旅の終わりと本とつながり
お疲れ様です!
今年のGWはどのようにお過ごしでしょうか?
僕は、Xで少し触れていましたが旅をしていました。
旅をしていると、様々な人に出会います。基本的に、人間嫌いで独りぼっちを愛していて、関りを最小限にしている僕ですが。
それでも、この旅で少なくとも10人の人と交流を持ちました。
旅をしてみると、思ったより人と会話をしないで済みます。
YouTubeやTikTokなどの動画を見ていると、「声かけられるかも?」なんて不安があります。でも、気にしなくて大丈夫ですよ。
普通の人に話しかけられることなんて、滅多にないですから。今回の10人という数は、正直多かったと思います。
結構レアですよ、こんなの。
旅の詳細は、このnoteではなく個人ブログで書くので割愛します。
知りたい方は、後程ブログのリンクを貼っておきますね。参照していただけると、うれしいです。
今回の旅で改めて強く感じたのは、「日常って大事」ということと「人のつながり」ということでした。
日常って大事というのは、自分にとって何でもない日常が、他の人からすると本当に特別なものに見えることがあるということ。
人との繋がりっていうのは、読書が作ってくれたつながりです。今読んでいる本って話題で、一時間も知らない人と話し込むとは。想定外だった。
当たり前が特別
「当たり前の日常」というのは、得てして退屈でくだらないものに感じてしまう。でも、その当たり前を失ったときに、初めて大切さに気が付く。
寂しさや不安、強い孤独感といった感情を感じる時もある。それらは、こうした「喪失感」からきているんだろうか。
一週間も旅をしていると、自分の日常が大きく崩れてしまう。僕はキャンプ旅をしていたので、家の布団が恋しい。テントの中で大雨を経験すると、頑丈な壁と屋根が欲しくなる。ご飯だって、毎日が外食で、適当に簡単に作れるようなご飯だけだと、なんか味気ない。
普段、自炊している影響なのかやっぱり手作り料理がいいよね。
こうしていると、自分の毎日の生活が本当に恵まれているものなんだと、強く自覚する。
失うというと過剰な表現だが、不便を感じるようになると、その認識は変わる。毎日の生活は自分が想像していたより、100倍充実しているみたいだ。
何より、読書しやすい。
これが重要だ。
旅先での読書環境は、それは苛烈だった。眠いし、うるさいし、雨漏りするし、何より寒くて暑い。
こんな非日常が、一週間だけ日常だった。
当たり前というのが、大事なものだと分からされた。
日常って、満たされているから気が付かない。本当に贅沢な恵まれた毎日なんだと、実感できるものだった。
日常風景と等身大の自分
旅をするときは、日本各地の景色を見て、その土地での生活を見学をする。僕たち旅人からすれば、非日常。その土地の風景、当たり前というのは、そこにしかないのだから。
ただ、その土地の人からすれば、毎日の生活風景を見学に来る人がいるだけ。
特別で光り輝くような景色でも、絶景でも、心休まる光景も。
その土地の人からしたら日常風景だ。
それは、田舎でも都会でも変わらない。でも、不思議なことで絶景や心打たれる景色というのは、田舎に多くある。
もちろん、都会の人口が多い場所でもそうした場所はあるが。
ただ、そこに住んでいる人からしたら、「特別だ」「面白い」「興味深い」と感じたその非日常は、ただの日常だ。
無理に着飾ったり、意識したり、特別であろうとしたり。
そんなことをする必要なんて、何もないんだろう。
いつでも、等身大でいいんだ。で、そんな場所に観光で行くというだけならば、普段通りの自分でいいんだろうなって思った。
ありのままの自分でいい。
当たり前の毎日でいい。
よくある日常風景でいい。
観光地でも大都市でなくてもいい。
そんな、ありきたりの毎日を大事にしていきたい。
特別にならなくていい理由
特別にならず、観光地でもありのままの自分でいることが重要だ。
それは、見栄を張ったり、何か特別なことをしたりしなくてよいということだ。
興味が出たことに従い、目の前の事実を受け入れ、感じたことを素直に受け入れることが重要だ。でなければ、せっかくの体験も空しいものに姿を変えてしまう。
空しいという表現は、良くないかもしれない。
でも、自分のための旅行。自分のための旅。
それを、「他人からの評価」「他の人からの見え方」「視線」そんなもので歪める必要はないだろう。
比較なんかせずに、自分の好きな事を好きなように堪能すればいい。
そうして生きたほうが、その旅行の旅の価値は何倍にも跳ね上がる。
だって、自分の物語を生きているのだから。
振り返ってみたときに、「こんなこともしたなぁ」と笑えればいいんだ。
間違っても「何でこんなことしたんだ?」と後悔してはいけない。
後悔して満足できないとき、それは何時だって自分が行動理由ではなかった時だ。
だから、自分らしく自分のしたいことをすればいいんだ。
体験したいことを体験して、面白いと思うことを満喫する。
等身大の、ありったけの自分で。
その特別な非日常を体験したらいい。
もちろん、気分が高揚して大胆な行動をする。
散財したり、普段は勇気が出ないアトラクションに挑戦する。
デザートやジュースを飲食してもいいだろう。
やりたいと、心から感じるままに生きたらいいんだ。もちろん、人に迷惑をかけたり、不用意に不快な思いをさせたらまずいのだが。
それさえしなければ、大抵のことなら何とかなる。
だから、特別な自分である必要はない。
読書の縁
意外なことに、旅先で出会う人は本を持っている人が多い。
旅人同士で交流すると、みんな一冊は本を所持している。
今回の旅では、kindleをメインで利用していた。理由は携帯性の良さ一択だ。この選択を後悔したかは別問題として、本が紡ぐ縁もあった。
旅をしながら「旅猫リポート」を読んでいた。これは、僕が中学生くらいの時の一冊なんだが、『旅』という単語にひかれて再読。
内容が面白いか否かは別として、石川県の道の駅で、本を読んでいたところ読書好きのお兄さんとすっかり意気投合した。
二人とも旅をしていて、大きな荷物を持っている。道の駅でご飯を食べているところ、声をかけられたのが始まりだった。
いや、小説の出会いかよって思ったんだけど、面白い出会いもあったものだ。
意気投合して、本について語り合った。一期一会の出会いで、おそらくはもう、会うこともないだろう。ただ、良い道を教えてもらって感謝している。
いや、本当にありがとうございます。いい景色を堪能することができましたよ。
ありがとうございました。
面白い話
ここからは、僕よりも二回り年上のおじさんと話をして思ったことを書いてみよう。これは、「君は何が趣味なんだ?」と言われて、話をしていた時の一幕だ。
これを面白い話というと、賛同されないんだろうなって思うが。でも、個人的には本当に面白いものだと思ったので、仕方ない。
それは、「読書コミュニティはたくさんある」ということ。
一方で「読書好きは一人で楽しんでいる」ということだ。
これ、すごく面白いことだなって思った。
読書家は本を読んで、自分から新しい知識と経験を欲する。そして、自分から行動するような、所望行動力がある。自分を見つめなおし、考える時間も十二分にある。
読書するには、それだけの時間が必要だし、本を通して考えるからだ。
これは自分で気が付いたというよりも、言われて気が付いたんだけど。
言われて説明されると、なかなか否定できなくて困った。
確かに、孤独だなと自分で思って感じることはあった。でも、必要だとは感じなかった。孤独が悪いとは、深く考えたことがないし寂しくてつらいこともなかった。
不便だ、不幸だ、生きづらい、無理だ。
そう感じた時も、本を読んで対策を知り、自分で考えて行動して修正して実験していた。知的好奇心が旺盛すぎて、困ることは多いけれども。
最近は読書をする意味や価値に関して問われ、それを考える時間やタイミングが多い。でも、この話を聞いたときに納得したんだ。
自分を見つめて考える時間。
自分を知って、よりよくしていく時間。
それを、強制的に自分に与えてもたらすということ。しかも、自発的に。
これって、実は読書にしかないことなんだろう。
動画でいいというが、流し見。流れ見で、なんとなくで消費できる。
そして、身につかないことも多く、知識として得たというだけで終わってしまう。コンテンツの高効率高速消化が当たり前になりすぎて、気が付かなかった。
なぜ読書コミュニティに参加しないか
この問題に衝突する。
コミュニティが必要ではないのは何故か、簡単だ。
自分で完結できるからだ。そして、その先に何かを求めていないからだろう。
で、その学びを人に広めたい人は、YouTubeなんかで自分の学びを人に伝えている。これは、いい行動だ。
だって、自分の知見はより深まるし、有意義なものになる。
そして、その知見を多くの人に広めることは、、本を読まない人に新しい知見を伝えることができる。一石二鳥、一石三鳥の行動だよね。
自分で学ぶ、自分で学びを深めることが好きな人は、そこに至らない。
僕も、自分の学びを人にわかりやすく面白く伝えるって、そんな発想はなかった。あっても、YouTubeで大きく活動するとか、無理だっただろう。
一方で、「本を読む人が増えればいいな」と思うことは多い。理由は簡単で、僕の読んだことのない本を紹介してほしいからだ。
それに、読書家が増えて紙媒体の本が売れれば、近場の書店で買える本が増える。そう、読書家が増えると、僕にとって良いことが多いのだ。
既存の読書コミュニティに入れば、一つ目の目標は達成できる。そう思っていたのだが、実のところそれは達成されなかった。既存の読書コミュニティって、ビジネス系に特化するか、国語系の学びに特化する必要があるんだ。
確かに、どちらのことも必要だし意味もあることだ。ビジネスやノウハウ系の本は、実践してみて再読して。そうして、時間をかけて行動して学びを最大化していく必要がある。国語的な読書会も同じだ。
一人でできることなんて、限られているし新しい視点を得るには必要だなって思う。
ただ、それを求めている人が多いか少ないか、という問題だ。
そして、読書家の数に対してコミュニティの数はすでに飽和しているのだろう。もちろん、必要としている読書家という意味なんだけど。
そして、僕の中で既存の読書コミュニティに参加しなくてもいいかなと思った。体験的に参加したことはあるんだけど、少し違うなって感じがした。「読書が好き」という気持ちで、もっと気楽に向き合える読書会でいいと思うんだ。
心豊かで、いい人が多い。本に対して、ちゃんと向き合っている人が多くて、会話していて面白い。でも、決定的に「楽しみ方」が違うんだって実感した。
その違和感を感じている人が多いんだろう。
だから、その違和感を感じずに済む。なんか、もっと気楽で楽しめて、自分のためになるような。でも、読書でしか提供できない何かを提供していきたい。
そんな話を、旅好きで読書家なおじさんと話をした。
いつかは自分の人生談を、本か何かにしてみたいって言う、面白い人だったな。
人との縁って面白い
人とのつながりって面白いよね。
だって、本当に一期一会の出会いで、少し会話をしただけ。それだけで、こうして僕の知見を広げてくれる。
百聞は一見に如かず。
そう言うけど、実際にそうだ。100冊の本を読むより、1回体験したほうがよく理解できる。動画で100回見るより、自分で一回実験したほうがいい。
人との縁の大事さって、本当に人と会話して語ってみないとわかんない。
喧嘩したっていいし、多少激しく言い合ってもいい。
一方的に語りかけられて、その話を真剣に聞いてみてもいい。そのうえで、自分の意見を言ってみて、話を深堀してみるといい。
自分の知らない考え方や知識、経験をしているから。
その話を聞いてみると、本当に面白い。その縁って、そこでしか培うことができないから。
さらに面白いことに、稀に再開することがあるんだ。
再開すると、「久しぶりだなぁ~。まえ、○○で会った子だよなぁ」と言って、ハイタッチ。そんな、おじさんもいるんだよね。
「最近、どうだい?楽しんでる?」
なんて言われて、知りもしない人に人生相談したり。家庭の愚痴を聞かされたり、旅のアドバイスを聞いたり。
時間の使い方や、老後の楽しみ方なんて、普段誰にも相談しないし話題にもならないんだけどな。
こうした、ちょっと不思議な人間関係。一期一会の縁がつながっているところを感じると、本当に人間っておもしろいなって思いますよね。
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