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圧倒的ゴーゴリ

夜中になり天涯孤独、一人パソコンのキーボードに向かいて、ああでもないこうでもないと書くべき内容を考え、読んだことはあるがさして興味もわかなかった小説やら論説やらを指を舐めつつ捲りめく、あやもうこんな時間だ、こんな時間に書き始めていたのでは偉大なるnote運営閣下による、「毎日投稿できててすごいです!」とか「創作が継続できてて自慢できちゃう!」などという誉め言葉のテロップが拝見できない、どうしよう、もう何でもいいや、どうにでもなっちまえ、ということで本日はただ自分が好きな作家について語るだけの文章を書こうと思うのであります。ご清聴、ありがとうございます。


まずもって名を挙げるのはゴーゴリ、19世紀のペテルブルグで、寒さに打ち震えつつ将軍閣下の鳶ペンを削って血のにじむような傑作を書き上げた我らが即身仏である。私は彼のことが好きでたまらない。どのくらい好きかというと、ある日彼の著作をすべて読みたくてたまらなくなり、緊急事態宣言中の大都市に新幹線で滑り込んで神保町へ向かい、昭和9年出版のナウカ社「ゴオゴリ全集」をすべて集めるのに諭吉4人ほどと涙を呑んで決別したほどである!ふだん、私は本を買うのにほとんどお金を使わず、積読も一切無く、読んだ本は意地でも必ず最後まで目を通すのだが、これは特に崇高な情熱やらこだわりやらがあるわけではなくただ単純に「買ったものは全て有効活用しなければならぬ、さもなくば汝はお金に土下座して謝らなければならぬ」などという貧乏人根性、百姓家系の宿痾が私の中でとぐろを巻いてるからにすぎないのだが、そのような吝嗇根性をかなぐり捨ててまで彼の著作はすべて手に入れたいと思った。だが、冷静に考えるとこれは単なるあほであり、吝嗇な自分が、きょうび家から一歩も動かなくてもインターネットにより古本など簡単に手に入るという常識を頭の中から消し飛ばして我が安月給をJRに捧げてしまったことは一生の不覚であり慙愧に耐えぬ衝動的愚行である。


話が脱線した。とにかく私が特に好きなのはゴーゴリである!理由は?それは何といえばいいのだろう?彼の文体からにじみ出てくるニーチェ的な「ニヤリ😀」を彷彿とさせるユーモア、それでいて人間に対する愛情というか、ものみなすべてに対する慈しみと興味関心を損なわない感性、そして何よりも、ありのままの人間をマジでガチでありのままに描き出そうというほとんど病的ともいえる精神的努力、これがもう好きでたまらないのである!晩年、彼はこのどうしようもないほどのクソ真面目さによって自らの身を滅ぼすことになるのだが、それは自分の命なんぞより羊皮紙の上で踊り狂う汚いキリル文字のほうがよっぽど価値があるとするあまりにも反人間的、反生命的な彼の性情から考えてみれば仕方のない結末であり、やはり人間的善意の母乳ばかり飲み過ぎて栄養バランスが取れず不健康になってしまったのであろう。私の読書的見聞というか教養は普段拝読している他のnoteアカウントの皆様のそれにくらべれば赤子同然であり無知蒙昧なまま文学者気取りで駄文を連ねているだけの者であるが、それにしてもである!それにしても、歴史上あまたを連ねる作家たちの中で、彼ほどユニークな人間はちょっとお目にかかれないのではないだろうか?

愛すべきゴーゴリ。実際の彼はこんなに美男子ではなく、おそらくかなり老けているだろう。

というわけで私の目標は彼になることである。正確に言えば、彼のロシア語で書かれた至高の芸術に、あの素晴らしき昭和のロシア文学者、平井肇氏による翻訳のヴェールをかぶせた「完成形」、これがやりたい!これがやりたくて仕方がないのだ!だがどんなに頑張って書いても、自分の記事を読み返せば読み返すほど彼の芸術とは遠くかけ離れた、気味が悪く得体のしれないブタゴリラみたいな文章ができていくばかりであり、これに関しては修練、耽読あるのみであると思っているのであるが、もしかしたら、というか高い確率で彼らの生み出した至高の芸術のフリをしたようなものさえ、自分が孕むことなどできやしないのかもしれない。

次に私が好きなのは作家、町田康氏である!彼についても山ほど語りたいことがあるのだが、ここはやっぱり、明日の夜中に書くことが無くてストレスのあまり衝動的に酒を呑むという愚行に走ることが無いよう、本日はこれにて記事を締めくくりたいと思う。


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