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さよなら私のメランコリーデイズ【オールカテゴリ部門・創作大賞応募作】


【あらすじ】
ある夜、人見知りな桜の木に愚痴を聞かされる不思議な体験をした私。
「見られるの苦手なんスよね」との事らしい……。
それは、不可思議と花びらが舞い散る夜の出来事でした。
【エブリスタ様の第194回妄想コンテスト
テーマ『桜が嫌いな理由』で佳作受賞作】
★他コンテストに応募しても問題ないとエブリスタの運営様に問合せ済みです★


 片っ端からハリセンで頭を叩いていきたい。

 ベランダで洗濯物を干しながら、私は隣の公園で、マナー違反の酒盛りをしている花見客を見下ろしそんなことを思った。
 大学進学で上京してから二度目の春を迎える。今年も、四月の夜が私の心に憂鬱を描いていく。

 母子家庭で貧しかった私は実家からの仕送りはなく、公園の真横にある小さなボロアパートの二階に住んでいる。室内に洗濯機を置くスペースはなく、ベランダ置きの狭い部屋だ。大学の授業以外の時間を全てバイトに充てても、それでも生活はいつもギリギリだった。

 近頃はずっと、疲れて部屋に帰ると横の公園から大声で騒ぐ酔っ払いの声が聞こえてくる。

 今日は何時に終わるのだろう……。
 そのまま空き缶や食べ残しを放置する人も多く、この時期の公園はひどく不衛生になる。

・夜九時以降の花見は近隣の迷惑となるためお控え下さい
・飲食で出たゴミは、必ず各自でお持ち帰り下さい

 公園のフェンスに貼られた、区役所地域課の小さなポスターなど酔っ払いの目にはとまらない。黒一色の文字のみで書かれた控えめなポスターに、「もっと激しく主張しなさいよ!」と、私はいつも心でツッコミを入れている。

 こうして、三月下旬から四月をメインに私の憂鬱な日々が始まる。
 それもこれも、この公園に満開に咲く美しいソメイヨシノがあるからだ。ここに桜さえ無ければ、私はもっと穏やかな春を過ごせたはずなのに……。
 恨むべきはマナー違反をしている人々だと頭では理解しつつ、それでも、八つ当たりのように桜を恨んでしまう感情を抑える事ができなかった。

 大学でもそうだ。
 サークルの新歓コンパや合宿。四月の桜と共に騒ぎ出す人たちを見るとイライラしてしまう。
 随分お気楽な人生ですねと、そんな嫌味なことばかり考える自分が、本当は何より嫌いだった。

 
 午後十一時。
 眠る前のこの時間に、古本屋のワゴンセールで買った百円の文庫本を読むのが、私のささやかな楽しみだ。
 電子書籍でもっと安くに売っているものや無料のものまであるけれど、幼い頃から本好きだった私は、どうしても紙の本にこだわってしまう。紙の匂いや手触りも私は大好きだった。

 そんな癒しのひと時を、酔っ払いの大きな笑い声が邪魔をする。

「ほんとハリセンって、どこに売ってるんだろ」

 スパーンッと一発。
 マナー違反者を順番に並べて、軽快なリズムで頭を叩いていきたい。もちろん本気で相手を傷付けたい訳ではないので、モグラ叩きの要領で楽しみたいのだ。

「おもちゃのピコピコハンマーでもいいな」

 ピコピコとファンシーな音を響かせて、片っ端から殴っていく。きっと、たまらない爽快感を味わえるに違いない。けれど、これは決して実行される事のない妄想だ。

 公園からまた騒ぐ声が響き、ボリュームを増した笑い声と共に手を叩きはじめる。

「なーぐーりーたーいー」
「わーかーりーまーすー」

 瞬間、私の呟きにあるはずのない相槌が返ってきた。

「え?」

 私はベランダに出て声のした方を覗き見る。自分と同じ歳頃の青年が、隣のベランダの柵に優雅に腰掛けていた。

 隣は空室だ。

「不審者? まさか、ゆ、幽霊?」

 焦って逃げようとした私は、足がもつれベランダで尻餅をつく。

「あ、大丈夫っすか? 僕は桜の中の者です! 決して怪しい者ではないのでご安心を!」

 桜の中の者…………って、何?
 その説明のどこに「ご安心」の材料が含まれているのか。軽いパニック状態の私を、青年は隣のベランダから身を乗り出して心配そうに見つめている。

「そこっす。そこの桜の中の者です!」

 指差す先にあるのは、満開のソメイヨシノだ。

「そしてこちらが僕の兄で、その隣にある、桜の中の者っす」

 恐る恐る立ち上がり、体を前に乗り出し隣のベランダを覗き込むと、柵に座った青年の横に、もう一人男性がいた。

 先程から繰り返される『桜の中の者』という言葉はいったい何なのか。まるで『皆さんご存知の』とばかりにそれを繰り返されても、まったく存じ上げていないのだ。

「よし。通報しよう」

 不審者だ。
 自分の中でそう答えを出して、私はポケットからスマホを取り出した。

「あ、待って! 今は実体化してるんで見えてますけど、基本は見えない状態なんで! 通報すると、君が困った通報者になるっすよ!」

 いよいよ、会話がおかしな事になってきた。

「うん。通報する!」

 もう一度、決心して私はうなずく。

「あー、待って! じゃ、じゃあ。今から一瞬だけ消えるんで! 実体化を解きます。それを見てから判断して欲しいっす」

 そんな言葉を残して、彼らの姿が私の前から忽然と消えた。

「え?……やだ、嘘でしょ」

 あまりの事態に壊れそうなほど心拍数が上がり、息苦しくなってくる。それからしばらくして、彼らが隣のベランダに再び現れた。

「信じて頂けました? 僕らは桜の中の者なんで、害はないっす」
「それって……桜の木の、精霊的な? 人ですか?」

 小さく尋ねると、「そんな感じっす」と青年が笑う。
 その隣にいるもう一人の青年は、相変わらず黙ってうつむいていた。

 基本、桜の中の者はみんな人見知りなのだと言う。
 誰も見られたいと思っていないし、そっとしておいて欲しいと願う者ばかりらしい。昔からずっと、「花見がしたいなら、どうか他の花でお願いします」と祈り続けているそうだ。

 そんな桜の中の者とは違い、梅の中の者たちは、「俺を見ろ!」「私を見て!」と思っている者が多くいるのに反して、日本人が桜の開花ばかりに注目するので、梅の中の者から筋違いな恨みを抱かれる事態となっているのが、桜の中の者にとっての悩みの一つなのだと言う。

 桜の中の者としては、人間の皆さんは、梅の皆さんと勝手に盛り上がって頂ければ幸いです。というのが本音だそうだ。

「もう。マジでツラいんすよ、立場的に」

 桜の花弁がこんなにも一瞬で散ってしまうのは、人間の視線に対するストレスで、人間がストレス過多で禿げるのと似たような原理らしい。

「思わず、君の怒りの感情と僕らの憂鬱な波動がシンクロして、実体化しちゃったっす」

 つまり桜は常々、花見をする人間に対して、「こっち見んな」と思っているという事になる。

 衝撃の事実だ!

 狭い私の部屋の中で、桜の中の者が二人。
 ローテーブルの前で正座し、愚痴を吐きながらミネラルウォーターを飲んでいる。

「あなたも人見知りなの?」

 ずっとフレンドリーに喋り続けている方の青年を見た。

「僕は異端児で、桜の中の者としてはコミュニケーション能力レベルマックスっす。基本は、隣にいる兄と同様に、みんなコミュ症なんで」

 ずっとうつむいていた兄の方が、内緒話でもするように弟の耳にコソコソと何か話し出した。

「あ、兄が! あなたになら、挨拶をしたいと申してるっす」
「え?」

 兄の方に視線を向けると、聞き逃しそうなほど小さな声で、
「月の夜 ひとしき想い 重ねあう」
 と、恥ずかしそうに句を詠んでからまたうつむいた。

 まさかの俳句……!
 まさかの五・七・五で挨拶されるとは思わず、返事をすることが出来ずに私は固まる。
 そんな私のリアクションのせいで不安になったのか、兄がまた弟に向かってヒソヒソと何かを告げた。

「お気に召しませんでしたかと、兄が心配してるっす」
「ち、違うの! 挨拶してもらえて嬉しいんだけど、俳句の知識がなくて……。とても嬉しいです。ありがとう!」

 私がそう言うと、兄はチラッと視線を上げて、その後ハニカミながらうつむいた。
 照れているのか、実体化している耳も首元も真っ赤になっている。
 なんだか私まで恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちになって、思わずうつむいた。

 この気持ちはなんだろう。
 まだ恋になる前の、小さな小さな芽が生まれた瞬間のような……。キュンの鼓動が、胸の奥で弾けたような気がする。

 気付くと、外の宴会は終わったようで公園に静寂が訪れていた。

「あ、静かになったね」
「では、僕らはこの辺で失礼するっす」

 兄弟が揃って立ち上がる。
 兄が少しモジモジしながら、弟にまた何かを話している。

「ご迷惑でなければ、また、桜の季節に会いに来ても宜しいでしょうか。と、兄が申してるっす!」
「うん。次に会える時までに、頑張って俳句の勉強してみる」

 私がそう言うと、兄は驚いたように顔を上げて、ひどく嬉しそうに微笑んだ。
 そしてチラチラと視線を泳がせた後、意を決したように、今度は真っ直ぐに私を見つめて笑う。
 満開の桜の木と同じ、人を魅了して止まない美しさと儚さを持つ笑顔だった。

 桜って、無自覚で人たらしだ。

「では、またっす!」

 小さく手を振る二人が、スッと公園の桜の中へと消えていった。兄だと説明された方の木から、美しい花吹雪が私のベランダで舞い踊る。
 その中で一番濃いピンク色をした可愛らしい花びらが、まるで重力に逆らうかのように、そっと私の手の平に着地した。

「ありがとう。またね」

 あまりに不思議な体験に、まだ心がフワフワしている。

「古本屋に、俳句の本あるかなぁ? 普通に買うと高そうだし」

 勤労学生のお財布事情は、年中真冬並みの寒さだ。それでも、今宵の私の心はポカポカと温かい。

 ずっと、四月が嫌いだった。
 ずっと、公園の桜の木が嫌いだった。

 四月の夜は、私の心に憂鬱を描く。
 けれど不可思議と花びらが舞う夜が、私の憂鬱を弾き飛ばしてくれた。

 私は今。
 再び巡る桜の季節を心待ちにしている。

(了)



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