見出し画像

わが教え子、ヒトラー

名優、『善き人のためのソナタ』のウルリッヒ・ミューエの遺作となった作品、『わが教え子、ヒトラー』。

敗戦が濃厚になりつつある1944年12月のドイツ。ヒトラーは心を病んで執務室に引きこもっています。ゲッベルスは国民の士気を高めるため、1945年1月1日にヒトラーの演説を計画。かつてヒトラーにえんぜつをしどうしたことのあるユダヤ人の元演劇教授アドルフ・グリュンバウムは収容所から総統官邸に呼び寄せられ、ヒトラーに再び演説の指導をするように言われます。
家族の解放を条件に引き受けるグリュンバウム。再会した妻にグリュンバウムは演説指導中にヒトラーを暗殺するつもりだと打ち明けます。
ところが演説の指導を重ねる合間に、孤独だったヒトラーはグリュンバウムを信頼し始め、過去のトラウマを話します。グリュンバウムは人としてのヒトラーに接することで、ヒトラーに親近感を持つようになります。
一方でゲッペルスとヒムラーはグリュンバウムを利用したヒトラー暗殺を企てており……。

監督はユダヤ人ですが、シリアスかつ重い映画にはなっていません(ラストは別として)。むしろブラックユーモアに溢れたコメディーと言っても良い作りです。
とにかく情けないヒトラー。そして俗物なゲッペルス、滑稽なヒムラーと、いわゆるナチの一般的なイメージとは違う人物像で描かれています。なのである程度ナチについて知識がないとちょっと誤解を産むかもしれない描き方ではあります。
でもやはり魅せます、ウルリッヒ・ミューエ!シリアスな状況にありながらコミカル。徹底的にヒトラーをおちょくっています。そして家族とのつかの間のささやかな幸せな時。けれど彼らの生殺与奪はやはりナチが、ヒトラーが握っている切実さ。そしてラスト、あくまで悪戯っぽい表情を崩さず、民族的な怒りと抵抗を現す彼の姿の哀しさ。とても人間くさくて柔らかく優しい人物でありながらシニカルで、この映画の多くを彼が担っていると言っても過言ではないでしょう。それは主人公であるという以上に、だと思います。
ヒトラー役のヘルゲ・シュナイダーもまた情けないヒトラーを演じきっています。以前のように演説もできず、敗色の濃い戦いに疲れ、彼自身が作った“ヒトラー”というキャラクターに追い詰められている様。カリカチュアライズされたキャラクターにすっぽりとはまり込むような演技です。愛人、エヴァとのシーンなんて最たるものかもしれません。
そして条件反射のように「ハイル!」と繰り返し一々階級を叫ぶ人々、何をするにも膨大な書類と判を必要とする融通の利かなさ、几帳面で生真面目な“いかにも”なドイツ人達の描写。単純に笑えてしまうのですが、反面その裏にあるそれぞれの運命を思うと…。
受け取り方は様々だと思います。賛否両論の評価になる映画だと思います。
でも重さ、悲惨さ、冷酷さ、愚かさ、そうした面からのナチはもうたくさん描かれてきています。こうした人間くさく、けれど風刺的なコミカルな描かれ方もあってもいいんじゃないでしょうか?それでも訴えかけてくるテーマは真摯ですし、そこに描かれる愚かさゆえに見えてくるものもあると思います。コミカルに描くことでかえって浮かび上がる人の醜さ、愚かさ、哀しさ。そしてユダヤ人であるにも関わらず、虚仮にするだけでなくヒトラーの孤独と抱えていた自己矛盾を感じさせる作りにした監督もまた素晴らしいと思います。
ナチ収容所での生活をユーモアを交えてハートフルな感動作に仕上げた『ライフ・イズ・ビューティフル』のように悲劇の中にも救いと希望のあるラストではありません。グリュンバウムは何故あんな結末を選んだのか。けれど彼が全てを覚悟してあの場に挑み、そして自身の為したことに何を感じていたのか、それは彼の表情が雄弁に語っています。
シリアスなアプローチからでなくとも確実に、そして誠実に問題提起しうることを示した作品だと思います。悲惨さをあえて描かず、軽めのトーンを保つことによって逆に時代の愚かさと重さを感じさせる、そんな映画でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?