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【021】争いの可否。全員一緒にゴールもいいけれど。

渋沢栄一の「論語と算盤」のなかで、争いの可否について書かれた一文がありました。

争いの可否
世間には、争いを絶対に排斥し、如何なる場合においても、争いをするということは宜しくない。「人もし爾の右の頰を打たば、左の頰をも向けよ」などと説く者もある。(中略)私一己の意見としては、争いは決して絶対に排斥すべきものでなく、処世の上にも甚だ必要のものであろうかと信ずるのである。(中略)国家が健全なる発達を遂げて参ろうとするには、商工業においても、学術技芸においても、外交においても、常に外国と争って必ずこれに勝ってみせるという、意気込みがなければならぬものである、ただに国家のみならず、一個人におきましても、常に四囲に敵があってこれに苦しめられ、その敵と争って必ず勝ってみましょうとの気が無くては、決して発達進歩するものではない。

争う

簡単にいうと、渋沢栄一は争いについて、
争いに勝ってみせるという意気込みは、国や個人の進歩発展に必要」だと言っています。

例えば、ビジネスの場において、いつも優しくて決して怒らずに、失敗したとしても全てのことをサポートしてくれる上司がいたら居心地はいいかもしれません。

しかし、そういった上司の場合、あらかじめ心配する必要はないなど、呑気に物事に取り組んで注意を欠いたり、やってやるぞという奮発心を削り取ることに繋がります。

一方、いつもガミガミとうるさく、ミスや失敗を指摘する上司がいる場合は、油断や隙を作ることができず、一挙手一挙手に注意を払うようになります。

狙ってやっている

私は従業員1万人以上の大手の人材会社に勤めており、時には社長や副社長にお会いすることもあります。

そして、そう言った方こそ、礼儀などの細かい部分に注意を払い、一社員の私に対しても姿勢や言葉遣いを注意したりします。

最初は、「なんだようるさいな」と思うこともありましたが、普段のお人柄をみていると、それは人を傷つけることを目的としておらず、会社を維持・発展させるために狙って行っていることなんだと感じます。

全員一緒にゴール

こう考えると、例えば小学校のリレーで平等であるために全員一斉にゴールをするということを聞いたことがあるけれど、

個人の奮発する力を養い、強く自力で生きていく力を育てるためには、人を傷つけるためではない争いは必要なんだろうなと思いました。

争いの形が異なると、時には人を傷つけてしまうこともあるけれど、絶対に争わないとなると、国や個人の発展が衰えてしまう。

どんな争いの形がいいのかは、個人的には分からない部分もあるけれど、

より平等に対する意識が高まっている今日でも、人を傷つけず、やってやるぞという奮発心は持ち続けたいなと思いました。

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