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持て囃す悪意

これ、私もずっと思っていました。結局ルックスが綺麗だということを切り離して考えられないのでしょうね。私なら「21世紀のチェ・ゲバラ」と呼びます。中国の共産主義的独裁体制と戦う彼女をキューバに共産主義をもたらしたゲバラになぞらえるのか、と笑われるかもしれません。でもゲバラは共産主義者というよりも弱い者や貧しい者の味方でしたし、彼がフィデル・カストロらと共に倒したバティスタ政権はまさに独裁体制でした。そしてゲバラは喘息持ちで決して丈夫な身体ではなかったのに少ない同志たちと過酷なゲリラ戦を耐え抜き、勝利をつかみました。この勇気と強靭な意志の力はとても私などの言葉では語れません。ただただ敬意を抱くのみ。周庭さんの一連の行動に対しても同じものを感じるのです。そういう現に文字通り命懸けで戦っている人を「女神」と評するのは平和ボケというか、ピントが致命的にずれています。ゲリラ戦真っ只中のゲバラが「イケメン司令官」などと評されて喜んだでしょうか? 励みになったでしょうか? 

「イケメン~」とか「美し過ぎる~」などと持ち上げられた側は本当に嬉しいのでしょうか? むしろこれまでの努力ややってきたことの中身を正当に評価されていないという気持ちになるのでは? BOØWY全盛期のライブにはヴォーカルの氷室京介の顔を見て騒ぐだけでろくに曲を聴いていないファンも来ていた、みたいな話を元メンバーの誰かがしていた記憶があります。それと同じことです。イケメンバンドなどと持て囃されることが続くと、まるで顔だけが売りみたいに受け取られてしまう。メディアに明確な悪意を感じるときもあります。「美人~」と繰り返し書くことで、ルックスはいいけど実力は大したことないという印象を大衆に刷り込もうとしているのでは、と。

私が子どもの頃は「美人アナ」というのが流行っていました。いまもそうなのかな? いつだったか某男性タレントが美人アナとして紹介された方々とバラエティ番組で共演した際「美人じゃないのがいる!」と叫んでいました。「私は美人アナです」と自称したわけでもないのに、ひどい話ですよね。というか前から疑問なんですけど、どうして民放テレビの女性アナウンサーってミス○○が多いんですか? アイドルやファッションモデル、女優ならわかりますけど報道の仕事と何が関係あるんですか? 

何ができるわけでもないのですが、周庭さんが自由を勝ち取れますように。彼女の戦いが正当に評価される日が来ますように。香港の人々が心穏やかに過ごせますように。「不協和音」私も聴いてみます。


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