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社会人3年目で転職した話③~新卒1年目7月-12月~

筆が乗っているうちに書き進めておこう。
とはいえ、書き始めると意外と細かいことまで覚えていて、予想の3倍くらいの文量になってびっくりした。

前回の話はこちら。

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入社1年目7月から9月~営業という言葉の幅広さ~

ところで、世の中で使われる「営業職」という言葉について
就活時代にもう少し理解しておけばよかったと心の中から思う。
そして、もし今後誰かの就活相談に乗ることがあれば、絶対にきちんと説明できる人間になろうと誓った。

なぜこのようなことを思ったかというと、
私の想像していた「営業職」と実際に従事した営業職との乖離がすさまじかったからだ。

私のイメージの営業職は、今なら「ルート営業」と表現できる。
だがしかし、私が新卒で入社した会社は新規開拓のみに携わる営業マンが社員の半数。
ルート営業といえる社員が全体のうち3割。
残りの2割が営業事務やバック職という、かなり稀有な割合だ。
簡単に言うと、世の中で「営業職」と括られる職種が社員の8割を占めている。

また、営業手法も「テレアポ」一択。
※過去に接点がある会社はメールで連絡することもあるけれど。

令和ですが、テレアポ一択です。はい。

あまり詳細を説明する気はないので、テレアポのイメージがつかない方は上記を参照ください。

プッシュ型の極み営業と思ってもらえたらと思う。

業績が上がれば、紹介をもらって受注したり、反響営業で入ってきたアポイントをさせてもらえたりする。
(ただ、反響営業は情報収集程度で来る人が多いので、確度は低い)

1日100コールして、受付を突破できるのが大体8コール、社長のアポイントをもらえるのが3アポイント。
この数字が理想。

当然1年目は100コールして1件もつながらないこともあれば、
社長につながって10回連続断られることもざら。

そもそも100コールするためには平均80社分の新規リストが必要で、
それを上記の人数が行っていることを想像してほしい。

リストも他人が燃やしに燃やし切ったリストだったり、
そもそも電話対応を一切しない会社もあったり。

自分が電話を取る側になって思うが、よく始業時間前とか昼休憩中とか終業後に平気でかけてたなぁ。(というか、そういう時間にかけるようにコアタイムが設定されている)

アポイントがある日でも最低60コールはしていたから、電話に費やす時間が4時間。
これで昼休憩+電話時間だけで5時間が消える。
で、営業準備、営業アポイント、訪問の場合は移動時間。
あーだから12時間拘束がデフォなんですね。

実際、12時間で足りる、と思った日はないけれど、
本当にこの終わりのない日々を社員全員が走り続けている。
普通にすごい環境だなと今では思う。

最初のころは、初めてかける会社に「いつもお世話になっております~」とあいさつするのもすごく抵抗があったし(だって初めましてじゃんね)、

過去に営業して断られた先に「先般弊社の○○がお打ち合わせしていた件で」と伝えることも非常に胸が痛かった。

そんな状態の人間は社内でもレアで、割り切るまでに膨大な時間と労力がかかった。

結論から言うと、私にテレアポは向いていなかった。
だけど、給料をもらうことについて叩き込まれていた(前回の話を参照ください)ので、
やらないという選択肢はなかった。

ただ心を無にした。

当時救いだったのが、同じ課に配属された同期がめちゃくちゃ仲良くて、
上司がとってもできた人だった。
女性の上司だが、社内で一番男前で、理不尽が一つもない人だった。
(そのかわり、愛の鞭、いや愛の雷をたくさん受けました。これはすべて私が悪い)

今でもこのメンバーは仲が良く、この人たちと巡り合うために入社したんだなと思えるくらいにかけがえのない経験だった。

あと、自分で言うのもなんだが、上司からして扱いやすい部下だったと思う。
わからないことは徹底的に質問したうえで行動するし、
給与に対する考え方はしっかり入っている。納得している。
おまけに責任感は強いから、自分の感情を殺して行動できる。
仕事と割り切れる。
あと叱られたことに対して逆ギレすることは無い。

それも功を奏して、業績自体は同期上位30%はキープしていた。


入社1年目10月から12月~初めて見た退職~

10月からは少しだけ組織が変わり、2年目の先輩と一緒の課になった。
同期等もいたけど。

この先輩はすごく親切だし、私に近い感覚を持った人だった。
よくもわるくも会社の文化に染まりきらず、俯瞰して客観視できる人だった。
時には愚痴を聞いてもらったり、逆に裏話を聞かせてもらったり。

その先輩は1年目はあまり業績が上がらなかったらしいが、
2年目になった瞬間に開花したタイプだったらしい。
だから、社長クラスがわざわざ私たちの支店に来た際に食事に連れて行ってもらったり、特別に勉強会をしてもらったりしていたらしい。
※本人は全然望んでいなかったし、ほぼ強制で断れなかったと聞いた。

私たちには計り知れない圧力がかかっていたのだと思う。
10月後半から、後輩の私たちにも思わず超ド級の本音を漏らしてしまうくらいには疲労困憊な状況だった。
そして11月中旬に、同期と私、先輩の3人のライングループに連絡が入った。

「ごめん。退職するわ。」

これをみて、同期と私は「やっと先輩が解放される。よかった。」と思った。
これまでに同期も研修中に10人くらいやめてたし、同じ商材の先輩がやめたりしているのを見ていたが、
身近な人がやめるのは初めてだった。
そのときに「やめないでほしい」と思うかと思いきや、
むしろ背中を押すことしか思いつかなかった。

「おめでとうございます!!」
「お疲れ様です!!」
と同期と送りまくっていた。

しかし時間がたつと、ぽっかり穴が開いてしまったような感覚になった。

その人がいなくなることの悲しみというよりは、
「自分がまともだと思っていた人がやめる
(というか、見切をつける)場所で、
 私はまだ働き続けるのか」
という思いが募った。

また、この先輩は私たちに退職の意を告げてから、実際に退職の承認を得られるまでおよそ3週間かかった。

大前提、離職率も高い会社でスムーズなことで有名なのに、
この先輩は期待も大きかったのもあり、すさまじい引き止めに遭っていた。

直属の責任者クラスから毎日22時~26時で電話につかまり、
そのまま毎日通常業務を行っていた。

しかもその引き止めも最初はもっともなことを言っていたが、
だんだん本音が垣間見えてくるもので
「どれだけ俺らがお前に投資してきたと思っているんだ」
「恩を仇で返すとはこのことだな」
とか言ってきたらしい。

いや、勝手に投資してきたのはそっちだし、
投資する気がないなら人を採るなよ。と今では半笑いで言えちゃう。

というか、社会人2年目に見返り求めて接するなよおじさん。て感じだった。

その先輩も耐えかねて、この実情を総務にちくって社長承認で退職できた。

結構泥沼だった。

これを見ていたから
・絶対退職の時は体調不良で押そう
・2,3回引き止められたら早々に総務に駆け込もう
と決めた。

ちなみにこの先輩が退職してから、
同じ組織の先輩・同期が8か月連続で退職しました。あはは。
8か月目には心も麻痺していた。

そしてわかったのは
別に退職しても、仲いい人とは会うし話すし
ただ就業時間に話さないだけ。

この話、まだ就職して8か月しか経っていないんだな。
逆に面白い。

続きは④で。

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