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最終章の向こう側 第二話

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最終章の向こう側
第二話 西村クリニック
 宮本さんの改装工事はそれなりに順調に進んでいた。仕事から帰ると読み書きする気力もないくらいだ。突然、書けなくなったわけじゃない。段々と書けなくなった。なにもイメージが浮かばない。突然、浮かばなくなったわけじゃない。浮いてきた瞬間から、蜃気楼の向こう側の世界に消えてしまう。なんとか気力を振り絞って新しい本を読もうとした。ミランクンデラの「冗談」というクンデラのチェコ時代作品、長編第一弾だった。敬愛するJ.P.サルトルが高評価し、ジジェクが絶賛していたやつだ。読み終えて、更にクンデラ研究者たちの論文もいくつか漁ってみた。結局、クンデラは楽観的でシニカルな「無意味の祝祭」が集大成な気がした。書けないから他人の書いた素敵な本を読むことにしたはずが、まともに文字も読むのが辛くなっていた。
「本のことばかり鬱々とやってて楽しいの?」
「俺もなんでこんなことしとるんかわからん。なんか創作で憂さ晴らしだとか、笑えたらなーとかさ、考えながらやってみたけど、何しとるんやろな。おもろいかおもろないか、ってよりも、言葉が何故か思い浮かばない冗談みたいな状況やし、まあ、ちょっとシモーヌちゃん、静かにしとって。書きものする」
 大工は仮初の姿で俺は次期ノーベル文学賞にノミネートされかけている作家、サルトル仮称だ。好きな食べ物はプリンで、好きな飲み物はビール、好きな女の子は妻のシモーヌ仮称と娘のリサ仮称。高身長、中収入、低学歴と、かなりバランスの取れた形容詞を持っていて、世界各国語に翻訳され、国内でも200万部の売り上げとなった、あのハイパーミラクルファンタジーラノベ、「サルトル先生とシモーヌ」の著者でもある。俺のことを根掘り葉掘り、大学教授たちが研究テーマにし、文学部の卒論テーマにする学生で溢れている。コンビニでもたまにサインを求められて、照れる。生きてるのに大学の文学部で研究されるなんて、大江健三郎、村上春樹やミランクンデラにイシグロ級だ。彼らはいつどこで育って、誰とセックスしてどう感じて、ってのまで研究されるから、俺もプライバシーには気を付けないとだし、おちおちシモーヌと車の中でセックスすらできやしない。

 そこまで想像していると、テクストの中のシモーヌが俺を心配そうに見つめてきた。
「あのね……。そういう妄想を中二病っていうのよ……。少し、ここ数ヶ月鬱気味に見えるし、一度一緒に病院へ行ってみない?」
「大丈夫やって。本書く人ってのは、少々ぶっ飛んだ発想とか想像できんとあかんのよ」
「ふーん、でもさ、心配だし、行こうよ」
「大丈夫やから」

 建築士の資格を2年前に取った後、立て続けに建築施工管理技師の資格を取り、家業の建設会社を盛り上げようと必死になっていた。兄貴ふたりは建設業界とは全く違う世界で生きる道を賢くも選び、三男の俺が後継となってしまったからだ。そして結婚、愛娘の爆誕と激動のターニングポイントだった去年。娘が誕生する少し前の秋、燃え尽き症候群に感染した。断熱材施工会社の西村さんに心配され、シモーヌにはまだ言っていないが、西村さんの怪しげな副業クリニックで診てもらった。

 「西村クリニック」と段ボールにマッキーの黒で書かれた看板もどきが西村さん宅の郵便ポストの横に貼られている。中に入ると、意外にも3人ほど患者が待合室という名の玄関にいた。受付の看護師をよく見ると、ハナオカだ。
いつも通り、茶色のツイードのスーツに焦げ茶色の厚手のタイツと黒のピンヒールを着込んでいる。化粧もオカメ納豆なので、わかりやすい。白のカウンター越しのハナオカは、何故かとても清く美しく見える。
「あら、サルトルくん、遂にやったのね?あの病気。恥ずかしがる事も後ろめたく感じることもしなくてよろしいですから。知り合いってことで順番飛ばして差し上げますわね」
「え、そんなん、いいんすか?」
「いいの、いいの」
「あの、保険証一応出しますね」
「あー、いらないから、早く診察室へ」
先にいた3人の患者たちが俺を恨めしそうに見る。その視線がかなり痛い。無理矢理、順番を飛ばされて、診察室へと案内された。
部屋にはブランコが二つ向かい合わせに設置されていて、西村さんが乗っている。
「はい、では、リラックスして、とりあえずブランコ乗っていいから」
言われるがままにブランコに俺も乗る。

「じゃあ、はじめましょうかね」
「お願いします」
「生年月日、お名前、好きな異性のタイプ、性癖、いつもの夫婦生活のこと、少しプライバシーに関わるけど、大事な事だから。聞かせてもらっていいかな?」
「あ、はい。でも、そんなん、関係あります?」
「まあそれは、話を色々としてから判断するから、じゃあどうぞ」
「1994年8月○日生まれ。サルトル仮称です。好きな異性は、特にこれってのは、ないっすね。顔のパーツ整ってるのと、おっぱい大きめ、ケツでかめかな。あとは」
「俺もそうだわ!続けていいよ」
「あとは性癖か、普通やと思います」
「続けて」
「夫婦生活は楽しいです」
「セックスしてます?」
「してます、妊娠8ヶ月目入りましたけど、普通にしてます」
「なるほどねぇ、体位は?やっぱバックでパンパンと?」
「ですね」
「なら、奥さんとの関係はまあまあお楽しみと?」
「西村さん、これ、ほんまに俺の診察と関係あるんすか?」
「サルトルくん、いや、散文家サルトル先生か、診察と関係あるなしはね、僕が決めますから、安心して心開いて自由に話してくれるかな」
「なんか、興味本位で聞かれとる気が。大体、散文家って、俺インスタとかに趣味であげとるだけやのに」
「サルトル先生、テクストの世界ではあなたはノーベル文学賞候補者っていう設定だし、まあOK。でね、奥さん、ちゃんと配慮してあげてんの?やる時」
「そりゃしてますよ」
「お腹の赤ちゃんに君のレゾンデートルが当たったりはしてない?」
「当たるはずないでしょ!いや知らんけど、頭にってことっすよね?」
「そう!」
「いやー、ないと思う」
俺は、リサに数年後お腹の中にいた時に、何かが頭をつんつんしている感覚あったか聞いてみようとその時、固く決意した。

「結論から言うとね、燃え尽き症候群、かもしれない」
「西村さーん、適当すぎん?だからちゃんとした病院行こかな思っとたんに……。そもそも、西村さん医師じゃないっすよ」
「あはは、まあまあ、慌てなさんなって」
白の給食のおばちゃんみたいなスモッグを着て、ツイストパーマのカツラの上から同じく白の三角巾をつけている西村さんは、どこからどうみてもいつもの西村さんだった。左胸には手書きで「西村」と書かれたネームプレートまで付けている。
「神戸から遠距離恋愛中の彼女のために、こっち帰ってきたのが、去年の4月。その前年に建築士取得。サルトルくんね、だいぶ走ってきて、どかーんとまた環境変わったでしょ?」
「まあ、そうっすね」
「燃え尽きたかもなー、燃え尽きかけ。適応障害系かなと、思うから病院行ってみたら?」
「え?ここやないんすか?」
「ここは井戸端会議」
そう言い切ると、西村さんは、近辺のメンタルクリニックをググッた。
「ここ近いね、ここ行ったら?」
「そんなん、適当すぎますやん……。」

こんなやり取りをして、ブランコ搭乗費として三万円取られた挙句、他のクリニックへ行ってこいと一応西村さんは心配しながら勧めてくれた。ハナオカに道を教えてもらい、その日のうちに別のちゃんとしたクリニックへ行った。西村クリニックを出る時、「お薬だしときますわ」とハナオカは言いながら、自分のロキソニンを俺に一錠くれた。

 ちゃんとした医師の話では、「適応障害」かも知れない、らしい。こうして去年の10月から月に一度来るよう医師に言われ、それ以来、西村さんのクリニックではなく、逗子の紹介してもらった心療内科に通院するようになった。変なプライドと心配させたくなくて、妻のシモーヌには、通院していることを言えずにいた。だから、テクストの中のシモーヌに、「一緒に病院行こうよ」と言われた時は、少しヒヤッとした。10年前に思春期病棟に居たことも言えずにいた。

 ここまで書いていると、テクストの中でシモーヌ、西村さん、ハナオカらが俺を無視して話始めていた。
「サルトルくんはさー、一話目で宮本さんの話書き始めてたじゃん?あそこ、俺を何故同行させなかったかなぁ」
「ハナオカ的には三話目あたりで、宮本さんとサルトルくんは寝ると思うのです。シモーヌさんを目の前にして、こんなこと言うのもなんですけど。これまでの物語でセックスの描写がないものってごく稀ですし」
「うん、わたしも頭にくるけど、そう思う。わたしのこと揶揄してんのかなって勘繰るし、わたしに内緒で通院しはじめてるなら相談くらいしてほしかったな」



パチン、とシモーヌがテレビをつけてチャンネルを国営放送に変え、僕の目の前に立っていた。
「書けた?」
「わからん。なんか文章が文章として成り立ってない。言葉も思い浮かばない。もーあかん。辞めたい」
「誰も頼んでないし、辞めたらいいのに」
「そう言うかもやけど、俺にとっては、書くことが癒しというか、再生というか、そういうものやから」
「完全に辞めるんじゃなくてさ、宮本さん、だっけ?宮本さんの仕事ひと段落つくまで辞めたら?」
「でも、頭の中では、西村さんもハナオカも、シモーヌちゃんも喋りまくっとんねん。時々やけど。また、俺、変な病気なったんかもしれん」
「誰だってそんな時あるわよ。わたしだって、想像して時々現実逃避したくなるもん。サルトルはとりあえず、現実だけにしばらくフォーカスしてたら?落ち着いたらきっと言葉もまた繋げられると思うよ」
テレビからは、野戦病院がどうとかで、湘南鎌倉総合病院でのコロナ禍の病床対策模様が流されている。
みんな大変なんだ、僕だけじゃない。
テレビの斜め上に飾ってある少女の絵をぼんやりと僕は眺めた。

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