長編の進捗とか、四方山話を
■長編の進捗について
現在原稿用紙で約160枚ほど。規定枚数はあと40枚ほどで超えるところですが、ストーリーの進捗としては、起承転結の「承」を2パートに分けて、三人の主人公それぞれの視点から書き進めているのですが、三人の1パートめが終わって、原宮刑事の2パートめを完了したところです。
ここで原宮刑事と、新興宗教団体「永劫の樹」のナンバーツー、「教主の宝石」の異名をもつオニキスとの因縁を描くことができました。実直で刑事という仕事に誇りをもっていた原宮刑事が、この後どう変貌していくのか、うまく書きあげられるかが腕の見せ所となるでしょう。
名称や設定など、前までの記事の内容をご存じの上だと仮定して書いてしまっていて申し訳ありません。もし気になったら、過去記事も探ってみてください。
■お仕事?
私は休みの日だったり、夜寝ないで起きて小説を書いていることを、子どもには「お仕事」と説明しているのですが、小説を書いてお金をもらっているわけではない以上、厳密にはお仕事ではないんだよなあ、と思いつつ。
お金をもらって、本という形で世の中に出て、堂々と「お仕事」してるんです、パパは。と言える日がくるのだろうか、と思いながら毎日小説を書き続けているわけで。
なので創作大賞や、今回出そうと執筆中の野生時代の新人賞などが、転機となってくれたらいいなあと考えております。
子どもの頃から、不器用貧乏(いいところがない)なところがあり、物事をある程度までできるようになると飽きてしまって長続きせず、何か功績を残せたものってなくて。小学校や中学校で色々なコンクールに受賞している子を見るたび、羨ましくなったものでした。
ですので、創作大賞など、文芸で表彰されることは、長年の望みであり、それが決して不可能ではない、手を伸ばせば届く位置に自分はいるんだ、と信じて今は何とかやっております。
■最近の短編について
『手紙』や『燃える空の向こうに』などを書いてアップしたわけですが、どちらの短編も、極力会話文を避けたスタイルで書いています。というのも、会話文というのは、地の文と比べると、時間経過が早いのです。
①早織は頬を打つ感触に気づいて顔を上げた。重い曇天が目の前には広がっていて、視線を下ろすと早織は一人だった。さっきまで横にいた同級生たちは昇降口に留まって空を眺めていた。早織にはそれが、早織と世界の間に一本線を引かれたように感じた。それは彼女にとって、決定的な断裂だった。やがて彼女の体を撃ち抜く機関銃のような雨が降り注ぎ、早織はよろめきながらも踏み止まった。
②「あ、雨だ」
「ちょっと早織、傘も持たないで、濡れちゃうよ」
「わたしだけ、違う世界にいるみたいね。みんなは来ないの? こっち側に」
例が下手ですいません。
①は長々と言葉を尽くした後に、ようやく雨が降ってくるわけです。同じような内容を会話文だけでやろうとすると、短くまとまります。これは時間経過が早いからです。まあ、時間経過の最速は下のような文章です。
③そして千年の月日が流れた。
③はたった一文で千年の時を超えたわけです。別に千年じゃなくてもいいんですけど。ここでは例として。
③を最速に、次に早いのが会話文です。
みなさんも読んだことあると思います。会話文でテンポよくぽんぽんと読ませてしまう小説。noteの主流もこっちなんじゃないのかなあと思うのですが。
なぜ主流の書き方でやらないのか、と言われてしまうと、単にスタイルの違いというのもあるのですが、感覚的に、会話文が三つ以上連続すると、気持ち悪くなってしまうんです。自分で書いてる場合。人の書いたものを読む分には問題ないんですけど、自分で書いていると、三つ以上会話文が並ぶと蕁麻疹が出そうです。
なので描写過多な小説が多いわけなのですが、最近書いているものは特に、かもしれません。本当に短い短編ばかりなので、無駄に会話文を入れるとだらだら時間ばかりが過ぎてしまってしまりがないように思えてしまうのです。
そのため、ここは、というところだけ会話文にするようにしています。
それが私の自然体で一番書きよいスタイルなのです。
ということで、今日は長編の進捗と四方山話でした。