見出し画像

体調不良になると3日も無駄にする悲しい話

「なんで生きてんのかな、はぁ」
なんて思いながら生活していると、ふと気が抜ける瞬間がある。その気が抜けた瞬間が、先週の木曜日だった。それだけの話。
僕は、金曜日の夜中には39.3度の高熱を出し、そのまま寝込み続けて佳代美を迎えた。

頭痛、吐き気、気持ち悪さ、何とも言えない喪失感。
そんなものを強く感じながら、まるで強迫観念に急かされる様に「お前はこのままでいいのか」「なんで、今の自分に甘えてんだ」「満足なのか?」と、心の中の自分がこれ見よがしに、かっこいい言葉を並べまくる。

普段は見て見ぬふり、気が付いていないふりをしているはずの現実を前に、僕はふさぎ込むばかりだった。仕方なかった、それは紛れもなく僕の本心に違いなかったのだから。
昔から思っていた、「僕には、サラリーマンは無理なんだろう」ということを。

  • 人間が嫌いだ

  • 集団が嫌いだ

  • 定型業務、提携作業が嫌いだ

  • イレギュラーの対応が嫌いだ

  • ルール違反を無視して、都合のいい解釈で論点をズラスことが嫌いだ

  • 人に合わせることができない

  • 時間管理や忘れ物をなくす事が出来ない

  • 人の気持ちや思考なんて考えることもできない

  • 色が多い環境が苦手だ

  • 大きな物音がするとパニックになる

こんな人間が、冷静になってみるとよくもまぁ会社員として今も働いているものだと思う。ぎりぎりの限界環境だけど、生きていくために必要なんだろう。
「死にたい」なんて思いながら、この苦痛に身を投げる勇気はある。「生きるために、仕方ないよね」と自分を納得させられる。これもまた、日本人の不思議だなと思う。

まぁ、僕は不完全な日本人だからか「仕方ないよね」と言いつつ、尊雄現実から目を背けられないのだけど。鋼の意思とか、僕には無縁の存在らしい。思い出してみれば、昔から誰よりも早くあきらめていたような気がする。

そんな考えても仕方のない、「しょうがない」話を、高熱にうなされながら三日間考え続けていた。寝ては食べ、寝ては考えの、無限ループ。気が遠くなるようなその作業の果てに、僕は同じ疑問に立ち返ることになった。

「そもそも、なんでそんな嫌なことだらけの現実に生きているのか」

嫌な事にだけ、焦点を当て続けているとこの結論にたどり着く。僕は、少なくとも、何かしらの楽しみがあるからこうして生きているハズだ。そう、その予定だったんだけど、頭が痛すぎて忘れてしまっていたようである。

読書という、唯一無二の存在を。

そして、久しぶりに読んだ小説はなんだか懐かしかった。手にした本は、ちょっとホラー要素強めの一冊。実話だとしたら、しばらくの間行動制限がかかりそうな勢い。フィクションだよね?と、心の中で確認しながら読み進めた。

題名は、「近畿地方のある場所について」です。

勇気がある方は、手にしてみてくださいね。

ホラーだろうが何だろうが、物語の世界というのはやはり面白い。いらない思考を放り投げて、自分の世界に浸ることができる。自分との対話をしっかりする時間ができて、価値観を広げて、世界観を増やすことができる。それは、やっぱり読書でなければ得ものなんだろうな、という気がする。

ただ、日ごろ「気が付かないフリ」をしていた現実には、無意識にせよ、意図的にせよ。僕は気が付いてしまったのである。そして、難しいことに、一度気が付いてしまったものは、どうしようもない。考えてみるしかないのだ。

元気になったら、またしっかりと考えてみよう。
今度は、頭痛がしない、精神的だるさもなく、体も元気な時に。気の向くままに、自分とじっくり向き合う時間を作ればいい。生きるのは難しくて、大変だけど、できることはたくさんあるはずだから。

今回は、三日間も無駄にしてしまった。そして、変なことを考えて、無視できない問題を直視した。喪失感も大きいけど、新しく気が付いたこともあった。
総じて、なんとなく。本当に、なんとなくだが、やはり体調不良は起こすべきではないだろう、という結論だ。理由はないが、この喪失感は嬉しくない。
時間はある、だが無駄にできる時間はそう多くはない。なので、ゆっくりじっくり考えながらも、人生にたった一度きりしかないこの時間を、堪能していこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?