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ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番・第二楽章

広大な大地の地平線から夕陽が差し込んでくるような美しく雄大な旋律──ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第二番第二楽章が始まり、妻が肩を震わせて泣き始めた。つられて僕も泣いたミハイル・プレトニョフ氏のラフマニノフ・ピアノ協奏曲全曲リサイタルの第一夜。
先日、妻の恩師から東京オペラシティコンサートホールでの第一夜と第二夜のS席を二枚ずつ譲っていただいたコンサートでの出来事である。

新宿に来たのは4、5年ぶりかもしれない。
まだ結婚する前、彼女の大学が調布市仙川にあり、僕が関東にいる時、たまに車で彼女をピックアップしてデートしに行った。甲州街道の渋滞ぶりにいつも疲れてしまっていたことも、今となっては、懐かしい。
娘が生まれてから、二人だけでおしゃれしてどこかに出かけるのはかなり久しぶりだった。いつか娘も一緒におしゃれしてリサイタルに出かけたりするようになるのだろうか。
コンサート開演の少し前に妻と恩師と三人で軽い夕食をとり、この数ヶ月の出来事を妻が一生懸命話していた。

こんなことは書いちゃいけないのかもしれない。
去年の秋も今年の秋も、僕たちにその輝きを現前することなく帰天していった星々。長女の時は生まれてくることを当たり前だと思っていた。
二度の天使の舞いは、それが当たり前ではなく、奇跡であったことを知らしめた。愕然としながらも、どこかで、ああ、また、という持ってはいけない感情もわずかながらあった。僕なんかより当然彼女の方がしんどいに決まっている。僕は僕の目の前にある現実を大事にすることしかできない。
夜空を見上げ、ふと考える。
───僕は喪失の星のもとに生まれ、彼女はその喪失の星の残骸から新たな星を見出すための存在者なのだろうか、と。
凸凹の夫婦は、喧嘩したり一緒に泣いたり怒ったり喜んだりして、足りないものを互いに持ち合わせの未完成な輝きで埋め合う。
3人だっていいじゃないか。そんな風にも思う。でも、兄弟ってやっぱりいたほうがいいに決まってる。僕の勝手なエゴ。

いつか、彼岸で数多の星々の瞬きの中から、彼らの痕跡を見出すのだろうか。その時まで精一杯に今を大事にしようと誓い、アンコールのラフマニノフ、プレリュードop23. no.4が優しく強く包み込んでくれた余韻に浸りながら、帰り道、ふたり手を繋ぎ、娘を見てくれている僕の母の待つ家へと、夏の群青色の夜がまだ少ししがみつくようなアスファルトの坂道を走った。

一陣の潮風が吹き抜け、灯りを見つけて、安堵を覚えた日。

僕の好きなカラヤンとワイセンベルクによるラフマニノフのピアノ協奏曲第二番第二楽章


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