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【静けき森は罪人を許したもうのか?】 #14


【総合目次】

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<前回>

「俺も嬉しいよ、魔神殿。ともに歓喜の声をあげようじゃないか。戦いは全力で楽しむものだ」

 復讐を望む身とはいえ、大人しく殺されてやるつもりはさらさらなかった。悪とはそういうものだからだ。最期までみっともなく足掻いてやろう。生き残ってしまえば仕方ない、また同じことの繰り返しだ。

 ヴァルラムは神珠に手を伸ばした。

 その瞬間、

 彼のなかで眠っていた剣士としての第六感が、危機を告げた。

 何かが飛んでくる。

 カタナを抜こうとした。だが間に合わなかった。

 森の奥から飛来してきた一本の槍は、魔神の魂をつらぬき砕き、ヴァルラムの胸に突き刺さった。

「ぐお、お……っ」

 槍の慣性にひきずられ、ヴァルラムは後退した。よろめく体を玉座に腕をついて支える。

「は、はは……まいったな。反応できなかった。やはり怠け過ぎはいかん」

 乾いた笑いを血とともに零しながら、槍に手をかける。ミラグロスの愛用していた槍だ。ヴァルラムは一息にそれを抜き、放り棄てた。

 胸の穴から、どくどくと血が溢れてくる。本当にまいった。致命傷じゃあないか。すぐに対処せねば失血死は避けられまい。

 ヴァルラムは木々の間の闇を見据えた。そこからふたつの人影が姿をみせた。バルド・ロランディ、そしてクリストファー・メイウッド。

『おい会長さんや、話が違うぞ!』クリストファーの胸元、《ささやく翡翠》から老人の声がひびいた。『特任騎士さんたちと合流できとらん。奴と戦うにゃあ全員そろっての波状攻撃しかないとあれほど……』

「わかってます。ですがあいつ、魔霊珠を使って何かしようとしていた。いま仕掛けなければ致命的な事態になっていた」

 正解だ。ヴァルラムは口角をあげた。こんな形で邪魔されなければ、煙としてただよう煤を媒介に魔神を顕現させ、暴れてもらうつもりだった。幾千もの魂を生贄にしてやっと数分だけ可能となる召喚術。しかし魔神は砕け、霧散してしまった。千年以上も崇められてきた魔神は、呆気なく己を失い、亜空の闇に消えていった。

 だがそれもいい。彼らが本気でこちらを殺そうとしている証だ。心臓がまた昂り、巡った血が胸の傷から流れていく、それだけヴァルラムは死に近づく快感を得る。

 正面以外からも気配がした。左の森からは、いくさ屋の老人に率いられた部隊。右の森からは、馬上の女騎士に率いられた部隊。致命傷を与えたからには癒す間は与えないつもりらしい。

「ヴァルラム・クニャジェフ。《ベルフェゴルの魔宮》首魁」

 クリストファーの視線が、ヴァルラムを射抜いた。

「我ら《ユニコーン騎士団》は、魔に与するものすべてを憎む。よって貴様も憎悪する。生まれながらに抱えた罪を怨みながら死ぬがいい」

「おお……!」

 剥き出しの殺意に打たれ、ヴァルラムは震えた。射精のように血が溢れた。

 俺よ、そんなに俺が憎いか。いいだろう。ならば罪人として、心をもって歓迎しよう。

「いかにも。我は《ベルフェゴルの魔宮》大司教、ヴァルラム・クニャジェフ。戦禍の煙を吸い、淆血の葡萄酒を味わうため、魔物を従えてこの世のすべてを蹂躙せんとする者なり」

 魔剣士は腰にさげたカタナをようやく抜き放った。十数年ぶりに空気を吸ったそのカタナ……エルアズルより《ムラマサ》の名を賜りし真紅の妖刀は、十数年ぶりに喉を潤さんと、生き血を求めて不気味に澄んだ音を森にひびかせた。

「来るがいい、けだものたちよ。その血で俺を楽しませてくれ」



 ヴァルラムは己の血をぬぐい、その指でムラマサを撫でた。妖刀は歓び、鳴動した。ヴァルラムが横薙ぎに振るうと、飛び散った血はくだけた魔神の煙を紅く染め、人の姿に変えた。若かりし頃の魔剣士の姿へと。

 《魔影分身》。ヴァルラムのもっとも得意とする術。生み出されし分身の数、六体。

「おい、嘘じゃろ。六体じゃと?」ウィップは獰猛な笑みでうめいた。「昔の倍はおるじゃないか」

『ああ、そうさ。体は鈍ったが、魂は最高に仕上がってきてるからな』

 青年期の魔影が喋った。スヴェルターグの地下迷宮でともに戦った頃と同じ姿、同じ声だ。

『そして分身の動きは鈍っちゃいない。御覧のとおり、若いままの俺だ。覚悟してくれ、七代目』

「上等なのだわ! あたいの方が若いもんね!」

 少女術師マッハが雷霊珠の杖サンダーオーブロッドをかかげ、霊力をたばねる。彼女を守るため、一般兵たちは陣形を組んだ。

 最前線に立つウィップも覚悟を決めている。事前の想定を上回られたが、とるべき戦法に変わりはない。数の利で分身の手数を少しでも抑え、その隙に本体を狩る。術師であるマッハは本体への攻撃の要だ。なんとしても守り通す。

 ヴァルラムの魔影がぶれ、姿を消した。

 老いたウィップの眼では追いきれぬ速さ。面攻撃で捉えるしかない。《七代目のチェーンウィップ》を嵐のごとく振りまわす。

 あちこちで灰色の土が跳ねる。鞭で打ったものと、魔影が蹴ったもの。ふたつを見分け、魔影が移動する軌跡を推測し、誘導する。経験に裏打ちされた老兵の技。やがて鞭が渦を巻くようにしなり、紅い風と化していた魔影の左腕をとらえた。

 魔影はその左腕を、躊躇なく斬り落とした。

 分身であるがゆえにできる無茶か。ウィップは舌打ちする間も惜しみ、武器を《五代目のクナイ》に変える。

 魔影が迫る。

 すれ違いざま、老人はクナイを魔影の額に突き刺し、魔影は老人の腹をカタナで裂いた。

 膝をつくウィップの後方で、魔影は雲散霧消した。クナイが落ちた。

 ウィップは奥歯を噛んで痛覚を抑え込んだ。まだじゃ。倒れるには早すぎるぞ、老いぼれめ。

 己を叱咤する老兵を嘲笑うかのように、二体目の魔影が頭上を跳び越えていった。

 その先では、一般兵たちの槍衾が待ち構えている。魔影は空中で螺旋状に身をひねり、槍衾の隙を縫って着地した。その刹那に紅い刃は幾重にも閃いていた。音よりも速い斬撃は、槍を、盾を、鎧を斬り裂き、兵たちの血で花を咲かせる。

 いかん。突破される。《五代目のクナイ》を手元に引き寄せながら、ウィップはそう悟った。

 兵たちが倒れ、マッハへの道が開いた。

 しかしそのとき、彼女の詠唱は完了していた。

《うひひのひひひ、うひひのひ》! 落っこちろーッ!」

 雷霊珠の杖サンダーオーブロッドがひかった。霊力はヴァルラム本体の頭上に結集し、己が稲妻だった頃の記憶を呼びさました。光の速度で落ちてくるその衝撃、老齢かつ致命の傷を得たヴァルラムでは躱しようもない。

 だが、若いころは別だ。

 本体付近に残っていた一体の魔影が、その速度に追いついた。飛び上がり、身代わりとなって稲妻を受けた。稲妻と魔影はともに霧消し、ヴァルラムは涼しい顔で笑っている。

 マッハは悔しげにそれを見ていた。

 紅い影が彼女に迫る。ウィップがクナイを振り上げる。間に合わない。少女の心臓を貫こうと、カタナの切っ先が突き出される。

 その間に、割り込む者がいた。マッハがお兄さまと呼んだ青年だった。

 魔影のカタナは彼もろともにマッハを刺し貫いた。

 一手遅れて、クナイが飛ぶ。魔影の後頭部に突き刺さる。雲散霧消。青年と少女は倒れた。ウィップは立てない。一般兵たちが駆け寄るのを眺めるしかできなかった。

 助け起こされたふたりの内、青年はあきらかに駄目だ。カタナは鎧の上から鮮やかに心臓を刺し、彼の穏やかな瞳からはもう光が失われていた。だがお陰でマッハは助かった。げほげほと咳き込みながら、涙のかわりに言葉ならぬ言葉を叫ぼうと試みている。傷は深いが、メイウッド商会特製の霊薬ポーションならば命は得るだろう。

 ウィップ自身も懐から霊薬ポーションを取り出し、一気に呷った。そうしながら、ふたたびクナイを手元に戻した。いくさ屋としてなすべきことをなさねばと、彼はそう決めていた。



 残る魔影は三体。一体はバルドが引き受けている。彼が相手している魔影は、他のものより動きに精彩を欠いていた。クリストファーによる干渉のためであろうか。

 残りの二体は、ジルケの部隊と刃を交えていた。一体は一般兵たちの陣形に切り込み、もう一体はジルケが単独で引きつけている。

「クソ野郎め……! さっさとくたばり、なァ!」

 彼女は馬を走らせて集めた風を刃とし、本体に飛ばす。風刃は残った魔影のカタナに逸らされ、本体には届かない。さっきからずっとこうだ。しかし魔影ひとつの動きを封じられるならば、決して無意味な攻撃ではない。間合いでは槍騎兵たるジルケの方が上、その有利を徹底的に押し付ける。

「ふむ。いささか面倒だな」

 ヴァルラムは風を切って駆ける馬を目で追いかける。駿馬の切る風があの女騎士の最大の武器というわけか。ならば多少の無理をしてでもそれを奪うのが得策だろう。

 幾度目かの風刃がくる。ヴァルラムは魔影に防御させず、みずから体を動かし、肩を切らせるに留めた。

 魔影は風とすれ違った。ジルケが瞬きする間に、至近距離に近づいていた。

 カタナを振り上げる。

 紅い軌跡はジルケではなく、彼女の馬の首を撫でていた。生温かい血が噴き上がった。駿馬は風を切りながらも、前のめりに転倒した。

 ジルケは宙に放り出されながらも、眼光は魔影をまっすぐに向いていた。

 視線の軌跡をなぞるように槍を突き出し、頭蓋を貫いた。魔影は霧消した。それを見届けた直後、ジルケは地面に体を打ちつけた。

「うん。悪くないな」

 ヴァルラムは頷いた。分身ひとつと女騎士の風ならよい交換だ。肩の傷も心地よい。

 彼女の率いていた部隊に意識を向ける。

 丁度そちらでも、魔影が消滅したところだった。数人の命と引き換えに、四方から串刺しにされていた。ヴァルラムは感心した。見たところ術なしの連中ばかりのようだが、執念次第でやれるものだ。

 特にボブカットの女性兵士。胸を縦に裂かれ、なかばから槍を折られても、まだ闘志が失せていない。

「お覚悟、なさいませ……!」

 彼女は折れた槍の切っ先側を振りかぶった。ヴァルラムに投擲するつもりか。躱すのはわけないが……あんなに必死なのだから当てさせてやりたい。当てさせてやろう。ヴァルラムにではないが。

 魔剣士の眼が妖しく輝いた。

「んあっ! あ、ああぁ……っ!?」

 女性兵士は頬を染め、嬌声をあげた。体は彼女の意志と無関係に、びくびくと淫靡に震えた。

 《淫魔の妖瞳インキュバスアイズ》。あまり好きとはいえないが、ヴァルラムが生まれ持った才能だ。この女はさっきレムに淫霊術をかけられて胎がうずいている。簡単に魅了できた。

 操られた女性兵士の体は意志とは無関係に動き、槍の狙いを変えた。ヴァルラムからジルケに。

 女性兵士の瞳が快感と絶望とに揺らいだ。

 彼女の唇が、わななくようになにかを紡いだ。誰かの名前のようだった。それが彼女に抗う力を与えたか、彼女は槍をどこにも投げず、己の喉に突き刺した。

「なんと」

 ヴァルラムは目を見張った。

 魂の尊厳を守り抜いた女が倒れゆく姿に、彼は釘付けとなった。

 故に、ジルケの動きに気付くのが、一瞬遅れた。彼女は愛馬が倒れるまで集めてくれた風を束ね、風の刃を放っていた。

 防御に回せる魔影はない。だが躱せる。彼は体を動かそうとして……その膝が、がくりと崩れた。

(酩酊だと? この俺が?)

 酒の強さには自信がある。ヴァルラムは瞬時に悟った。レムを嘔吐させた酔霊術師の男。奴がどこかに……。

 風の刃がヴァルラムの左腕を断ち斬った。



【続く】

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