見出し画像

再録:「回収者」


■前書き

今回の短編は1月14日に公開した作品を再録したものになります。
ただ再録するだけでは味気ないので、作品成立の背景なんかを加えて前書きとさせていただきます。

「回収者」という設定を思いついたのは、子どもの遊びがきっかけでした。
子どもが車のおもちゃ、それもゴミ収集車で遊んでいるのを見て、収集車→ゴミを回収する職員→ゴミでない何かを集める「回収者」、という連想ゲームで生まれました。

インタビュー形式にしたのは、有吉佐和子著、「悪女について」を発想の出発点にしました。本来であれば、語り手は映画のようにカメラの役割に徹し、「回収者」にフォーカスした形で考えていたのですが、私の筆力ではそれだと書ききれないなと思ったので、今のような一人称の形になりました。

インタビュー形式のものは恩田陸の「Q&A」なんかもあるみたいです。
先々インタビュー形式のものを書くときには参考にしようかなと思います。
いずれにせよ、もっと筆力をつけてからの話しです。

新作ができてなくて、今日の朝、ゴミ収集車に目の前で行かれてしまったので、その復讐(?)でもないですが、この短編を再録します。お読みいただければ幸いです。

■本編

 ソーサ―の上にコーヒーを置く。それがたてる微かな音にも、男は怯えるようにびくりと反応して見えた。
 私は極力口調を和らげながら、「お砂糖とミルクはいかがですか」と口元に笑みが浮かぶよう努力して言った。
 いや、結構。手を挙げて断った彼の手には、深いしわが刻み込まれていて、指先には墨で擦ったような汚れがあった。彼は私の家に着くなり、「失敬」と洗面台でハンドソープを執拗に揉みこみ、手を洗い流していたから、彼の手の汚れは皮膚の内側まで染み込んでしまっているのだろう。
「記録のため、ボイスレコーダーを使いますが、よろしいですか」
 私もコーヒーをテーブルに置き、甘い茶菓子の入った木の丸い器を差し出し、ボイスレコーダーを軽く振って訊ねる。
「ええ、まあ、それは構いませんが」
 視線を泳がせながら彼は答えた。緊張すると出る癖なのか、淡いグリーンの作業着の太ももの部分を、円を描くように手で擦っていた。
「この絵」と彼は白い壁にぽつんとはぐれたように掛けられていた額縁に目を止める。思わず口をついて出てしまったのだろう、目には「しまった」という色が浮かんでいたが、私が「その絵がなにか」と好奇の目で先を促したので、引っ込みがつかなくなってしまったようだ。
「この絵の女性、バーテンダーでしょうか。彼女の目が、そのう、知り合いによく似ていたものですから」
 なるほど、と私はにこやかに頷く。壁の絵は確かマネの絵だ。インタビューなどすることもあるのに、あまりにも殺風景、と付き合っている彼女が買ってきて、勝手に掛けていったもの。
「本題に入ってもよろしいですか」
 六十を優に過ぎた、疲れ切ったように見える彼が、二十代の若輩者の私の言葉を、上官の命令か何かのように背筋を伸ばして、焦点の定まらない目で応えながら、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「では、初めにあなたが『回収者』を始めて何年になりますか」
「そうですね。三十年。いえ、あれは妻が死んだ年でしたから、三十三年になります」
「何がきっかけで『回収者』になったのですか」
 男は少し俯いて、右手で柔らかな手つきで顎の無精ひげを撫で、顔を上げた。
「きっかけはいくつもあったのでしょう。妻の死、勤めていた会社の倒産。盗みに手を染めたこと。やくざ者の金に手を出して故郷を追われたこと、そうしたことが雪のように積み重なって、この街に誘われたのだと思います」
「この街に辿り着いたときには、『回収者』ではなかったのでしょう」
 もちろんそうです、と頷いて、彼は再びマネの絵に視線を走らせた。
「絵を描いてもらったんです」
「絵、ですか?」
 はい、と彼は頷いて、コーヒーにようやく手を伸ばす。取手を掴むが、持ち上げようとはしない。「どうぞ」と促しても、「ええ、まあ、そうですね」など曖昧なことを言って、引き寄せる素振りは見せなかった。
「駅前で似顔絵を描いておりました。若い女性の画家でした。そこの、絵の女性のような」
 そう言ってマネの絵を眩しそうに眺めた。
 マネの描いたその女性はバーの給仕であると同時に、娼婦だったのではないかとも言われている。確かに絶世の美人というわけではないが、どこか男を惹きつける妖しい魅力があるようにも見える。
「わたしのポケットには三百円しかありませんでした。絵は一枚千円と書かれておりましたので、正直に金がないことを伝えたら、ただでいいと、その女性はわたしを描いてくれました」
 どんな絵でした、と訊ねて私はコーヒーを一口啜り、菓子の載った盆からチョコレートを摘まみ上げると、包みを解いて口に放り込んだ。
「穏やかな顔のわたしが、空き缶を拾っておりました。空き缶はぼうっと光って見えるように、絵の具が滲んで描かれておりました。空は晴れて、屈んだわたしの背には温かな日の光が差していたのです。そして、街の影になる路地には、拾われることを待っている『彼ら』が描かれておりました」
 私は勢い込んで『彼ら』とは、と訊ねて、彼がのけ反って目を逸らしたのを見、性急に過ぎたか、と内心で舌打ちして、微笑を取り戻して椅子に座りなおした。
「『彼ら』は『彼ら』なのです。わたしに回収されることを待っている『彼ら』。わたしは『彼ら』を回収して、鯨の森で眠らせてやる必要があるのです」
 鯨の森とは、となるべく温和に、ゆっくりとした口調で訊ねると、回収者は口を噤んだ。
 これもだめか。アプローチを変える必要があるな。私は手の中で銀のボールペンをくるくる回した。
 男がそれをじっと見ているので、私はばつが悪くなって苦笑した。
 男はいえいえ、構いませんよと慌てて手を振って否定したが、視線はボールペンに向けられたままだった。
「質問を変えましょう。『回収者』とはなんですか。誰にでもなれるものですか」
 彼は目を丸くして、「はあ、あなたはご存じないので」と素直に驚いて嘆息していた。
「そういえば、あなたは他所の街からここへやって来られたのでしたね。わたしと同じです。まだ三か月ほどでしたろうか。それなら知らないのも仕方ないでしょう」
 ええ、と私は曖昧に頷いて笑う。彼は納得したようにしきりと頭を上下に振っていた。
「『回収者』は、生き物の魂や思念がこびりついてしまったごみを回収し、その魂なるものを大地に返して循環させるため、鯨の森に運ぶ仕事を担う者です。誰にでもなれるわけではありません。資格のある者の前には案内人が現れ、導いてくれるのです」
「なるほど。では、普通のごみとそうでないものは、どうやって見分けるのです」
「『回収者』には回収すべきものはぼんやりと光って見えます。青や赤、白や緑……、様々です。ですから、見間違えることはありません」
 私は黒いコーヒーの中に白いミルクを流しいれる。コーヒーは茶色に染まる。
「色の違いには何か意味が?」
 彼はコーヒーカップから手を離して、テーブルの上で両手を組み合わせ、指を絡ませては解くということを繰り返し、もじもじと落ち着かない様子になった。
「白や黒は危険です。赤や青は鯨もお腹を壊すことはありません。でも、白や黒はだめです。『調色師』の元に持っていかなければ」
 私が『調色師』、と疑問形で繰り返すと、彼ははっとして明らかに視線を泳がせ、「あ、いや、あの、そのう」としどろもどろになった。恐らく『調色師』について訊いても答えは出てこないだろう。今はまだそれでいい。私は『回収者』のことすらろくに知らないのだから。
「あなたはなぜ『回収者』になったのですか」
 彼はなぜそんな質問をするのかが分からないといった純粋な目で私を見つめ、首を小動物のように傾けた。
 私は咳払いをして、そんな彼の視線から逃れる。
「質問を変えます。あなたはなぜ自分が『回収者』に選ばれたと思いますか」
「わたしは空っぽでした。それは単に財産や地位の問題ではなく、わたしの中には常に虚無の風が吹いていたのです。そして風が吹く心の中も荒野のようでありました。乾いた、からからの熱波が停滞した荒野」
 男はおもむろに立ち上がった。
「器の中身が空であるからこそ、彷徨える魂や思念を回収できるのです」
 古びて色あせた、デニム生地のショルダーバッグの中に手を突っ込んで、彼は火ばさみを取り出して、私の目の前でかちかちと先端を打ち鳴らして見せる。
「わたしがなぜ、あなたのインタビューを受けようと思ったか、あなたには分かりますか」
 男はおどおどしながらも、人懐っこそうな笑みを浮かべて訊ねた。
 私は椅子の背もたれに寄り掛かりながら、考えてみた。
 私が街で新参者の、『回収者』をよく知らない人間だから?
 それはありそうだ。『回収者』自らが自分のことを説明するのが手っ取り早い。
 お金に困っていて、報酬を目的に?
 いや、それはないな。その証拠に彼は私が話を持ち掛けてからここに至るまで報酬の話なんか一言も出していない。
 考えてもはっきりした答えは出なかった。私は誤魔化すように困った表情を浮かべ、肩を竦めてみせ、「分かりませんね、降参です」とおどけて言った。
「ええ、そうだと思います。あなたには分からないでしょう。この街でわたしにしか分からないことです」
 男はそれまでの恐縮しきった態度が嘘かのようににっこりと笑い、火ばさみを広げて私の頭を掴んだ。
「何をするんです!」私は悲鳴とも怒号ともつかない叫びをあげた。
 火ばさみはぎりぎりと私の頭を挟んで締め付ける。火ばさみの先は少し焦げて黒くなっていて、木か何かが燃えたような臭いが漂っていた。挟まれるほどに、頭が圧縮されて薄く平べったくなっていくように思えた。
「あなたは『白』です。このまま放置しておくことはできません。危険です。『調色師』のところへ連れて行って、鯨の森へ行かなければ」
 私には彼が何を言っているのかさっぱり分からなかった。ただ自分の頭を、顔を圧し潰そうとする冷たい金属の感触が不愉快で仕方がなく、一刻も早く離してほしい、それだけを願っていた。
「危険です。あなたは『彼』ではない。生きて思念になる、それも『白』だなんて、よほどの思いがあったのでしょう」
 私は手足を滅茶苦茶にばたつかせて抵抗したが、男は両手で火ばさみを掴んで挟む力を更に強めた。あまりの苦痛に呪詛の言葉を叫び、目の前の男を罵倒した。言葉が尽きるとただ獣のように吠えた。やがて喉も枯れ果てると、諦めが心によぎって抵抗をやめた。すると火ばさみの力が緩んだような気がして、苦痛が和らぎ消えていった。周囲には心地よい温度の温泉が満ちていて、自分の体がそこに溶けて一体化し、漂っては揺らいでいる、そんな快感が私を支配していった。

 わたしはショルダーバッグから黒いビニール袋を取り出すと、火ばさみの先に摘まんだ銀に煌めくボールペンを袋の中に入れ、しっかりと縛った。
 この部屋の持ち主は若い男性で、ジャーナリストを志していたらしいが、夢破れて心が疲れ果ててしまい、父親が倒れたことも影響して実家の苺農家を継ぐとのことだった。
 わたしは壁に掛けられていたマネの絵を外し、小脇に抱えた。何だか火事場泥棒のようで気が引けるが、大家からは気に入ったものがあれば何でも持って行っていいと言われている。
 ボイスレコーダーは煙のように消失し、コーヒーカップの中身は潮が引くように消えた。盆の上の菓子は砂のように崩れてただの埃になった。
 思念の危険なところは、本人が気づかない内に罠を張って、そこに掛かった人間を道ずれに飲み込んでしまうことだ。彼の恋人がこの部屋を訪れた直後から消息を絶っているが、恐らく彼の姿をした思念の罠に掛かり、飲み込まれてしまったのだろう。
 だからわたしは、彼の思念と一緒に鯨の森へと連れて行かねばならない。
 森の鯨が、再び大いなる海へと漕ぎ出だす、いつかその日まで、わたしは繰り返す。
 アパートを出ると、夕日が道を照らしていた。包丁がまな板を叩く音や、鍋が煮える音、拙いピアノの練習音、鉛筆がノートを走る音。そうした生活の音が夕方には満ちているように、私には思えた。
 人の生活がそこにあってそれを感じられる。私にはそれがたまらなく嬉しいのだった。だから、わたしは夕暮れの街が好きだ。
 今から『調色師』のところに寄ると、鯨の森へは明日になるかな、と私は鯨の背中のようなあのなだらかな丘を思い出し、夕暮れの街へと一歩を踏み出した。
 膝が痛むなあ、年かなあ、と自嘲しつつ、今日も私は『回収者』という自分の役割をまっとうする。

〈了〉

■サイトマップは下リンクより

■マガジンは下リンクより


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?