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全体主義の克服

著者 マルクス・ガブリエル/中島隆博 
集英社新書 Kindle版

本書は二人の哲学者、マルクスガブリエルと中島隆博の対談形式となっている。

科学技術の生み出す国境、境界線なき目に見えない全体主義、グローバル資本主義、心なき経済活動への厳しい批判をしている。
また、それを乗り越え新たな世界秩序を生み出すためにも、哲学に、現在起こっている現象をよりよく理解できるようにすることが求められる、としている。

GAFAに搾取されるデジタル・プロレタリアート。ぼんやりとはわかってはいるものの、無自覚にそこに身を置いている。SNSとの距離の取り方を考えさせられる。

と、ここまで書いた俺自身の文章を読み返していて、ハンナアレントの『エルサレムのアイヒマン』での凡庸な悪と俺の無自覚は本質的には変わりないのを何となく恐ろしいなと思った。

アイヒマンは、アイヒマンの言い分では、普通に命令に従って仕事をしたまでなのだ。無自覚、無思考なのはアイヒマンだけではなく、SNSとの距離感や、トレンドを見たりする俺もそうなりかけている。

※しかし、「悪」は、大義における正義という自覚があるという主張もある。


マルクスガブリエルは全体主義に対峙する彼の思想を本対談でものべている。

全体主義に対峙する新実在論
全体主義はすべてを「 一」へと 取り込もうとする ものです。そこでは他者や他性をめぐる繊細な議論が根こそぎ消されてしまいます。全体主義的な「 一」 は強力な同一性を強迫的に構築するばかりで、その「 一」が変容 することをあらかじめ 退けています。 全体主義を克服するために必要なことは、「 一」も また 変容 し、同時に「 全体」なるものが 根底的に変容することを構想することなのです。
マルクス・ガブリエル; 中島隆博. 全体主義の克服 (集英社新書) (Kindle の位置No.1053-1056). 株式会社 集英社. Kindle 版. 

ポピュリズムとは?

大衆側から見た思想含め全てに関しての扇動の仕方をポピュリズムという。
過去、ナチスドイツなどのような全体主義は国家主導型であった。
現在はどうか?

現在、全体主義の核心はデジタル化である。全体主義国家は存在しない。技術そのものとそれを操るソフトウェア企業群が、全体主義的な超帝国を形作っている。

今や全く違う方向から完成された全体主義がやってきて、市民たちが自ら疑似独裁を生み出している。
市民的服従が新たな全体主義の本質である。
=民主主義の病理

民主主義とはそもそも何か?

「上」の指導層を「下」から作り上げていくことであり、「上」の指導層に問題があるなら、それを選んだ「下」の人々に問題がある。
つまり、独裁の根はいたるところにある。それは市民の行動のなかにある。
『全体主義の克服』マルクス・ガブリエル/中島隆博

その通りだと思う。

マルクス・ガブリエルの提案したいこと

この新しい全体主義を食い止めるためには、人々が自分の行動を認識することが必要です。それがわたしの提案したいことです。人々は自分が何をしているのか知らないのです。(マルクス・ガブリエル)
『全体主義の克服』マルクス・ガブリエル/中島隆博

Facebook/Twitter etc.は二者択一を人々に強いる非常に単純なアルゴリズムだけである。
これは複雑化された差別のマシーンにすぎない。
好きか嫌いかに基づいていて、中立的なものはないがしろにされる。

たしかに「いいね」しかない。そしていいねを押された根拠、動機や背景は見えてこない。

余剰価値をGoogleなどのGAFAのためにユーザーは生み出している。

exe.誰かがクリックするという労働をするたびに、多くのデータが生み出され、Googleはそのデータをお金に換えることができる。しかし、GAFAからは我々に何の見返りも支払われていない。
GAFAに「搾取」されている

インターネットのために働く人々、ユーザー=デジタル・プロレタリアート

コントロール権を取り返すためのデジタル革命が必要だということをマルクス・ガブリエルは提案している。

中国での監視システム


中国の人々は、ひとつのアプリを通じて、完全に政府の管理下に置かれている。地下鉄の乗車、スターバックスでの飲食、書類、笑顔など、日常のありとあらゆる行動が直ちにデジタルシステムにフィードバックされている。現実の社会経済的な領域はもはや監視の全体主義的なシステムを逃れられない。

人々はその行動からスコアリングされている。実家を訪ねる回数など儒教的価値観をデジタルなスコアリングに導入している。現代中国では、このスコアリングがテクノロジーと結びついて、倫理の基盤になっている。

中国だけでなく、やがては他の国でも同様になり得る。
デジタル全体主義の病理とも言える。
まさしく、ジョージ・オーウェルの「一九八四年」である。

デジタル全体主義に対抗するには

デジタルな支配は中国だけではなく、我々も既に同じような事をしている。中国をはじめ先進国を覆いつつあるデジタル全体主義に対抗するためには、さきほど提案したように、デジタル革命が必要だ。

こうした危機への対抗運動として必要なのは、本当の意味でグローバルな新しい哲学である。多くの哲学者がこれに関わらなければいけない。ヘーゲルのような人物がひとり現れればいいというわけではないのだ。自分たちを人間として考えるグローバルで新しい知の様態が必要であり、それが我々の来るべき市民宗教になっていく。

全体主義に対峙する新実在論

全体主義 は すべて を「 一」 へと 取り込も う と する もの です。 そこ では 他者 や 他 性 を めぐる 繊細 な 議論 が 根こそぎ 消さ れ て しまい ます。 全体主義 的 な「 一」 は 強力 な 同一性 を 強迫 的 に 構築 する ばかりで、 その「 一」 が 変容 する こと を あらかじめ 退け て い ます。 全体主義 を 克服 する ため に 必要 な こと は、「 一」 も また 変容 し、 同時に「 全体」 なる もの が 根底 的 に 変容 する こと を 構想 する こと なの です。
マルクス・ガブリエル; 中島隆博. 全体主義の克服 (集英社新書) (Kindle の位置No.1053-1056). 株式会社 集英社. Kindle 版. 

「超限」とは何か

複数の無限の無限=超限

「無限の全体性というヨーロッパの古い概念は、原則として、全体化できない超限という概念に置き換えられなければならない」
『超越論的存在論ードイツ観念論において』マルクス・ガブリエル(未邦訳)

無限に多くある連鎖のひとつがわずかでも変化すると、対象もまた変容してしまう。

存在者の無限に長い連鎖は無限にある。すべての対象は無限の連鎖のなかにあり、その無限の連鎖もまた別の無限の連鎖のなかにある。

これが現実(実在)の構造である。こうした連鎖をすべて包含するものはない。すべてが部分であるようなメガ連鎖はない。単に無限に多くの連鎖がある。

それは無限の球体であり、その中心はいたるところにあり、その円周はどこにもない
『パンセ』パスカル

東アジア哲学に秘められたヒント

キリスト教やユダヤ教に深く影響されている西洋哲学は東アジアの哲学にヒントがかなりあると両者の一致した見解。

俺は、東洋哲学に疎いため、深くは理解できていない。

倫理的消費が資本主義を変える

差異が現代の資本主義の貨幣となっているともいえる。デジタル時代とは差異が見渡せる時代である。

資本主義の倫理を考えるならば、差異の消費というモードを変えていかなければならない。

「何かを読む」という消費も同様の基準で考えられます。地下鉄のなかで、Facebookのニュース記事を読むことは、きわめて非倫理的な消費の一例です。なぜか。人々はそれが自分を愚かにしていることに気づかずに読んでいるからです。ですから、自分が読むことに無自覚な読書は、非倫理的な読書なのです。
『全体主義の克服』マルクス・ガブリエル/中島隆博

新たな啓蒙に向かって

哲学者たちは最も現代的なものを研究すべき。何を教えるにしても21世紀の精神で教えなければならない。

「人間的になること。ともに人間的になること」
『全体主義の克服』マルクス・ガブリエル/中島隆博

「一なる全体にすべてを包含しようとする諸概念(世界、存在、科学主義、資本主義など)を批判し、より偶然や他者に開かれた地平を示そうというのが本書のポイント」であると最後、中島隆博が締め括っている。

もう一度、全体主義、資本主義、科学技術が作り上げている巨大な渦をきちんと理解すること=哲学的な概念を鍛え直すことで、我々の現実に対する社会的想像もまた変容しうる。
と中島隆博は主張している。

本書を一気に読んだため、中国哲学の部分はよくわからないままである。もう少し、東アジア哲学を学びたいとも思わされた。


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