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小林賢太郎は、私に喜びを教えてくれた永遠の先生だ。

昨日、私にとって大きなニュースが目に飛び込んできた。

「小林賢太郎の芸能界引退」

小林賢太郎は、お笑いコンビ「ラーメンズ」であり、パフォーマー、劇作家、演出家、漫画家や翻訳家などの肩書を持つ、多彩な才能を持ったエンターテイナーである。

私の大好きな人。いや、彼なくして私はなかったと言っても過言ではない。小林賢太郎は、私の歴史に必要不可欠な人物である。

彼のパフォーマー、表舞台からの引退発表を受けて、私は自然と涙が零れた。実は今も泣きながらこの文章を打っている。
でも、「私と小林賢太郎の歴史を今書かないでいつ書くんだ!」と強く思った。


今の気持ちを、大切な日々を、今日ここに残しておきたい。


▶出会い

「小5、中2、高2でハマったものは再燃する。」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
どこかの心理学の言葉で、この歳でハマったものは、グサッと心に残るもののようだ。

私にとって、この中2に当てはまるものが「ラーメンズ」だった。

ラーメンズにハマるまでの私のヲタク人生は紆余曲折。
そもそも私は、エンタメ好きの親の英才教育によって、生粋のエンタメ好きとして育った。しかし、幼稚園年長で「ケロロ軍曹」に出会ってから、小4までは典型的な「二次ヲタ」として生きることになる。

ここで上記にある「小5」がやってくる。
「どれどれ、俺様が見定めてやるかな」と馬鹿にした気持ちで、偶然聞いた関ジャニ∞のアルバムに衝撃を受け、関ジャニ∞のヲタクになった。そこで初めての三次元のヲタク街道が開いた。


そして、問題の「中2」のラーメンズ。
その出会いは「小5」の関ジャニ∞が作ってくれた。

関ジャニ∞のメンバーである丸山隆平の主演舞台「BOB」を見に行ったら、ラーメンズの片桐仁が出演していた。その風貌や演技に独特の魅力を感じ、帰宅してすぐに片桐仁について調べた。

そこで、初めてラーメンズのコントを見ることになる。(蓋を開ければ、「BOB」の演出・脚本はラーメンズファミリーのあの西田征史、西やんなのだ)


なぜか、最初にヒットしたのが「本人不在」というコントだった。

12分もある演劇のようなコント、衣装やセットを使わないシンプルな舞台、立場の変わる展開、どれも好奇心をくすぐる面白さだった。

そこから、のめり込むようにコントの動画を漁って、毎日毎日見続けた。ラーメンズを知る前に片桐仁を生で見たことを、ちょっと後悔した。

そして、これらのコントを書いている小林賢太郎にもどんどん惹かれていった。私の手は、小林賢太郎が創る演劇作品の「KKP」や一人舞台「ポツネン」にも広がっていった。

初めて生で小林賢太郎を見たのは「P+」だった。「小林賢太郎が生きている……?」それはそれは驚いた。

小林賢太郎は私生活がよく分からないし、メディアにもほとんど出ないので、正直生きているか分からないレベルだ。だから生で見た時も「これ、もしかして3Dの立体映像では?」と疑うくらい、現実味のないものとして認識された。

その後も、ほとんどの公演に出向いたし、一番前の列のセンターで見たこともあるのだが、それでも見るたびに「これは本物?生きているのか?」と思ってしまった。

それくらい、いつ見ても小林賢太郎は、それはそれは完璧な小林賢太郎だった。


▶超インプット時代は小林賢太郎と共に

中2の私が、こんなに小林賢太郎にハマったのには、一つ明確な理由がある。
それは、当時の私自身が、表舞台で自己表現する環境を失っていたからである。

実は、親のエンタメ英才教育というのは、単にエンタメを見せることだけではなかった。

私は物心ついた時から音楽教室(歌のレッスン)に通い、演技の習い事もして、2年に1回は1200人規模の舞台に立っていた。
両親は、私を芸能人にしたいステージママ/パパでは無かったが、私を表舞台に立たせる、その名の通り「舞台上」に立たせ、自己表現をする場所を常に与えていた。

しかし、中学生になると、そういった活動をスッパリやめて、高校受験のための勉強の日々が始まった。いつものヲタ活も、今までと違う感覚が芽生えた。「楽しい」より「羨ましい」が圧倒的に勝ってしまうのだ。ライブ終わりに心に残るのは表舞台に立ちたいという闘志だった。

そんな状況で、自己表現をして舞台上で輝く小林賢太郎は、私には嫌味なくらい輝いて見えた。

心底羨ましくて、私も彼のようになりたいと、羨望と憧れの入り混じった感情が溢れて止まらなかった。

私は受験勉強そっちのけで、小林賢太郎戯曲集(コントの台本)を暗記した。
台詞が頭に入っているため、一人ラーメンズができるようになった中坊は、自分の部屋で上手下手を決めて、「今日は小林賢太郎やります」と目に見えない相方に宣言して、”本当の単独公演”をしていた。

これが表舞台に飢えた私の、最高に楽しい戯びだった。

何度も何度も本当の単独公演をしているうちに、コントの作り方や言葉の選び方、演技の幅、間の取り方などが身についた。
芸を磨くための超重要項目「真似る」を自然とこなしていたのだ。人に披露はできないけれど、基礎固めと応用を確実に頭と身体に叩き込んでいた。

人知れず、私は「芸の超インプット時代」に突入していたのだ。

この「芸の超インプット時代」に私をビシバシ鍛えてくれた講師の小林賢太郎は、パソコンを開けば、スマホを開けば、本を開けば、いつでも何でも教えてくれた。毎日でも何時でも付き合ってくれた。私が主体なので当たり前の話なのだが……。

担任の先生、塾の先生の顔より見た小林賢太郎。
何なら友達や親の顔より見たくらいだ。

小林賢太郎は私の恩師である。


▶喜びを教えてくれた小林賢太郎

もちろん、ここまでインプットしたら表舞台でアウトプットしたいに決まっている。

私は高校に入学したら、演劇部か落語研究会に入りたいと心に決めていた。演劇がしたかったし、ラーメンズが落語研究会出身だったからだ。

私の頭の中には、毎日小林賢太郎と稽古して積み上げてきた舞台を鮮明に描くことができた。そんなモチベーションで勉強していたからか、無事に第一志望に合格した。

このとき、合格祝いにもらったものがラーメンズ本公演のDVDBOXだった。

数え切れないほど見た本公演、セリフを覚えている上に、細かい動きだって注力して真似した。私の頭の中で、そのまま再生できる。

それだけ見尽くした本公演だったのに、大きなテレビで見てみたら、「さぁ、今度は君が舞台に立つ番がきた!」と二人が背中を押してくれているように見えた。


その後の私の人生は、怒涛のアウトプット人生だ。

演劇や落語の経験をして、小林賢太郎の姿を追うように、演者も脚本家も演出家も楽しんでいる。

何かの賞に選ばれることも嬉しかったが、見てくれたお客様に「元気が出た」「来てよかった」「明日も頑張ろうと思った」と言っていただける時が一番嬉しかった。

大多数じゃなくていいから、ピンポイントに誰かの心の奥底にグサッと刺さるエンターテインメントができることが、今の私の喜びだ。


こうやって今も変わらず、自己表現を続けている。それが私のアイデンティティの一つになっているみたいだ。この、noteを書くという行為だってそうだ。


DVDBOXをもらったあの日から、自己表現ができる幸せをずっと噛みしめている。


▶小林賢太郎という存在

彼は私に夢を見させてくれた。
演技などの実技的な部分から、考え方、創作のヒント、そして自己表現の喜びを教えてくれた。

本当に先生のような存在だった。


そんな私を支えてくれた先生が、
昨日、表舞台を後にした。

自己表現を自分のものにしていく感覚を教えてくれた日々が、それを実現すべく彼の姿を追い続けた熱い青春が、幕を下ろしたような感覚だ。

私はまた1つ、大人になっていった。
そう思ったら、涙が止まらなかった。


パフォーマーの小林賢太郎は引退した。

でもパフォーマーの小林賢太郎はある種、私の自己表現の一部となって今も生き続けている。私を構築するアイデンティティの一部となって生き続けている。

彼に出会えたこと、心から感謝したい。
これからも彼の創作活動を応援していきたい。

また、新しい喜びを、私に教えてください。

ありがとう、いつまでもあなたは私の先生です。



🌈最後までお読みいただきありがとうございます

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