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周瑜と野ばらと焼き芋と

かなたから、おおぜいの人のくるけはいがしました。見ると、一列の軍隊でありました。そして馬に乗ってそれを指揮するのは、かの青年でありました。その軍隊はきわめて静粛で声ひとつたてません。やがて老人の前を通るときに、青年は黙礼をして、ばらの花をかいだのでありました。
『野ばら』小川 未明著

 午前9時。宿泊中のホテル前で僕はウォンさんを待っていた。あるクライアントとの事業計画を煮詰める大事な会議が20キロほど離れた別の日系旅館で行われる。通訳のファンさんは既に自家用車で向かっているようだ。
ウォンさんとは2回目の顔合わせで、わずかながら英語も通じた。

「どうです?蘇州は少し慣れましたか?」

僕より6つ年上で34歳、容姿端麗なひとだ。185cm近くある僕でも少し見上げるほどウォンさんは背が高い。切れ長の一重の目と鼻梁の高いウォンさんの横顔。三国志、呉の孫策と孫権に仕えた軍師、周瑜もこんな感じだったんだろうか──とりとめもなく冷たい空気が静まり返る草原に流れる冬の呉を想像していた。

「ええ、とても気に入ってます。霧が毎朝濃くて幻想的でいいですね。一昨日、蘇州城を観てきました。悠久のロマンを感じれて良かったです。孫権とか周瑜とか。ただ、城から目の前の工事現場のクレーン・アームが何本も見えて、現実がシュールに思えました」

「まあ、そうですよね。風致地区以外はどうしても高層ビルが立ち並びますからねぇ」

「ヨーロッパだと高層ビルはない国が多いですが、僕の日本やアジア、アメリカは高層ビルこそ国力の誇示みたいなところ、ありますよね」

「確かにそうですね、あまりそれは考えたことなかったなぁ」

そこで話は途切れてあとはただ沈黙が流れた。イデオロギーの違いからくる話に触れてしまったかどうか少し不安になった。彼らは非常に面子を気にする慣習がある。そんな政治的体制や日本より建前を大事にする慣習とは裏腹に、事業計画を聞いている限り、経済的イデオロギーは圧倒的にここ中国の方が民主的にも思えてもくる。

 姿勢よくタクシーの順番を待つ黒いスーツ姿の野心とバイタリティに満ち溢れたウォンさんを横で見ていると、「馬に乗りそうだな、この人」と、どうでもよい妄想が思い浮かんだ。

僕らのタクシーに乗り込んでもまだ無言だった。僕は高層ビルとアメリカの話題で不安になってもしょうがないと思い直した。馬に乗りそうな男が、そんな小さな事を気にするはずもないだろう。

 タクシーに揺られながら、窓から見る晴れた冬の高い空をながめていた。隣のウォンさんは目を瞑りながらも姿勢を崩さないでいる。

「そういえば、ウォンさんはどこかジムでワーク・アウトとか、されるんです?」
「いえ、泳ぐくらいです。あと社交ダンスを少し母の付き合いでやってます」

社交ダンス──どおりで姿勢が良いわけだ。

「今日の打ち合わせでとりあえずアウトラインとしてまとめてしまいたいなと思ってますが、ひろさんのお考えは?」

「あ、僕ですか?僕もまあ、そうですね。もう年末ですし、○月からのスタートだから今日まとめておかないと……」

「おかないと、というより、まとめましょう」

周瑜やら馬やら社交ダンスのことを考えている場合ではない。一応きちんと僕は今日まとめるつもりでアウトラインをしっかり文書化してある。それでも切れ者のオーラがただようウォンさんに、僕の頭の中を覗かれたのではないかと思えてならなかった。同時に羞恥心が湧いてきた。

 羞恥心といえば、今でも心の隅に澱のような記憶が残っている。子どもの頃、僕は話すことが好きなのに、人前で話すことがとても苦手だった。今でも苦手だが、昔ほどではない。軽度の吃音があった。父が練習に付き合ってくれたおかげなのか、成長とともにそこまで気にならなくなった。個人差があるようだが大人になっても症状が変わらないひともいる。そうしたひとがいたら、どうか、話終わるまで待ってあげてほしい。今でも日本語だとストレスや緊張が高まると顔を出す時がある。英語だと何故か症状が出ない。

 国語の授業で音読の順番が回ってくるのが嫌だった。ある4時間目の国語の時間。小川未明の『野ばら』を担任の女教師が音読プリントとして全員に配り始めた。僕はそれを見て小さいなりに先生と父が何かしら結託したんだなと思った。その数日前に同じプリントを父が僕に練習用に読ませていたからだ。プリントが全員に行き渡り、僕の列が都合よく「順番に読んでみましょう」となった。僕は1番後ろの席だった。今でもあの時間だけ鮮明に覚えている。父を恨めしく思った。僕の前には女の子が座っていた。順々に読まれていく間、僕はみんなの音読が聞こえないくらい、自分の心臓の鼓動が鳴っているのを感じた。手に汗をかいてぎゅっと鉛筆を握っていた。鉛筆で文字を追うことだけに集中すること。あとは深呼吸して楽にすること。それが僕と父との根拠のない練習のルールだった。
 女の子が僕の顔を覗き込みながら「ひろくんの番」と言ってきた。
『大きな国とそれよりは少し小さな国とが隣り合っていました。』
練習の甲斐があって何とかスムーズに行けた。
次の瞬間、緊張のあまり、鉛筆を落としてしまった。他の鉛筆を取り出して握りしめようと筆箱を開いた。女の子が落ちた鉛筆を拾って渡してくれた。それでも次がどうしても無理だった。
『当座、その二つの国の間には、なにごとも起こらず平和でありました』
当座、当座とうざとうざとうざとうざとうざとうざとうざとうざとうざとうざとうざとうざ──「と」さえ言えたら全て上手くいくはずなのに、それができない──僕は恥ずかしくて顔を真っ赤にして泣くのを何とか我慢した。みんなが笑い始めていた。先生が、笑う子どもたちを叱り、『その二つの国の〜』と代わりにゆっくり読んでくれた。笑われていることよりも、「読まなきゃ」、「父と先生のために読まなきゃいけない。全部無駄にしてしまう」という子どもながら大人の期待に応えなきゃいけないというプレッシャーと「と」を言わなきゃいけないという焦りで頭も心もいっぱいになり、気付けば涙が止まらなくなっていた。
「ひろ君なんで泣いてるの?」
前の席の女の子や周りの子どもたちが先生に聞き始める。そのあとのことは、覚えていない。給食の時間になって、焼き芋が出た。皮がついたまま頬張ると、口の中に涙の味が広がって、ぱさぱさした乾いた気持ちと雨の降る日のような湿ったやるせなさ、父への理不尽な怒りや笑われたことへの羞恥心が混ざった。

 周瑜は理由もなく、どうしてだか、小川未明の『野ばら』の青年を僕に彷彿させる──ぼんやりとそうした子どもの風景を思い出していたらタクシーが赤で止まった。横断歩道の向こう側を見ると、ドラッグストアに少し人だかりができていた。僕はそのまま眠りに落ちてしまい、不思議な夢を見たりした。唐突に、肩をトントン、とされた。目を開けて窓を見ると、外は広大な草原が広がっている。

「着きましたよ、行きましょう。こっちに乗り換えて」

周瑜はそういいながら、颯爽と馬に乗り、僕もそれにならった。北風が顔を撫でていった。
馬と周瑜が霜の残る草原を駆け抜ける。
どこからともなく、焼き芋の良い香りがした。

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