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編集者K氏の想い出⑤/村上春樹の文章

講座や雑談の中で、村上春樹の名前の出ることもあった。K氏自身は、直接関わったことはないようだったが、吉行淳之介と親しかったことで、デビュー当時のことなども詳しく知っているようだった。

しかし、K氏は村上春樹の文章が嫌いで、よくそうした話をしていた。嫌いとは言え、後に中国の大学で日本文学の講座を行うときに、村上春樹を取り上げるなどはしていた。

「プロの作品を読む」という講座で取り上げられる作品は、K氏が担当したりした本が多かった。しかし、色々な作家を取り上げてきたこともあり、最後の方になるが、受講生のリクエストを聞いて、村上春樹をやろうかということになった。

本は、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』。『ノルウェイの森』の元となる「蛍」を取り上げての講座が行われた。

安部公房や横光利一の文章と比べると、どうしても軽い感じがしてしまう。また、「~と僕は言った。」という文章が続くことに、K氏はよく唸っていた。

そして、講座全体の雰囲気も、その軽いと言われる文章について「そうですね」という同意する雰囲気が漂ってきた。よく行われていた講座の進め方で、「書き換え」というものがあり、この村上春樹の文章に対して、いろいろな書き換えがなされた。「こうした方がいいよね」という文章がいくつも出て、それで納得していくような流れになっていた。

その授業の間、僕はずっと黙っていた。言わんとしていることはわからないでもない。ひとつひとつの文章について、「どちらがいいか」ということをその部分で検討したならば、考えられなくはない。しかし、村上春樹が好きな者としては、何かが違うのではないか、という思いがあった。

K氏は、黙っている僕に声を掛けた。「言いたいことがあるのなら、言っていいんだ」と。

「正直言って、話されている内容がわからないのです。ここで出てきた書き替えられた文章の作品を僕が買うかと言えば、買いません。村上春樹の文章は、小さな比喩、表現、いろいろなものが組み合わさって、村上春樹独自の文章となっている。だから、読みたい、と思うのではないでしょうか?」

やや緊張しながら、こうした発言をしたと思う。

K氏は、力強く、大きな声を出して、「そうなんだよ。こうした発言をして欲しかったんだ! とても大切なことなんだ」と言った。
作品というものは、ひとつひとつの文章が「テーマ」という存在に対して向かっている。細かなところで言うならば、句読点のひとつまで。

講座というものは、講師が一方的に何かを教えるというものではない。正解というものがあるわけでもない。プロの作品だけでなく、受講生の書いた文章に対しても、同じように、ひとつひとつの文章に対して、いろいろな角度から丁寧に検討していく、ということが行われた。

プロの作家の書く技術の高い文章だけが、人を引き付けるものではないのだろう。アマチュアの文章でも、「このことを書きたい」というテーマに対してブレずに向いている文章は、読み手を魅了するのだと思う。

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