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薄汚いはずのおっさんが星野源さんと共に撮影に臨み、キレイだと褒められた話

朝早くに起きて、MacBookに向かう。
手元には、コメダで買ったお気に入りのグラス。
ドリンク片手にカタカタ ッターンッ!と文字を打つ充実した朝。

粉末を水に溶かして、作り置きしたドリンク。
だらりと舌に絡みつく質感。ぶどうとりんごの中間のようなフレーバー。ゆっくりと、蝉の声をききながら、下剤を喉の奥に流し込む。


下剤。


そう、この透明な液は「下剤」
「フラペチーノ」でも「マキアート」でもない。「モビップレップ」という名の下剤である。

経口腸管洗浄剤モビップレップ

2リットルの下剤。これを長い時間かけて、じっくりと味わう。そう、わたしはこの後「大腸カメラの刑」に処される身の者である。

飲む度に便意に襲われる。トイレに駆け込んだ回数と、その結果を克明に、提出を義務づけられている白い用紙に記入していく。

かの有名な星野源氏が、数週間前のラジオで自身の大腸カメラ体験を生々しく語っておられた。体内にカメラを入れることに心底ビビっているわたしは、その回の放送を、すがるように、かじりつくように聴いてしまった。

彼はラジオでこう言った。
「空が飛べる」と。

実際に体験してみて思う。さすが日本一の表現者星野源が使うワードは違う。それ以外表現する方法が見つからない。トイレに入るたび、スピッツの誰もが歌える有名なあの歌が、自分のテーマソングになる瞬間が何度もあるのだ。雨垂れが石を穿つなら、これはマントルまで届くのではないかと余は思ふ。これがモビップレップの力。

星野源氏はこうも言った。
「作品は、うんちと同じ」(排泄物という意味)
すなわち「うんちは作品」だと。

どんどん作品を生み出そう、と。クリエイターになろう。面白がろう。そうか、作品か。これは悪くない。わたしもnoteを書くという表現者の端くれとして、どんどん作品を生み出す他ないのだと思えた。クリエイティブであろう。トイレに駆け込もう。正直何を言っているのかよくわからないけどあの星野源が言うなら間違いはない。

さあ、作品の投稿は済んだ!スキのマークも自分で押した!出し惜しみは無い!あとは病院へ行くだけだ!初体験なのでめちゃくちゃ怖いけど、わたしには星野源がついている!!

ちなみに胃カメラも同時開催。わたしの上からも、下からも撮影が入る。文字通り「串」刺しになるが、串という漢字の最後の一画は今日を境に上からと下からの二画に分かれ、総画数が一画増えることが決定している。受験生の皆さんは注意されたし。

事前に鎮痛剤?鎮静剤?とにかくその手の類のものを使うか?と看護師さんに問われた。「漢だったら」という言葉をこんな時代に使うのはためらわれるが「そんなものに頼るなんてやわなヤツだ!」と私の中の侍が騒ぐので、ナシで挑戦しようとした。

「ちなみに他の方は使うのでしょうか?」と念の為にたずねると「大概使いますね」という冷たい答えが秒で返ってきたので、負けじと秒で「じゃあお願いします」と返した。幕府はとうの昔に滅びたのだよ。

当日、この投与された何かのおかげで、怯える私の気持ちなど関係なく、意識の無い中でカメラ撮影が行われた。上から先に入れられたのか、下から先に入れられたのかも分からない。よって「串」の最後の一画の書き順は不明であるため、書き順は変わらないこととする。

翌日結果を病院に聞きに行った。合格発表の気持ちに似ていた。「サクラサク」のか「サクラチル」のか。

わたしの写真を見る医師が一言、「とてもキレイですよ」とだけ言った。人生で初めて見た目を褒められた気がする。たしかに、そこには素人目で見てもキレイなわたしの胃や大腸の写真があった。サクラ色をしていた。「ああ、薄汚いわたしにも、まだこんなにキレイな箇所があるんだな」と、まもなく四十を迎えるおじさんが、訳の分からない自信を手に入れた。

そもそも、なぜカメラを体内に迎えることになったかといえば、若い頃からずーっとお腹がゆるく、毎年人間ドックには行っているので大丈夫かと思っていたが、最近私の父親の大腸にポリープがいくつか見つかり、遺伝が心配になって消化器内科を訪れたのであった。

「では先生、どうして写真はキレイなのに、お腹がゆるいんでしょうか」と医師に意見をすると、軽く一蹴されてしまった。

「ふとりすぎ。」

まあさ、そうなんだけどさ。そうなんだけどさ、納得がいかないというか、しっくりこないというか。まず間違いなく、わたしが悪いです。でも、そんなん知ってたし、そんなん知ってた。なんだろう、なんだろうなー、もうちょっと、もうちょっと欲しかったなー、知らない何かが。ねー。

無理やり希望に変換することにした。何ごともなくてよかった。本当によかった。あれだけ怯えて悩んだけれど、痩せれば問題ないという簡単な結末だった。

いつでもだれにでも優しく寄り添ってくれる星野源氏には感謝をしている。なんとかしてこの感謝が、本人様に届かないものだろうか。『ドラえもん』のメロディに乗せて「ふふふふふふふふふっふーふとりすぎー」と歌うわたしが、行き道よりは陽気に車を運転して帰ることができたお話は、これでおしまいとする。


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