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オタ活の相互さんとスペースで話した結果、自分が何者が分かり始めた気がした。

先日、Twitterのスペース機能で相互さんとライブDVDの鑑賞会をした。

自粛で何もない夏休み、ライブに行きたい気持ち、好きなアイドルを語り合う楽しさを感じたい。そんな想いで企画して、無事にスーパー楽しく開催できた。

今までオタクアカウントを所持せず、ひっそりオタ活をしていた私にとって、これはもうとんでもない出来事で、私のオタク史、自分史に刻まれるであろうイベントだった。

好きなアイドルのDVDを見る。たったそれだけと思うかもしれないが、私にとっては自分自身を見つめなおし、自分を知る機会になったのだ。

1:オタクアカウント作成まで

そもそも私は、これまでオタクアカウントを持たない人間だった。それには訳がある。

単刀直入に言えば、「私という人間が男性アイドルを応援するのは気持ち悪い」と思っているからだ。
(ここで主語を「私という人間」としたのは、セクシュアルマイノリティを否定するのではなく、ただ単に私が私自身を気持ち悪いと思っているからである。)

昨年から急にnoteやTwitterでオタクアカウントを作り出したのだが、いわゆるネット世代でファン歴も長いのに、オタクアカウントを持っていなかったのは一般的には珍しいと思う。

正確には、昔持っていた。
皆と変わらぬ応援しているつもりだったのだが、(eighterさん界隈ではないですが、)実際に「気持ち悪い」「○ね」などの暴言を吐かれたこともあった。

この暴言、当時の私には割と強烈にダメージを与えて、その応援していた方をしばらく見られないくらいショックだった。
「私が好きと言ったら、ご本人に迷惑がかかるんじゃないか」みたいなことも思った。

だから、オタクアカウントをつくることにはそこそこ勇気が必要だった。ましてや相互さんとリアルタイムにお話するハードルは信じられないほど高い。

それでも、オタクアカウントをつくったのは、やっぱり応援している方々の素晴らしいところを伝えたり共有したりしたい気持ちがあるからだ。

手探りのままアカウントをつくって始めてみたら、上記のようなことを言ってくる人もおらず、むしろ理解のある方が多くてうれしかった。
私が「○○のここが好き!かっこいい!」と言っても、「わかる!そうなんだよね~」と共感して一緒に盛り上がってくれた。

皆さん優しい!
いつもありがとうございます!

2:アカウントをつくった後

そんな優しい皆さんのもと、楽しくオタ活を発信できている現状である。それでも、自分の中でちょっと気になっていることもあった。

一つは、「好き」の方向性が定まらないことである。

自分はかつて男性とも女性ともお付き合いしたことがあるため、いわゆるバイセクシュアルであるという自覚があった。

思考としては、好きになった人がたまたま男/女だった!好きな人がたまたまA型/B型だった!そんな感じ。

だからわざわざ「私はバイセクシュアルです!!」と胸を張るほどのこともないと感じている。

じゃあ、「○○くん好き!!」の「好き!!」が果たして何のかと問われると、正直何なのか説明するのは難しい。

誰かが「○○くんと付き合いたい!
!こういうデートしたい!」というのはめちゃくちゃ分かるし心から同意する。
ごめんなさいだけど、「○○くんのここがえっち!!あんなことやらこんなこと」も分かる。

ただ、それが「恋」ですか?と問われると急に頭を抱えてしまう。

これは別にアイドルに対してだけでなくリアル生活でもそうなのだけど、性的な恋をしたことがないのでわからない。
端的にいえば、私は恋人と常にプラトニックな関係で問題ないと思っているのだ。

もちろん性欲はあるし、セクシー!えっち!興奮する!っていう感情はあるし理解できるのだけど、じゃあ自分の中でそれと恋愛が同じかというと「???」である。

性と恋感情が結びついてないし、性を基準に相手を選んでいないから、「好き」の真理は謎のままである。

それでも私は「○○くん好き!!!」と言い続ける。好きだから!!!


二つ目は、「モテ狙い」と一括りにされることへの嫌悪である。

これは気にしすぎだと思うが、オタクアカウントを作ってから実際たま〜にお見かけするので、一応言っておきたい!

異性にチヤホヤされたいから、あわよくばワンチャン。一定数、そういった理由でオタクアカウントをつくっている人がいるらしい。(みなさん気を付けて!)

ある日、そういう人たちについて話しているツイートがTLに流れてきて、「自分のどうでもいい話ばかりツイートする」「男でもジャニオタいいですよね?というのを定期的に言って賛同を得る」などと書かれていた。

ちょっとウッと思いましたね。ツイートでアイドル関係ない話はほぼしていないと思うけど、noteは自分の話もしているし、現に今書いているnoteは後者に近いかもしれない。

もちろん、彼らに「あこがれる」ってのはあるから、マネしちゃうのは凄く分かる。でも、私は本人たちを応援したくて、あくまで本人たちが主役で、それであーだのこーだの言っているだけのオタクでありたいと思う。このnoteは自戒ですねトホホ。

ツイートとかnoteを読んでもらえれば分かると思いますが、私はガチでオタクですし、あわよくばGOみたいなの一切ないですので悪しからず。(そもそも性恋愛しません!)

そんなこんなで、アカウントつくったあとも、いろいろとSNSは難しいなぁなんて思った。
それでも、素敵な相互さんたちと出会い、今まで誰ともできなかったオタク話を共有できる悦びを知ってしまい、「うぉぉぉぉ!憧れのDVD鑑賞会したいぞぉぉぉぉ!!」と気持ちが爆発したのであった。

3:鑑賞会はフルマラソンだった

そして、ワックワクの鑑賞会の予定を組んで、その週はそれだけで仕事が頑張れた。
自分の好きな人たちの好きなところを、素敵な方々と語り合えるなんてユートピア!夢のようである。

しかし、前々日頃から急に怖くなった。
今まで文字という媒体でしか交流していないので、相手が好きに声や雰囲気を設定して再生している。実際に私の声で聞いたら、気持ち悪いと思われるんじゃないだろうか。

ここで、今までと違う感情が芽生えた。
それは、自分が気持ち悪いと思われること自体ではなく、理解をしてくれ仲良くしてくれている相互さんをガッカリさせてしまったら、不快にさせてしまったらどうしようという感情だ。相互さんを大切にしたいからこそ、相互さんを傷つけたり失ったりするのは嫌だと思ったのだ。

そして前日に、鑑賞会する前のクッションとして、軽くお話する機会をつくった。もうお腹ピーピー!!
いざ始まっても挨拶したあと会話を広げることもできず……。自分が開催したのに、全然話せなくて申し訳ない気持ちになった。スペース慣れしていた初見さんが入ってくれ、進行してくれたのが本当に有難かった。

私は特別人見知りというわけではないけれど、好きな物事の話ならそれこそ”オタク”な饒舌で話すことができる。
リアル生活では、盛り上げたり話を広げたり会話するのが得意・・・好きな方だ。

でも、今日はびっくりするくらい言葉を発するのが怖くて、スペースが終わったあと、「先にクッションやってみて良かった~」と思ったと同時に「明日大丈夫だろうか?」「ちゃんと応援しながら鑑賞できるのだろうか」「自分の思ったことを素直に言えるのだろうか」「相互さんを不快にさせないだろうか」と頭がいっぱいになった。

この気持ちはスペース中から膨らんでいて、スペースの最後に思わず、「自分は性別のことで、男性アイドルのことを「好き」「かっこいい」って思うのが気持ち悪いと思っている。上手く話せない」云々の弱音を吐いた。

そうしたら相互さんが「私も女の子のアイドル好きだよ」と言ってくれ、さらに「ゆきりんの太股が好き!」と言ってその場が和んだ。
私は当たり前のように、変に重くもならず接してくれたのが本当に嬉しくて。私にはその「ゆきりんの太股」というフェチズムトークが、まるで神から手を差し伸べられたかのようでたまらなくて一人で感動してました。相互さん素敵な方々……。

何を隠そう、私自身は分かっているのだ。
性別にこだわらないアイデンティティのくせに、一番性別にこだわっているのは自分なのだと。

頭で理解していることと感情が乖離していて、自分に怒りや悲しみが湧いてくる。本当に許せないのは、あの時暴言を吐いてきた誰かじゃなくて、自分を認められずにいる自分だと、分かっているけどそれも認められなくて、こころが追い付かなくて、目頭がかっと熱くなった。


当日は、昨日のクッションもあって話せる……かと思いきや、やっぱりお腹ピーピーだった。リアル山根君である。
結局自分を認められない私は、どうしても自分の気持ち悪さという見えない敵と戦うしかなくて、実は昨日のクッション時から設定していたバ美肉の機材を握りしめていた。

(※バ美肉:バーチャル美少女受肉。要はバーチャルでかわいい女の子になるということ。平たく言えばボイスチェンジャーでかわいい声に変換する。)

バ美肉した声ならいつも通りのオタク饒舌で話せる自覚があった。なぜなら”自然”だから。

で、結局、ボイスチェンジャーのボタンを押したんだか押さなかったんだかわからないくらいテンパってしまい、その日は終わった。そして、思ったように話せなかったのと、「相互さんをもっと楽しませられただろうに!!」という私のエンターテイナー的な部分が出てしまって、超絶反省会がはじまった。DVDは後半が残っていたから、また来週鑑賞会をすることになった。

ここまで文章を読んでもらえば分かると思うが、もうぐちゃぐちゃなのよ。
自分の性だとか、向き合わなきゃだとか、頭とこころの距離だとか、相互さんの素晴らしさだとか、相互さんに楽しんでもらいたい欲だとか。勇気を出して踏み出した一歩は、実はフルマラソンで、想定に失敗しているから準備ができていないし、心身のメンテナンスもダメダメ。

ある種、当然のことなのだけど、花の二区まで走れるわけもなく、給水も上手くできなくて、コースから一旦離脱しないとおかしくなりそうだった。

私は初めてセクシュアルマイノリティの相談室に駆け込んだ。

今までセクシャルマイノリティで悩んだことはいっぱいあったけど、相談室は使ったことがなかった。なんだかんだ自分自身のことは自分が一番わかっていると思っていたから。でも、本当に向き合うのが怖かったからでもある。

そして、相談室で話してみて、自分自身に向き合って気が付いたのは、やっぱり自分の根底には、性別関係なく「1人の人間として見てほしい」という気持ちがあると思った。(同時に自分は性的な恋愛感情がない、リアル生活において性的恋を抱かないんだろうな、ということも何となく実感した)

でも、一般的にセクシュアルマイノリティといわれる人間を苦手な人が多くいるのは分かっているから、先にTwitterのプロフィール欄にそのことを記載していたのだ。ただ、”珍しさ”をアピールしたいわけではないから、bioじゃなくてURLの先に書いているのだけど……。

男性だから、女性だから、同性アイドルを応援するのは気持ち悪いとか、珍しいとか、そういうの抜きにして「1人のただのファン」として応援したいだけなんだと思う。

でも、やっぱり節々に性別って表れるし、自分の思い出を振り返ると、自分の性別にまつわる推しとのエピソードがいっぱいあって、切っても切れないのかなぁとも思う。本気で難しい問題である。

それでもこうやってちょっと整理できたおかげで、2回目の鑑賞会も挑むことができた。
やっぱり思っているような喋りはできないのだけど、楽しく終えることができた。

こんなめんどくさい私でも仲良くしてくれる方がいっぱいいて、最後はやっぱり、私は周りの方々に恵まれているなぁと思うのである。

そうやってボロボロになりながらゴールした47.195㎞の道のりは、私にとっては自分自身を見つめ直す良い機会となり、推しを通して広がる輪の本当の素晴らしさを教えてもらったようだった。

おかげで、声媒体で発信するという新しい道が開けた。

4:新しい道

今までTwitterではその時の簡単な感想を書き、長いエピソードやエッセイ、歌詞考察などはnoteに書いてきた。

しかし、「この曲のここがいい!でもツイートにしては文脈が長いし、noteにしては内容薄い!」とか「最近仕事でリアルタイムで追えない番組増えてきたな、ツイートだとTL荒らしちゃうし、noteに書くまでもない」みたいなものが沢山あった。

これらの解決の糸口は、もしかしたら声媒体にあるのかもしれない。

「推し⇒ファンの皆様」という出会いのおかげで進めた一歩を、今また「⇒推し(⇒ファンの皆様)」へと還元するチャンスかもしれない。次のバトンを渡せるのかもしれない。

と、そんなことをグルグル考えている週末。
ただのしがないオタクは今日もオタ活に勤しむのである。

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