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ラスト、コーション

1942年、日本占領下の上海。抗日運動に身を投じる女スパイ、チアチー(タン・ウェイ)は、敵対する特務機関のリーダー、イー(トニー・レオン)に近づき暗殺の機会をうかがっています。やがてその魅力でイーを誘惑することに成功したチアチーは、彼と逢瀬を重ねることに。次第にチアチーに溺れていくイー、イーの心に触れて彼に惹かれていくチアチー。二人の運命は…。というストーリーです。
チアチーが初めて抗日運動に触れたのは香港大学の演劇部でのこと。彼らは抗日に強い意欲を持ち、イーに近付き暗殺を試みますが、その学生のままごとのような企みはあっさり失敗します。けれどその動きを掴んでいた抗日組織に彼らは取り込まれていき、後戻りできなくなっていきます。
最初の計画の時にイーがチアチーに興味を示したことからチアチーが誘惑者の役目を引き受けることになるんですが、なぜイーがチアチーに惹かれたのかはわかりません。きっとイーにもわからなかったんじゃないかと思います。話題になっていたハードコアな描写は劇中三回あるのですが、最初の初めてチアチーとイーが関係を持つシーンで、やはりイーが自分の中の感情をどう処理していいのかわからないといったような戸惑いを私は感じました。荒々しく暴力的で支配的なセックス。変わらないイーの険しい表情。彼女の外見的な魅力に情欲を感じただけだと自らに言い聞かせようとしているかのように見えたのですが…。二度目は互いの心を探りあうかのような、それでいて二人の繋がりを確かめあうかのような果てしない交わり。そして三度目はイーにどうしようもなく惹かれていくチアチーが心を繋ぐことができない代わりにより深く肉体にお互いを刻み込むような、そんな印象を受けました。
とにかく主演の二人が素晴らしい。冷徹な笑わない目を持つトニー。ほとんど表情を変えないのに溢れ出てくるどうしようもなくチアチーに惹かれていく思い。疑っているのかそうでないのか掴ませない会話の妙とイーという男の底知れなさ。行為の最中でも全てを見通しているような強い射抜くような瞳。心に嘘を抱えたチアチーが思わず枕で彼の瞳を隠した気持ちがわかるような気がします。彼がただいるだけでそのシーンを支配しているような感覚になりました。特別なことをするわけでなく、ただそこに在るだけで物語が溢れてくる、そんな素晴らしい存在感でした。
タン・ウェイも新人らしからぬ力演です。愛していると思わせなくてはならないけれど、本当に愛することは許されない。それでいてひたひたと染み込んでくる彼の心に抗えなくなる様。疑われているのかと思った次の瞬間にはもう彼女への執着と愛を見せるイーに翻弄され揺さぶられる女心を巧みに演じています。なにより彼女が田舎くさい少女から妖艶で洗練された女へと変貌していく姿は見物です。
泣ける、という感じではないのですが、全編通して言いようのない息苦しさと締め付けられるような切なさに満ちた作品です。イーに近付く為に人妻になりすましたチアチー。処女であることを知られてはまずいからと好きでもなんでもない同士の学生に抱かれる彼女。そんなにまでしたのに失敗する計画、そしてイーの知人にその計画を知られ混乱と怒りで殺人を犯す彼ら。そのことにどれだけチアチーが傷ついたかはその後上海に移り大学に戻った彼女の暗い表情から窺い知ることができます。にも関わらずまた彼女を巻き込む演劇部のリーダーだったかつてチアチーが淡い思いを抱いていた男。彼の「君を傷付けることは許さないから」という無神経さと馬鹿さ加減に心底腹が立ちます。全て遅すぎる、そのことになぜ気付かないのかと。そしてそれがよりチアチーを傷付けていることになぜ気付かないのかと。勝手な論理に振り回された彼女が、イーの真っ直ぐに彼女を見つめる視線の強さに、冷徹な男の見せる思わぬ脆さと愛情に惹かれたからと言って誰がそれを責めることができるでしょう。
そしてイーの「君を信じる」という言葉。けして人を信じない男の重い愛の告白。そしてその言葉は嘘ではなかった。けれど二人の運命がすれ違ってしまう悲しさ。涙を押し止め、彼女への思いを心の奥底に追いやり再び冷徹な顔に戻るイー。でも彼から隠し切れない深い深い悲しみが伝わってきます。チアチー達が“処理”される採石場の深く暗い穴がそのままイーの心の絶望の闇を表しているようで切なくて辛くてたまらない気持ちになります。
当時の政治的な背景はほとんど描かれていないのですが、アン・リーが描きたかったのは政治的なものに翻弄される人間ドラマではなく、どちらにとっても死と隣り合わせという極限の状況下で生まれる愛だったんだろうと思うので、これぐらい背景を削ぎ落とすぐらいでちょうどよかったと思います。いびつではあるけれど濃厚な愛の物語。上質な大人の為の恋愛映画という感じがしました。
ハードコアなセックス描写が喧伝されてしまった映画だけど、それは二人の関係を描くために必要なものだし、そんなことに左右されないでほしい素晴らしい作品でした。もしもこのシーンが必要ないとかただのポルノだという人がいたらこう聞いてみたいです。
もし、愛することを許されない相手を愛してしまい、心や本当の愛の言葉を交わすことは許されず、二人にとって許されたのはただ体を交えることだけだったとしたら。あなたは何を交わしますか?お互いに触れずにいられますか?
プラトニックだけが純愛ではないということを強く感じさせる作品です。そこに性愛が介在しても互いを求めあい刻み付けたいと思う心の芯の部分は十分に美しいんじゃないでしょうか。
ちょっと失敗したらロミジュリ的な安易な所に陥りそうなストーリーを緻密に練り上げてここまで濃い映画にしたアン・リーはやはり凄い監督だと思います。
『ブロークバック・マウンテン』とはまた違う切なさ溢れる世界にやられてしまいました。
あと個人的に、ですがトニー史上最高の映画。トニー激ラブの私のレビューなのでちょっと点が甘いかもしれません。


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