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あれは私で、私はあれだ

ーーーいただいた3つの言葉を小説にしていると、改めて創作の難しさが身に沁みてわかります。人の心を動かすのはやっぱり難しい。どんなに心血を注いで書いても、飲んだくれながらテキトーに書いても、それが心に響くか響かないかは全く分からない。すべては結果だけが重要なのだというのもまた、芸術創作の残酷な点です。

今日は、3つ目の最後のお題について、自白的な小説を書いてみました。一人のさえない男が海で一夜を過ごす、それだけの話です。彼の心の中を文章にしてみました。

「指先から糸がほつれていく。その細い糸は同じく無数の糸のようになった空気と緩やかに絡まり合い、ねじれ、一つのものになっていく。一つの大きな物体から長く続く線になった時、淀みが消えた。美しく、澄んだ空気と一体になれたのだ。私は心から嬉しいと思った。」


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改めて、AM/大学生様、貴重な機会を当方に与えていただきありがとうございました。ーーーー


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あれは私で、私はあれだ


海に来てみた。目を瞑ってみる。

最近は、なんとなく上手くいかない日々、という感じだった。

まぶたの裏に様々なイメージが浮かんだ。

まず浮かんできたのは昨日怒られた上司の顔だった。どうやら俺の作った書類の数字に不備があったらしい。エクセルのB6マスに100と入れるところを間違って1000と入れてしまったのである。

かのおっさんは顔を真っ赤にして怒ってしまった。最近の若者はなっとらん。こないだ俺の息子も・・・などとなんだかよく分からん方向に話が持っていかれていたような気がする。。

忘れていた。俺は海に来ているんだった。

おっさんの顔は忘れよう。

いったん目を開けた。

目の前には、静かな水面がずっと向こうまで広がっていた。そりゃそうか。ここは海なんだもの。それにしても、夜の海ってなんでこんなにも暗いのだろう。空気よりも暗い気がする。何か魔物が住んでいそうな、そんな気もする。今日は海がおとなしいからまだいいようなものの、夜の荒れた海というのは、もはや狂気そのものではないか。何も見えないというのに、全てを打ち砕くかのごとく激しい波の塊が、テトラポットにあたる時に響くあの音だけが、空気の芯まで鳴り渡る。地震の直前におこるあの地響きによく似ている。大地のエネルギーというのは、人間が絶対に作りだせないような、暴れ回る何かを秘めている。

そんなことを考えながら、また目を瞑った。

大丈夫、ここには誰もいない。財布とスマホはポケットの中にある。

始めは我慢が必要だった。次第に眼球の奥から冷風が出ているように感じられてきた。そして、顔の周りを虫が這っているような感覚が、ときどき僕を襲ってきた。いや、本当に虫が這っていたのかもしれない。それでもいい。フナムシ、ゴキブリ、万歳だ。醜い虫にこそ、どこか深い共感を覚えるのは私だけだろうか。

やがて自分が砂になったような気がした。思い込みか?いや、確かに崩れている。砂?というよりも、俺は糸だ。蜘蛛の糸みたいな、軽くて、すぐ飛ばされそうなやつ。

身体がバラバラになっていく。日頃俺が勝手に作り出している「俺」と「俺以外」の境目が溶けてなくなっていく。指先がくすぐったい。ここから「俺」はほどけていくらしい。俺の指先は、糸のようになって空気の中に飛んでいく。空気の中にも、俺の糸と同じものがたくさん流れているようだ。それらと混ざり合い、ねじれ合い、深く絡まっていく。もうほどくことはできないだろう。俺は、身の回りのあらゆるものと同じ「糸」でつながっているのだ。

うわ、腕一本全部ほどけてしまった。俺はいったい何になってしまうのだろう。空気か?いや、こうして絡まり合いねじれ合いながら、俺の「糸」たちは大きな一つの物体の中に吸収されていくらしい。それはまあ、言ってみれば「意志」そのものだった。俺の身体だったものは、首から上もほどけて、心臓もほどけて、ぐちゃぐちゃ、もじゃもじゃ絡まりながらその「意志」の中に吸い込まれていく。そいつは海の上にでも漂っているのだろう。恐ろしく大きな、貪欲なヤツである。やがて、完全に取り込まれてしまった。

「俺」と「俺以外」を分けているもの、それは深く暗い、恐ろしい淀みだったが、それは海水にでも満たされてしまったらしい。俺は俺でもあり、海でもあり、向こうに見える山でもあるのだ。同時に彼らが俺なのだ。こんなことを思いついた瞬間、やにわに楽しくなってきた。俺は心から嬉しいと思った。

何も焦ることはない。俺は大きなものの一部だ。これが「死」というものだとすれば、恐れることもなさそうだ。ただ、言葉でははっきりといわないが、その「意志」は俺たちに生きることを望んでいる。これは確かだ。生きなければならぬ。俺たちというこの糸の塊は、空気や水からエネルギーを貰って、死ぬまで風に吹かれて踊り続けるのだ。足掻きとおすのだ。

目を開けた。

向こうの山から朝陽が昇っていた。胡坐をかいた僕の足の中で、一匹のフナムシが撒き餌のカスにかじりついていた。

Fin

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今日もお読みいただきありがとうございます。皆様の一日が素敵なものになりますように。



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