希望を与える場になるには③
しばらく空いてしまいました。前回までに当店は本だけでなくその先の希望を与えることをミッションとすること、そのために本当の意味での居場所(=茶の間)、生のリアリティを取り戻すための他者(あるいは他者としての本)の介入、そして現在のノリを更新する「脱コード化」へという当店の考えを公開しました。今回はその実践例としての輪読会について書いていこうと思います。
昨年の『資本論』輪読会に始まり今年の『人間の条件』輪読会と2週間に1回、輪読会を開催しています。
この輪読会のポイントは古典で行うことです。普段我々が当たり前と思っている考え方や価値観を構築してきた古典にを読むことはやはり価値が高い。しかし古典は得てして難しい。ということで一人では挫折してしまいがちですが、みんなで鼓舞し合ってこの機会に読むぞーという魂胆です(人文哲学書に拘る理由はまた別の機会に)。課題本は一つでも、参加者毎に異なる読み方が存在し、一人で読む単眼的な読書ではたどり着けない、複眼的な読み方ができることが魅力です。
こういう会に参加する人っていうのはもともとそういう分野が好きな人なんでしょ?と思われがちですがそうとも限りません。最近はあまりこの手の本を読んできていないけど、なんか面白そう!知りたい!ということで通ってくださる主婦の方や、リタイアされた方もたくさんいらっしゃいます。お陰様で『人間の条件』輪読会はオンライン参加を含め毎回約10名くらいの参加者にご参加いただき、課題本の『人間の条件』はトータル約50冊販売しました。以前『資本論』輪読会を始動する際は、この小さな長崎でそんな会ができるのか?というお声もいただきましたが蓋を開けてみると盛況です。どんな街にも本質的なものを求めている人は絶対にいますし、というか寧ろ本質的なことをみんなで楽しむのであれば街の小ささによる街での相対的な影響力の大きさ、家賃の安さなどから地方(かつ2階)の方が向いています(このあたりもまた別の機会に)。できるだけ本質的なものを本質的なまま扱うことで、地方だからって低く見積もるような眼差しに私は抵抗したい。
さて、この輪読会というのは先に提唱した「脱コード化」への実践です。ここで重要なのがそれは「他者」との「語らい」によって達成されるということ。この2つは一見関係なさそうですが本を通して希望を与えるためには極めて重要だと考えています。なにより私が輪読会に参加するようになり、そこから派生して参加していなかったら絶対に読んでいないであろう、いろんな書物を読むようになりました。書物の中身もそうですが「他者」によって鍛えてもらっていて、ほんと感謝してもしきれないです(年寄りになって振り返ったときにきっと今の100倍くらい感謝していると思います)。「他者」との「語らい」に参加することによって自己を「脱コード化」することができる。逆に言えばこれらがなければ、自分の好きな分野や必要な分野以外の本なんて読まないものです。自分だけだったら世界は広がりません。自分の外側には自分だけでは出られない。余談ですが昨今もてはやされている「好き」を大事にする風潮に対して個人的にどうも乗り切れないのは、「好き」を大事にしすぎると「好き」以外のものに不寛容になり、どんどん個人化、内向き化していく気がしてならないからです。それよりも本質的な難書を「他者」と「語らう」ことで「脱コード化」することにこそ希望はあるのではないでしょうか。
ということで『資本論』や『人間の条件』のような古典や難しいけど内容の濃い書物をどんどん入荷したいのですが、古典と呼ばれなくても素晴らしい本はたくさんありますし商売である以上売れなかったら元も子もなくて、日々「行け」と言う内なる自分と「待て」と言う内なる自分との戦いです。しかし少なくとも私は人間が築いてきた時間の堆積を可能な限り立てたい立場ですし、ずらっと並べることは厳しくても課題本を1冊設定してそれをみんなで語らい楽しむことは十分できる。規模は小さくても本質的な書物を大事にしているよというメッセージにはなるかなと思っています。
話を戻すとこんな「他者」との「語らい」があるからこそ読書という行為はより生きてくると言いましょうか。よく言う「知る楽しみ」や「世界が広がる」みたいな読書の根源的な機能は、適切な「語らい」があって初めて機能するんだと思います。誰かに話す機会があって初めて読む行為は意味を持つ。今や「語らい」はオンライン上の「検索」や「レビュー」にとって代わりましたがもう一度オフラインで、目に見える「他者」同士で語らう。そうすることで副産物としてつながりも生まれますし。そうすることで初めて自己は解放される(めちゃオーバーですが)。希望を持てる。
競馬の世界では「良い馬が良い騎手を育て、良い騎手が良い馬を育てる」という言葉があるそうです。馬は馬だけで強くなることはできない、騎手は騎手だけで強くなることはできない。いずれもお互いがいないと強くなれないという、実に美しい言葉です。「他者」と共に適切に「語らう」ことからやがてその先に希望は訪れるのではないでしょうか。しばらく皆さんの力をお借りしながらウォッチしてみようと思います。
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