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"夢"は叶いますか?

「将来はプロ野球選手になることです。」
小学校の卒業文集にある私の夢コーナーにそう記されています。「記されている」なんて、どこか他人事ですよね。

当時12歳。実はこの夢を記したときの心境をよく覚えています。
「これウソだよ。そもそも中学で野球を続けるつもりないし。」

絶対に叶えたい夢が無かった人生

12歳にして身についていた惰性。本心に蓋をした表現。
案の定、プロ野球選手になると宣言してから1か月も経たずして、私はテニス部に入部していました。

夢ってなんだろうか。
夢って人生に必要なものなのだろうか。
夢を叶えられるのは一握りの人だけなのだろうか。

そんなことを漠然と考えながらも、”夢"という概念や言葉は、私の人生において特に重要な意味を果たしてきませんでした。

ただ、どんな仕事をしていくのか考えるようになった二十歳ぐらいの頃から今日に至るまで、ふとした時に脳内で膨らむある一つの"夢"があります。夢というより妄想に近い情景です。

それは
大好きなスポーツの仕事に携わっている未来の自分
です。

人生に欠かせないスポーツの存在

スポーツといっても、私の場合は特にスポーツ観戦。
物心ついたときからプロ野球やJリーグをTVで食い入るように観ていた少年でした。特に好きだったのは野球やサッカーですが、競技の偏りなくとにかくスポーツ全般が大好きです。

中学、高校、大学と歳を重ねても、TVのスポーツ番組はほぼ毎日全局チェック。スポーツ新聞各紙を買い占めてはスクラップ。心に留まった記事には蛍光マーカーを引いたり。スポーツ雑誌も読み漁るなど。すっかり人生の一部となっていました。

中でも、松井秀喜さんは私の人生にとって大きな影響を与えてくれた方の一人にいつも挙げています。
2009年、当時所属していたニューヨーク・ヤンキースでワールドシリーズチャンピオンに輝いた試合は、仕事を無断で休み、TVの前で正座して戦況を見守っていました。(コレ、時効ってことで・・・)

誇らしげな笑みを浮かべワールドシリーズMVPのトロフィーを掲げる姿に、7歳の頃から彼を追いかけ続けたそれまでの記憶がフラッシュバックして、涙が止まりませんでした。

興奮。感動。緊張。落胆。希望。勇気。
観ているこちら側にまで伝わってくるような選手の息づかい。たった一つのプレーで行き来する試合の流れ。そしてアスリート一人ひとりが辿り、紡ぐ物語。
美しい側面ばかりでないことは承知ですが、人間ならではの要素が凝縮されている世界であることが、スポーツの醍醐味だと感じています。

夢と趣味を一緒にするな

就職活動での本命はスポーツ新聞社。結果は早々に不採用。
思い返せば「絶対に入社したい!」という想いではなく、それはただの憧れに過ぎませんでした。

ガチの体育会系でもないし、そもそも自分はアスリートに向き合う仕事ができる人間ではないんじゃないかと、なんとなく不適格の烙印を押されたような感覚を抱いた記憶があります。

ある友人には「笑っちゃうわ。お前もっと現実見ろよ(笑)趣味と仕事一緒にすんなよ!まじアホすぎんだろ!」と皮肉を言われて、当時の私には返す言葉もありませんでした。

でも、心のどこかにずっと消えることのない情景がありました。思い浮かべるのは、仕事として観客で埋め尽くされたスタジアムに降り立ち、アスリートのプレーを見つめる自分の姿でした。
もしかしたら・・生きていればそのチャンスが・・ひょっとすると・・。

ずっと思い描いていたのはこんな情景
プレーヤーとしてではありませんが ひとりのプロとしてそこにいるイメージです

すべてはムダじゃなかった

2022年の暮れ。
懇意にしている知人の方を通して、突然とある出版企画のお話をいただきました。
著者は現役時代も一線で活躍された元プロ野球選手で、現在も日本を代表する投手コーチでいらっしゃる方でした。(現時点ではここまでしかオープンにできないのがもどかしいですが・・)

青天の霹靂とはこのこと。生きていると時としてこんなことが起こるのか。

「本」という存在を通して、人知れず心の片隅で思い描いていたあの情景を現実にすることが、決して絵空事でなくなってきている。
表現できない不思議な感覚に包まれました。と同時に、こんな確信を得ることができました。

遠回りだったのかもしれない。すごく不器用な生き方だけど、それが私らしい。これまでの人生、あらゆる出会いと経験は決してムダではなかったんだ。いや、何かがこの日まで導いてくれていたのだ。

"出版屋の社長"としての経営も、順風満帆などではなく、己の非力さと向き合う3年間でした。
されどいくつものプロセスを経て、ビジョンの実現に向けて共に歩んでくれる素晴らしい仲間やパートナーの方たちに支えられ、今日も歩みを進めることができています。

これから先どんな未来が待っていようとも、いつだって「すべては必要なこと」と思える自分がそこにいるはずです。

毎日いちばん近くで支えてくれてありがとうございます

10年前の自分に伝えられること

10年前まで自分という存在をあきらめていたということは前の記事でも書かせていただきました。
当時の私からすれば、いま私が立っている場所はまったく想像もつかないでしょう。「そんなのウソだろ!」とツッこまれそうです。

夢どころか、深海で一筋の光も見えずもがいていた10年前の自分にかける言葉を選ぶとすれば、こんな言葉になると思います。

1日1日を自分なりに精一杯あきらめずに生きた証は
いつの日か道となってつながっていくから。まだ死ぬな。生きろよ。

ブックダムとしてのビジョン実現。本を通してスポーツに携わる仕事をするという夢。いずれもまだ出発地点。
10年後の私から今の私にどんな言葉をかけられそうかな?と想像したとき、きっと同じような言葉なんだろうなと、相変わらずの自分に笑えてきます。

そういえば前述の友人とはいまだに仲が良く親交があるのですが、以前再会したときに「お前みたいなバカもいるんだな(笑)なんか色々教えられるわ。」と、彼なりに最大限のエールを送ってくれました。

「ここが出発点 踏み出す足は いつだって始めの一歩」
BUMP OF CHICKENの「ロストマン」という大好きな歌の一節です

どんなかたちであれ いつか 必ず

以前、ある経営者が話されていた言葉が印象に残っています。

「本気で実現したいと決意し、行動しつづければ、いつか必ず、何らかのかたちで現実になります。」

本当にそうなのかもしれないなと。そして、そう思えるのも今こうして生きていられるからですね。おかげさまです。

わたしたちが生きているうちになのか。はたまた、わたしたちの想いが種となり、世代を超えて未来に花開くのか。
どんなかたちであれ、ブックダムのビジョンも、必ず実現できると信じています。

今日も夢のつづきを生きてまいります。
最後までお読みいただきありがとうございました!
また近いうちにお会いしましょう。素敵な1日を。


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