれで成る。

 とてもいい考えだ。さいわい俺は魔物の子。罪人となるのに苦労はない。

 俺は魔の神域を見まわした。炭化した黒い木々にかくれ、少年少女らが畏れを込めた目で俺を見ている。殺さずにとっておいてよかった。面倒を押しつける相手は多いほどいい。

 なんだか楽しくなってきた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 微睡みは覚め、ヴァルラムはゆっくりと瞼をあげる。

「んん……少し寝ていたか。深酒が過ぎたかな」

 玉座にだらしなく横たえていた半裸の身を起こし、首をまわす。手にしていたワイングラスはいつの間にかこぼれ落ち、赤い染みを地面にひろげていた。あれが最後の一杯だったはずだ。もったいないことをした。

「まあ、いい。酒なんぞなくても最高の気分だからな」

 《モアブの娘》たちとの魂の繋がりが次々と切れている。筆頭であるソーニャに続き、第二位のファビエンヌもたったいま死んだ。《ユニコーン騎士団》の一般兵たちが、数十人がかりで倒したようだ。心のなかで喝采を送った。

 破滅が近づいてきている。ヴァルラムの宿願が成就する時が。

 《ベルフェゴルの魔宮》を乗っ取ったのは、すべてこの時のためだ。各地に魔物を送るだけでなく、教徒以外にも《操魔の呪法》の秘義を伝え、野放図に災禍をばらまいてきた。魔王のそれとは及ぶべくもないが、ザシャを始めとする若者たちは頑張ってくれたと思う。彼らはヴァルラムのことを教団の本懐を取り戻した英雄と見ていたのだろう。

 まるで違う。殺戮された先祖だとか、略奪された処女だとか、心底どうでもよかった。ヴァルラムは復讐の種をまきたかっただけだ。憤怒や憎悪の心をもって、ヴァルラムという罪人を討たんとする者が芽吹くこと。ただそれだけのために、この十数年はあったのだ。

 それはイラの村から芽吹いた。先代からの『お客』、あの狡猾な老商人ヘクター・ハドルストンの依頼が発端だったが、そうでなくともいずれヴァルラムはあの村を襲っただろう。しなやかで力強い肉体に静かな怒りを秘めたあの男……ブラッド・マクミフォートが自分に立ち向かってくることを期待したのだ。

 結局、そうはならなかった。だが期待以上の実りが得られた。

 彼の技と白狼の霊を継いだ娘。狼の群れに育てられた紫の一角獣。彼らに率いられた無数の復讐者たちが、今、ヴァルラムの喉元にまで迫ってきている。

 心臓が昂った。俺を討つために俺がくる。ヴァルラムの夢が叶おうとしている。

「さあて……そろそろ歓迎の用意をするか」

 ヴァルラムは立ち上がった。

 細い支柱を脚とした台座の上に、ひとつの霊珠が供えられている。中身はよどんだ漆黒に濁り、周囲には黒煙が渦を巻いて漂っている。ミディアンの森をさまよう煙さえ比較にならないような、濃密な瘴気を閉じ込めた霊珠だった。

 それこそは、この魔宮のあがめる御神体。はるか古の時代に、信徒を殺され、奪われ、悪魔へと貶められた魂そのもの。魔神ベルフェゴルの御霊を封印せし、神珠であった。

 正確には、その分霊と伝えられている。もし完全無欠なる神の御霊であれば、このていどの霊圧プレッシャーでは済むまい。だが分霊の状態でも、ヴァルラムでさえ背筋が粟立つようなおぞましい気配を放っている。これまでに何千と捧げてきた処女の魂、そこに《モアブの娘》たちも加わり、歓びに悶えているのか。

「俺も嬉しいよ、魔神殿。ともに歓喜の声をあげようじゃないか。戦いは全力で楽しむものだ」

 復讐を望む身とはいえ、大人しく殺されてやるつもりはさらさらなかった。悪とはそういうものだからだ。最期までみっともなく足掻いてやろう。生き残ってしまえば仕方ない、また同じことの繰り返しだ。

 ヴァルラムは神珠に手を伸ばした。

 その瞬間、

 彼のなかで眠っていた剣士としての第六感が、危機を告げた。

 何かが飛んでくる。

 カタナを抜こうとした。だが間に合わなかった。

 森の奥から飛来してきた一本の槍は、魔神の魂をつらぬき砕き、ヴァルラムの胸に突き刺さった。



【続く】

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