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杉本博司さんの作品を見て、はじめて眼鏡をかけた日、コンタクトをした日を思い出した。

どうも、人間愛好家のブー吉です。

皆さんは杉本博司さんをご存知だろうか?
彼は写真家、アーティストだ。
先日、森美術館のSTARS展にて彼の作品を拝見した。

https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/stars/index.html


個人的に、森美術館の展示の仕方も良くて、暗い路地の突き当たりに、ぽつんと、この「シロクマ 」がいる。


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この「シロクマ」に吸い寄せられるようにして進んで行くと、どんどん、その生命が顕になっていくのだ。

そして、森美術館には杉本博司さんの言葉もいくつか展示していた。
その中の一つがこれだ。

人間の眼にはシャッターが無く、必然的に長時間露光となる。

人間の眼の露光は、新生児が目を開いたときから、人生の最期にその眼を閉じるまでの、ひとつの長い過程だ。

われわれは生まれてから死ぬまで、網膜に写し出される逆転した虚像に頼りながら、自己と世界の距離を止むことなく測り続けるのだ。


写真家、アーティストならではの視点の言葉だ。

目の前にある現実も本当に見たままの物体であるのかは分からない。

当たり前だけど当たり前じゃなかったことを思い出した。そして同時に、小学生だった私が、初めて眼鏡をかけた日初めてコンタクトをした日を思い出した。



私は目が悪く、眼鏡かコンタクトがないと周りがよく見えない。
でも、本格的に目が悪くなったのがいつからなのかという実感はない。

というのも、学校で行われる体力測定にて、視力検査ならぬ記憶検査をしていたからだ。


体力測定の結果が悪いと書類を渡され、病院に行かなくてはならない。私はそれが嫌だったので、極力良い数値を叩き出すために奥の手を使っていた。

チート小僧は視力検査の列に並んでいる間、どの場所に何があるのかを暗記することに集中していた。

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その結果、実の所見えてないのだけど、B評価は取れるため、眼科に行くことはなかった。


しかし、偶然席替えで後ろの席になった時に、黒板の字が見にくいことに気づいた。
そして、体育でバドミントンが始まると、羽の位置が正確に捉えられず、ラケットを振っているのに頭に羽が落ちるというギャグ漫画みたいなことを何度もやって笑われた。


さすがに不便(いや、笑われるのが嫌)だったので親にその旨を伝え、眼科に行くことに。

親はびっくりしただろう。つい最近まで学校でB評価だった視力が、両目共0.1ほどでおまけに乱視だったのだ。

私自身は、生活自体は問題なく出来ていたし、人の顔も認識できていたし、授業中以外は気になることがなかった。目が悪いという自覚はこれっぽっちもなかった。


眼科の後、初めて眼鏡屋さんに行くことになった。
チート無しの眼科の結果を見せて、眼鏡を作ってもらい、眼鏡をかけた時、私はびっくりした。


「世界ってこんなに綺麗だったんだ!」


全ての物体が立体的で、壁ですら立体に見えた。
同じ色なのに鮮やかに見える。

でも、急に世界から圧迫されているように感じた私は、しばらくすると酔って吐きそうになった。
これが噂のバッドトリップ……。

初めての眼鏡だったので、度は少し緩くしてもらった。
生意気キッズの私は、眼鏡かけてるのダセェwという感情があり、文字が見えないと感じた時のみ(つまり授業中のみ)使用していた。
そのせいで、視力は悪くなる一方だった。


眼鏡を買ったばかりなのだから、コンタクトを買うという発想はなかったし、常に眼鏡かけるくらいなら今の歪んだ視界で構わないと思っていた。


そこに訪れた転機がアイドルのライブである。


この生意気キッズは、何となく聞いた関ジャニ∞のアルバムに魅了されて、関ジャニ∞のファンになっていた。生で音楽を聞いてみたい!とファンクラブに入り、ライブのチケットを手に入れたのだが、皆さんお分かりの通り

「生で関ジャニ∞をちゃんと見たい。けど眼鏡で行きたくない。」

というワガママ状態。
せっかく初めて行くライブだから、キッズにもカッコつけさせてあげたかったのだろう。

このライブをきっかけに、親はコンタクト購入を了承してくれた。

(案の定、コンタクト購入前に視力検査をしたらまた悪くなっていた)

そして、コンタクトをする。


「人が生きている!!」


物が綺麗なのは眼鏡と変わらないのだが、人が生き生きとしていて驚いた。
コンタクト装着を教えてくれたお姉さん、こんなに笑顔が素敵な方だったのか!と思った。表情の豊かさがまるで違う。

裸眼でも人の認識はできた。
でもそれは、目の前にいる人が誰なのかだけで、その人の生きている姿を見てはいなかったのだ。


さすがに、私はめちゃめちゃ目が悪いと自覚した。


目が悪くてもその人の心を感じられたり、他の五感を使って人生を楽しむことは出来るだろう。
実際、私の目そのものは一生懸命に働いている。

しかし、私自身は世界との距離を測ることを放棄していたように思う。

そして、せっかく文明の利器があるのなら頼ろうと思った。コンタクト生活に慣れきった今では、裸眼の方に違和感を覚えるようになっている。


でも、先日、この躍動感溢れる写真を見て、そんな「迫ってくる世界の美しさ」「生きている生命」を新鮮に思い出した。

あの時の、世界で酔ってしまう感じ。今や当たり前に生活している美しすぎて酔ってしまった世界。


頑張る私の目とコンタクトの力を借りて、また今一度、嘘か本当か分からない目の前の世界を、物を、生命を、よく見てみようと思った。


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