内面が美しい(物理)と医者に言われたわたしが、容姿について思うこと
「とてもキレイですよ」
わたしの胃と腸の写真を手にした、ジャン・レノに似せた無愛想な医師がそう言った。
確かに素人が見てもめちゃくちゃキレイだった。
うっとりとした。
思い出の桜並木でも見ているかのようだった。
そう。先日わたしの体内にて、胃カメラと大腸カメラの撮影会が同時開催されたのだ。
「とてもキレイですよ」
人生で容姿を褒められたことが無い私にとってこれは衝撃の一言だった。
胃や腸の壁ってのは、肛門で折り返して皮膚と地続きであるわけだから、これはもうギリギリ容姿の一部なわけ。
誰がなんと言おうがスキンケアでカバーできる範疇である。
消化器内科と皮膚科は統合。今後はそういうものとする。
人間を洗濯物の靴下よろしく「グリンッ!」って裏表反対にひっくりがえすことができるリバーシブルな世界線に生きていたら、これ、間違いなく、わたしは絶世の美人。
「あぁ、今日は裏側なのね、とてもキレイですよ」
「オイオイ、今日は表側かい、どうしたんだい?何かあったのかい?」
残念ながら今これを読むあなたと共に生きる世界線のドレスコードは「表側」なので、仕方なくこのフォルムで生活しているのだ。
いやしかし、自分の表側しか人様にお見せできないというのは、非常に残念な世界である。
自由に表裏フォルムチェンジができる来世に期待するしかない。
「容姿」。
子供の頃から誰もが悩む問題である。
どうして人間ってのは同じ種の個体同士に、こうも違いがでるんでしょうね。
髪質なんか特にそう。
生まれてからずっと天然パーマの刑に処されているわたしは、学生時代にサラサラヘアーのテニス部男子なんかを見ては、絶望する毎日だった。
焼けた肌がよく似合う、洋楽好きなあの野郎。
なんなのあの透明感。水羊羹から産まれたの?
髪質、あとは皮膚の質感や色。体型、手足の長さやパーツの大きさ。体毛の濃さ。声質とか匂いも容姿みたいなもんだ。
なんかそういうパッと見の違いに悩む毎日。
あのころのわたしに言ってやりたい。
「内面(物理)で勝負しろ!」
そんでもってちょっと気になって調べたら驚愕の事実が発覚した。
テニスコート…だと…。
そうか…面積なら戦える…!
わたしの中に広がるテニスコート。広大な、それでいて、とてもキレイなテニスコート。
美人であることの条件が、人間の表面のごく一部分だけで決定づけられていることがおかしいんだよ。
某なにわなんとかさんとか某snowなんとかさんとか、世にはびこる美しいとされている奴らの美しい部分の面積なんて、ほんのこれっぽっちなわけ。
オイオイ、勝負にならねえよ、こっちはテニスコートだぞ。
このテニスコートの上でなら、かつて憧れたサラサラヘアーのテニス部員にもラブゲームで勝ってしまう。サービスエース!サービスエース!リターンエース!リターンエース!ゲームセット!!!
もういい。やめよう。
なんでこんなことを書いたかといえば、昨日、人間ドックに行ってきたのだ。
バリウムはこっちから切ってやった。
なぜなら上の通りである。
検便も叩きつけてきてやった。直前にくまなく体内を調べたわたしには怖いものなんてもう何もなかった。
確信歩きで一塁に向かう大谷よろしく胸を張って病院へと向かい、診察の待ち時間にこんなことを考えたのだった。
テニスコートもの広大な美しさを、体内にひっそりと隠しながら生きるわたしの慎ましさ。
これだけ書いたけどルッキズムはよくないと思う。
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