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血の垂れたビフテキ的発言に対する反論。雑感。あれやこれや。

悠々自適の毎日、待てど暮らせど金は入り、昼は駅前のグランドホテルにてランチ、ペラペラのナプキンを首にかけて血の垂れたビフテキを喰ってそうな爺やが、「近頃の若者はなっとらん」などと言いだすと、なんだこの野郎、と言いたくなる。はてさて、ここまで書いていて早速思ったのだが、「近頃の若者はなっとらん」などと口にした当の本人が、なぜ「血の垂れたビフテキを食ってそうなおっさん」でなければならないのか。いやしくも当方が真っ正直な若者、ウェルテルのごとき美しい好青年であったならば、生まれて数か月の赤ん坊でも、アメ横の飲み屋でぶっ潰れている髭の濃いオッサンでも、スーパーで店員に半額のシールをつけてくれと頼みにいく化粧の濃いオバハンでも、「近頃の若者はなっとらん」なんて言われた暁には、すぐさま座禅を組んで滝に打たれ、今までの自分の人生を隅から隅まで想起し、あそこがダメだったのか、いや、ここがダメだったのだ、せや、これからはそうしよう!なんて始めなくてはならない。だが、そうはならぬ。もしも今、当方の前に生まれて数か月の赤ん坊がよちよち歩いてきて、「近頃の若者はなっとらん」なんて言い始めたら、当方これでもかというくらい笑い飛ばすだろう。「おほほほほほほほ、お主に何が解るんじゃい。」なんて言って。要するに、当方のこのむかつきは、血の垂れたビフテキおじさん限定のこのむかつきは、若い頃に苦労をし、耐えがたきを耐え忍び難きを忍び、ようやく高いところに到達して、この世の中を睥睨、そして今の若者の生活態度を見るに忍びず、本心から漏れ出でた「近頃の若者はなっとらん」という嘆息、これを言える立場のオッサンに対する嫉妬以外の何物でもない、ということになる。あさましい。

また、こう言う事もできる。「諸君、まあまあ一回座って、その唇の脂をぬぐい、長生きの秘訣、胡麻麦茶でも飲んでなさい。さ、よーく考えて見て。一度だけ、一度だけでもいい。『最近の若者はダメだ』なんて言われなかったような時代が、2000年来人類の歴史の中で、果たしてあったかね?」はい論破。ぐうの音も出まい。ざまあみやがれ。ほほほいのほい。なーんてね。馬鹿野郎。そんなこと言ってたって解決はしない。「お母さん、どうしてこの世から戦争は無くならないの?」「そういうもんだからだよ。」「お母さん、どうしていつも私を殴るの?」「そういうもんだからだよ。」「お母さん、どうして私は死ななければならないの?」「諸君、まあまあ座って・・・(中略)、『幼い子が理不尽に殺されなかった時代』が、2000年来人類の歴史の中で、果たしてあったかね?」ダメだダメだ!!ストーップ!!こんなことばかり言ってるから、当方ら人間はまるで進歩しないのである。「どうして?」に対して「そういうもんだからさ。」という答えの仕方は、まったくもって卑怯なことこの上ない。ズルい。あさましい。反論の余地がないではないか。何も言えなくなってしまうではないか。これだから「最近の若者はなっとらん」なんて言われてしまうのだ。

ここで当方、一度腹を据えて考えてみる。なぜ、「最近の若者はなっとらん」なんて言われるのだろうか。確かに、我々は少々わがままに育ちすぎている感はある。なにしろ、当方が生まれたのは1999年、高度経済成長を終え、モノがあふれかえった社会、優しい人々に守られつつ、蝶よ花よと育てられてきた、少々日光浴の足りてない、なよなよした若者である。なよなよしている割に、キーボードを叩けばどんな情報でも手に入れてしまうことが出来るから、当方ら若者は、専門家が苦労の末解明した玉のような知識や、苦労に苦労を重ねてようやく成功を掴んだ爺やのぐっとくる体験談などを、居間でコタツに入りながら読むことが出来る。そして、それをさも自分の体験のように語るのである。このような状況が何を生むか?そう、冷笑家を生むのである。大体、近ごろの若者は行動しなさすぎる。そもそも何かを買うにしても、すぐにネットを開いてAmazonで検索、楽天で検索、メルカリで検索、ヤフオクで検索、価格ドットコムにて比較としゃれこみ、貧乏人根性丸出しの値切りをして買ったものを知人に見せびらかし、「お前それどこで買ったの?え?地元のデンキ屋?損してんじゃん?馬鹿じゃねえの?」なんて言い出す始末。お金は稼がなければならない。でも、損はしたくない。なるべくホワイトな企業で、なるべくたくさんの給料をもらいたい、そのためには情報、情報が命だ!・・・などと考えるのは、まあ人として当然のことであるが、それが裸一貫のたたき上げ、あるものすべてに体当たりして挑んできた、我らの血の垂れたビフテキおじさんからしてみれば、大いに鼻につくのであろう。「あいつらろくな知識も経験もないくせに、権利ばかり主張しやがって、馬鹿じゃねえの。」と、こう来るわけである!

反省だ、反省!不思議なことに、こうやって考えれば考えるほど、我らが血の垂れたビフテキおじさんに対してぐうの音も出なくなってくるではないか。そうだ、彼らは、おそらく本心から言っているのだ。「また、あんなこと言って。自分の若い時代に戻りたいのか?若さという財産を持っている俺たちに嫉妬しているのか?え?」なんて言ってはならない。それは、冷笑家の言う事である。ここはひとつ、真摯に受け止めようではないか。年長者の言う事を聞けと、孔子も言うておる!真摯に受け止め、我々は精一杯汗水たらして生き、自分自身がグランドホテルで血の垂れたビフテキを食せるよう、邁進していかねば!今すぐ、今すぐ、行動だ!まずは・・・そうだ、ネットで調べてみよう。「行動 頑張る 人生」で検索。あれ、あれれ。いろんな情報、いろんな体験があるなあ。わ、この人こんなことやってバカやってる。なるほどこうするとこんなふうに失敗するのか。人生、難しいな、今のままでいいや、とりあえず、現状維持で。


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