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給料は麻薬!?稲垣えみ子『魂の退社 』を読み、お金を「もらう」ことについて考える

最近、本屋に行くたび気になり立ち読みしていた本があった。「これはちゃんと読みたい」と思い購入したのが『魂の退社 会社を辞めるということ。』

著者の稲垣えみ子さんは朝日新聞社で記者として活躍したのち、50歳で退職してフリーのジャーナリストになる。

なにゆえ50歳のタイミングで安定した場所を捨てたのか?

答えは「高い給料」「安定した地位」「恵まれた環境」が当たり前になり、小さな幸せを感じられなくなることを恐れたからだ。

人は満たされていると、幸せのハードルがどんどん高くなる。例えば、年収1000万円を目標に働いていたとしよう。目標を達成して、その状況が当たり前になると「次は1500万、その次は2000万」ともっと欲しくなる。

「もっと欲しい、もっと欲しい」という欲望は人を不幸にしてしまう。

そう考えると、お金を沢山もらっている成功者達は、案外不幸せなのかもしれない。稲垣さんも「ある」状態に対して、幸せを感じられないと悟ったからこそ、「ない」生活を選んだのではないか。

会社で働くということは、極論すれば、お金に人生を支配されるということでもあるのではないか。

出典:魂の退社 会社を辞めるということ。

極端な言い方をすれば、人間はお金の奴隷になっている。。。

多少嫌なことがあっても簡単に仕事を辞められない。
なぜなら、生活できなくなるから。

お金は大切だけど、生活を人質にされて苦しめられたくはない。

このような言い方をすると、労働=悪のように聞こえてしまうが、そうとは言っていない。理不尽な目にあったり、人として大切なものが削られるような労働は悪だと思うが、自己実現や誰かの役に立てる労働は素晴らしいと思う。

給料は”麻薬”!?

もしかして日本人のサラリーマン、給料という名の「麻薬」を打たれ続け、それなしじゃ生きられなくなっちゃてるんじゃない?

出典:魂の退社 会社を辞めるということ。

給料は会社から「もらう」もの

多くの会社員は、このように考えているのではないか。
私もその1人である。ただ、最近この考え方が危険と感じてきた。

なぜなら「お給料を頂いている」という発想の時点で、そこには強い主従関係が発生しているからだ。もちろん、会社員は会社に雇われているので、主従関係で結ばれていることは間違いないが、この考え方が強いと会社に消費されかねない。

働いていると、意味がない会議の資料作成を遅い時間までやったり、上司の自慢話に愛想笑いしたり、我慢を強いられることもしばしばある。なかには我慢の対価として給料をもらっていると捉える人もいるだろう。

こういう考え方はしたくない。(綺麗事だと思うが・・・)

営業だったら会社の商品やサービスを売って利益を稼ぎ、クリエイティブな仕事だったら自分が生み出した物の対価としてお金を得る。こういう発想の人はお金を「もらう」ものでなく、自ら「作る」ものとして捉えられていることができている。

私自身、現段階では間違いなくお金を「もらう」側だが「作る」側にいつかなりたい。

会社勤めを1度もせずフリーランスで働いている知人に「自分の腕一本でお金を稼いでいることは、メチャクチャすごいよ!」と伝えたところ「そうなの?」と不思議そうに首をかしげていた。

その人からするとお金は「もらう」ものでなく、自ら「作る」ものという考えが当たり前なんだろう。

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