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冬、蛍雪よりもほんの少し大きな灯りの下で


■蛍雪の功とは申しますが

私はそんなに勤勉な方ではなく、高校大学も苦学した、というよりは、のびのびと勉強していける学校に行ったというような、お気楽な学生ぶりでした。

今日私の住む街では雪が降りました。
風に嬲られ、しんしんと、と表現するよりは、吹き荒れるように大粒の雪が降っておりました。

その光景を見て、夜子どもたちが寝静まった部屋の灯の下で考えたとき、「蛍雪」という言葉が思い浮かんだわけで。

繰り返し申し上げるようですが、私はそんなに勤勉じゃありませんので、蛍雪よりは大きな灯りの下で励もうと思います。

■冬、といえば

みなさんは冬という言葉がどんと前に現れたとき、何を思い浮かべますか?
クリスマスやお正月といったイベントでしょうか。
それとも、昔の恋人からイブにルビーのネックレスを贈られたな……、という形のない思い出でしょうか(ルビーのネックレスに他意はありませんよ。例です、例)。

私は、冬というと、一本の映画が思い浮かびます。
手元にDVDなどはないので、パッケージをお見せすることはできないのですが、少し昔の映画で、「ウィンターズ・ボーン」という映画です。

「自転車泥棒」と並び、衝撃を受けた好きな映画の一本です。

アメリカの田舎の集落で、貧しく、また父親が失踪してしまったながらも、懸命に生きていく少女とその家族を描いた物語です。
狩猟や獲物のさばき方を弟妹に教えたりと、暮らし向きが豊かでないことがはっきりと描かれ、少女の一家が集落でも疎まれていて、少女が暴行を受けたりするシーンもあります。

この映画を支えているのは、ひとえに主人公の少女を演じた女優さんの演技力なわけでして、映画の展開やストーリーは凡庸だと思います。この子は役者として台頭してくるだろうなと思ってエンドクレジットを見たら、なんとまだあどけなき頃のジェニファー・ローレンスでした。

ううん。むべなるかな。という感じですね。

余談ですが、ジェニファー・ローレンスは「世界にひとつのプレイブック」や「アメリカン・ハッスル」の役柄のような、王道のヒロインではなく、常道から逸れた女性を演じた方がうまいと感じるのは私だけでしょうか。
なので、「ハンガーゲーム」は1しか見てません。
「マザー!」では妻役母親役を演じたわけですが、周囲を取り巻く狂気が伝染して狂乱していく彼女もすごみがありました。映画自体は賛否が分かれそうなものですけど。

他にも好きな映画は「鑑定士と顔のない依頼人」とか、「幻影師アイゼンハイム」、「バタフライエフェクト」、「愛しのローズマリー」など、映画は浅く浅く見ております。

「ウィンターズ・ボーン」、見る機会がありましたら、ジェニファー・ローレンスの演技力にご注目ください。

■トンネルを抜けたらそこは……

じゃあ小説で冬といえばというと、川端康成の「雪国」くらいしかぴんとこないのは浅学故です。

恒川光太郎の短編にも「夜行の冬」というぜひ読んでみてほしい短編があるのですが、それくらいしか思い浮かびません。

多分、時間的に冬が舞台となっている小説は星の数ほどあると思うのですが(冬、山荘とくれば殺人事件というように、ミステリでは定番でしょう)、「冬だよ、冬」と季節を押し出したものってどれくらいあるのかな~と思うわけでして。

私の浅学をごまかそうというんじゃありませんよ。

映画であれば、雪が降っていたり、演者が冬服を着ていたりすれば季節が伝わるように、視覚に訴えるものって大きいと思うんです。作者が意図して押し付けなくても、受け手が自然と受容してしまうと言うか。

対して小説は文章に書いておかなければならないわけです。それも、冬という一語だけでおしまいにするのか、言葉を尽くして季節感を出そうとするのかでも、受け手の印象は変わってきます。

そうすると、冬であることが作品上重要な意味をもってこないと、さらりと舞台設定の一つとして流されてしまうわけです。

その辺りが、印象に残りにくい理由なんじゃないかと、無理くり愚考してみたわけですが。

■では、冬といえば

最初の質問に戻ってしまうようですが。

「冬」という言葉から連想するものって、「寒い」とか「厳しさ」じゃありませんか?

では、「冬」+「12月25日」からはどうでしょう。
連想するのは「クリスマス」、「サンタクロース」、「子どもの笑顔」とか、優しい柔らかな印象に変化するんじゃないかと思います。

これって「冬」だけに言えることではなくて、一般的にイメージの凝り固まっているものでも、他の要素を少し足してやれば、全然別のものに変わるんだということが、私が言いたいことです。

私が創作するとき、心掛けていることでもあります。
人間って(私だけかもしれませんが)、変化が嫌いじゃないですか?
自分の知っている常識からずれればずれているものほど、排除したくなるというか。

でも、刺激も欲しいから、常識的なコンテンツには見向きもしない。

そうなると奇抜すぎることをやっても受け入れられにくい(受け入れられる人もいます。いわゆる天才というやつですかね)わけです。
そうすると常識的な範囲で、いかにそれをちょっとずらしてアプローチするか、ということが重要になるわけで。

私もまだ、その辺りはこうすればいいよ、と言えるほど巧みにできませんし、うまい方に教えを乞いたいくらいです。

■結びに

長々と駄文を連ねてしまいましたが、常識を知って、そこに安住するのではなくて、一歩踏み出してみませんか、というお話でした。

蛍雪ならぬルームライトの下から、みなさまの安眠を祈りつつ。

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