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猪木さん

私はいわゆる「猪木信者」ではありません。藤波さんと60分フルタイムをやった年の春先ぐらいからプロレスを見始めたので、全盛期の猪木さんの試合をリアルタイムで体験していないのです。新日本プロレスのいわゆる「暗黒期」には猪木さんの介入でしばしばカードやルールが変わり、ビッグマッチで消化不良の凡戦が続きました。正直「もうたくさん」「老害だよ」「頼むから現場に口を挟まないでくれ」と思っていました。ろくな準備期間を与えずに総合格闘技のリングにプロレスラーを上げるのも嫌でした。

猪木さんは「プロレスと格闘技を分けない」という思想の持ち主でした。そういうタイプのレスラーがいてもいいけど、プロレスがやりたくてプロレスラーになった選手に違うジャンルの闘いを押し付けるのはどうなのか。高山選手が著書の中で「興味がない奴は総合をやる必要はない。逃げているとは思わない。たとえば俺がルチャをやらないのは興味がないからで、それを指して高山はルチャから逃げていると言われても困る」みたいなことを書いていましたが、まさにそういうことです。スラムダンクに憧れてバスケットボール部に入ったのに「同じ球技だし似たようなジャンルだから」という理由でバレーボールをやらされたらどう思いますか? 勝手にカードを変更された大阪ドームのメイン後に猪木さんに殴られた中邑真輔がプロレスを辞めようとして実家に帰ったという話を聞いた時は、本気で嫌いになりました(あの変更はどうも猪木さんというよりも猪木事務所の暗躍らしいのですが)。

ただ猪木さんの詩集や自伝を読んで元気をもらったのは事実です。負けてたまるか、という熱いパワーをいただきました。外面的なキャラクターはこれ以上ないくらい太陽タイプなのに、意外と中身はドロドロの情念に溢れていて、ドス黒い本音をリングの中で曝け出すタイプなのです。挫折とか嫉妬、コンプレックスも含めて。実際馬場さんへの、そして他のプロスポーツや格闘技への劣等感が異種格闘技戦や伝説のアリ戦を生んだわけですよね。何よりも猪木さんの「生の喜怒哀楽をそのまま吐き出す」「下手くそでいいから闘志を全身全霊で表現する」プロレスは私の尊敬する岡本太郎の芸術観と重なるもので、まさに私の理想とする小説そのものなのです。方向性としては夏目漱石「坊っちゃん」や太宰治「人間失格」、最近だと又吉直樹「人間」みたいな。そう考えるとプロレスラーというよりもひとりの表現者としてのアントニオ猪木が、好き嫌いを超越して自分の中で重要な地位を占めているのは明らかです。意識的であれ無意識であれ、多くの大事なことを学ばせてもらっているのです。この記事を書いていて、改めてそのことに気づきました。

猪木さん、私はあなたを応援しています。あなたの試合と言葉、そして行動力からたくさんの勇気をいただきました。いつか「1、2、3、ダー!」をぜひご一緒させていただきたいです。



作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!