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海外の空港で足止め29時間…生まれて初めての空港野宿!

こんにちは!おかゆです。前回、意気揚々と3ヶ月のアメリカ旅行に出かけたものの入国審査で長時間拘束されてしまった話をご紹介しました。
今回は、その後も怒濤のトラブルに見舞われてしまい空港のベンチで一泊することになった経緯をお話します。

一応、代わりの便を保証してもらえるシステムがあった

入国審査での6時間近い取り調べから解放された私たち。ロサンゼルス空港で乗り継ぎを行い、アメリカ国内線で目的地まで行く予定だったのですが、もちろん予約していた飛行機はとっくに出発しています。なんなら、その便の現地到着時刻すら数時間前です。

もちろん、そんな時のための補填システムは用意されています。入国審査の担当者から白い紙のチケットを渡され、「乗るはずだった航空会社のカウンターにこのチケットを持っていけば、無料で空いている便に乗せてもらえるよ」と言われてひと安心。会社を辞めたばかりの無職2人の貧乏旅行ですから、航空券を買い直すなんてことはしたくありません。

しかし…乗る予定だったアラスカ航空のカウンターでこのチケットを見せたところ、「JALを通してチケットを購入しているので、JALに言ってくれ」とのこと!入国審査から発行された正式な書類を見せているのに、代わりの便を用意できないと言うのです…。

実はもう一つの重大なトラブルが…

また、実はさらに大変なことが同時進行で起きていたんです。
同行する友人は音楽好きで、自分で曲を作ったりもしています。今回の旅には小型のDJセットを持ち込んで、曲を作りながらの配信をする予定とのこと。その作業に必要な音楽素材や制作途中の曲を全部入れた大容量HD3枚が、入国審査時に没収されたまま返却されていなかったのです!

解放されたときに全ての荷物を返してもらったはずなのですが、HDだけはスーツケースから取り出して中身をチェックされたので、その際に奥のオフィスに置かれたまま返却漏れが起こってしまったようなのです。
(ここでもアメリカのゆるさが出てしまいましたね…)

このことは、アラスカ航空で代替便の手配をする直前に(結局無理と言われてしまったわけですが)念のため荷物をチェックしたおかげで発覚しました。友人はアメリカ滞在の一番の目的が音楽だったので、「あのHDがないと、この休暇の意味がなくなる!」と本当に焦っておりました。

50kgの荷物を抱えて空港内をウロウロ

さあ大変です。2つのトラブルを解決するために、2人の日本人が3ヶ月分の巨大な荷物を抱えて空港内を行ったり来たり…。
まずは代替便の手配を拒否されたアラスカ航空のカウンターで「代わりの便が手配できないことについて入国審査に連絡したい」と伝えますが、「うちと入国審査は全く関係ないから無理。JALに聞いてくれ」とのこと。

しかしJALのカウンターは既に無人です。私たちが取り調べから解放されたのは18時すぎ。空港内のJALのカウンターはとっくに閉まっており、アメリカ国内の電話窓口も18時で終了していました。
HD返却漏れについては、もうどうしたらいいか全く分かりません。

友人は英語が話せますが、この複雑な状況は手に余る…!なんとか日本語の話せる人に助けてもらえないかと、ダメ元で全然無関係のANAのカウンターへ行ってみます。するとANAの職員の女性たちがちょうど帰るところに奇跡的に出くわし、無理を言って話を聞いてもらいました。

ANAの女性職員のお2人は、労働時間外かつ他社のトラブルだというのに丁寧に話を聞いて下記の情報をくれました(「手短に話してね」という前置き付きでしたが)。
●JALのカウンターは翌朝8時に開くので、それまで待つしかない
●入国審査は逆走できないので、中に入ることはできない。HDが返却されていない旨を電話で伝えるか、出口の警備員さんに交渉したら検査を担当した人を呼び出してもらえるかも。

出口の警備員さんと交渉…なんだか無理そうな気がしますが、もう頼れるあてはありません。来た道を引き返し、入国審査の出口に立っている女性警備員さんに状況を話します。ちょっと中に引っ込んで相談してくれたようですが、返事はやっぱりノー。私たちが6時間待った場所の審査官と話を繋ぐことはできないようでした。

救世主あらわる

こうなったら、我々に残された道は電話だけです。

なんとか日本のJALに連絡を取れないかと国際電話をかけましたが通じず(日本はそのとき平日の昼すぎ)、藁にもすがる思いで日本オフィスへメールしましたが、「現地の電話窓口に電話してください」と無慈悲な回答が。
(電話窓口は18時で終了してるんだってば!)

しかもこのとき、アメリカはFourth of July(独立記念日)前の連休で、ものすごく飛行機が混む時期だったんですね。「もう完全に為す術がない…」と分かった時点で20時半。たとえ何らかの方法で代わりの便を用意してもらえるとしても、この時間から2席空いている便が見つかるなんて奇跡があるはずありません。
この時点で、我々は空港で夜を明かす覚悟を決めました。

同時に、友人は入国審査で渡された代替便チケットに書かれている電話番号へ電話。「今日荷物を検査された日本人2人ですが、私のPC用HDをそっちで持っていませんか?」と必死で伝えます。しばらく保留になった後に電話に出たのは、最後に質問や荷物検査を担当したおじさんでした。彼は私たちのことを覚えていて、「君の荷物を持ってるよ!ごめんね、今どこ?届けに行くよ!」と言ってくれたのです!

私たちは険しい顔の無愛想な担当官に入れ替わり立ち替わり質問・検査をされましたが、最後に担当したおじさんだけはフレンドリーに接してくれました。やっと解放されたときには「航空会社どこ?アラスカ航空なら1階だよ!」とエレベーターのボタンを押してくれたあのおじさんが、HDを届けてくれることになったのです!
(疑いが晴れたからフレンドリーになっただけかもしれませんが)

私は受け渡し現場にいなかったのですが、友人はHDを返してもらった瞬間に安心して号泣してしまったそうです。「これで涙を拭きなよ」とおじさんに渡された紙ナプキンは、茶色いガビガビの固いやつだったようです。

しかも、代わりの無料便を拒否されたことを伝えると、その場でどこかへ問い合わせて理由を確認してくれました。この人が救世主になって、もしかしたら今日中に目的地に着けるのでは…!? なんて奇跡を期待する私たち。

結論:やっぱり無理でした。

理由は分かりませんが、おじさんが確認した結果も「JALに対応してもらわないと無理」とのことでした。なぜ…?

しかしHDは帰ってきました。明日の朝8時まで待てば、確実にJALの人と話せる。そうすれば金銭的損失なしに目的地まで行ける。私たちの精神はいくぶん安定し、その日は空港の売店で割高なターキーサンドイッチを買って食べ、ベンチで夜を明かしました。
(ただしベンチにはひとつひとつ肘掛けが付いているので横になれず、座ったままウトウトすることしかできませんでした…)

私はアラサー女性ですが、これが人生初の空港野宿体験です。堂々と床で寝ているイビキの大きい人、肘掛け付ベンチでなんとか横になろうと苦戦する人、私たちと同じベンチで座ったまま眠る人たち…。色んな人たちが様々な理由で空港泊をしていました。
本当に不安だったしフィジカル的にもつらかったけど、深夜に誰もいない空港のカウンターを歩くのはなんだかドキドキするものですね。
(この記事のトップ画像の光景です)

しかし、ここでもやはり冷房は効きすぎている。寒さに震えながら、ほとんど眠れないままひたすら朝を待ちました。

8時になってもJALのカウンターは開かない

「オープン後はすぐに行列になる」と聞いていたので、朝5時からJALのカウンター前に陣取ってJAL職員を待ちます(どうせ眠れないので)。アメリカに着いてから、ずっと何かを待ってばかりです。

しかし、8時になってもカウンターは開きません。ANAの人もインフォメーションの人も、「JALは8時に開く」と言っていたのはなんだったのか…。周囲の他の航空会社は待機列を作ったりして準備をしていますが、JALのカウンターには一切動きなし。仕方ないので、これまた8時オープン予定のアメリカ国内電話窓口に電話してみます。

15分ほど電話口で待たされて返ってきた返事は「今日はもう空席がないので、明日の便になる」とのこと。冗談じゃない!既に丸1日待っていて空港泊までしているのに、もう1泊徹夜できるか!
既に予定外の空港泊になっていることを伝え、なんとかならないか交渉してみます。すると、さらに15分ほど待たされた結果、別の航空会社で夕方17時台の便を用意してもらえることになりました…!よかった…!!

そこからは、また地獄の待ち時間。8時半から17時半まで、約9時間のフリータイムです。とりあえず朝ご飯を食べ、チェックインできる時間までベンチでウトウト。チェックインして荷物を預けたら、搭乗時間まで待合室でウトウト。旅行中とは思えないほどの「無の時間」でした。

やっと滞在先へ…!

18時半に目的地の街へ到着し、Uberで頼んだ送迎でやっと滞在先のアパートへ!まる26時間遅れでのチェックインとなりました。ロサンゼルス空港にいた時間はおよそ29時間。空港から出られない、まさに映画「ターミナル」の気分を味わえました。

こんな大変なことはもう二度とごめんですが、今後一生人に話せる土産話ができたかなと思います。旅の再序盤から大冒険してしまいましたが、私たちの旅は始まったばかり。この後も、3ヶ月のアメリカ旅をめいっぱい楽しみたいと思います!

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