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WORK / LIFE MEETING 4月編議事録

毎月1回開催中の「WORK / LlIFE MEETING」 。働くことと暮らすことを考えるこのトークイベントでは、BONUS TRACKの内外で活動される方に5分のピッチ形式でお話を伺っています。

本記事では4月編の一部を抜粋した議事録をお届けします。

WORK・LIFE MEETING 4月
2024.04.18 木 19:30開始

登壇者:オアダイ、門脇恒平、高畑未央、三好拓朗、吉田和睦
主催:BONUS TRACK MEMBER'S(omusubi不動産)

「やっちゃえ」がこだまする
1人目:散歩社 オアダイさん

元々やっていたバンド活動のキャリアでアマチュア時代、アーティストである自分たちが出演するための資金面でのハードルや、当日共演するバンドとの相乗効果、シナジーの生まれないイベントもあって。
別々で活動している、ジャンルが違うバンドのお客さんも、目的のバンドだけでなくその場を楽しむことってできないのかなと思うようになっていきました。

出演にはもちろん違和感を上回る大きな意味があったんですけど、いつからか「自分で場所を作りたい」という気持ちになりました。その時から僕の脳裏には某CMの某矢沢さんの名台詞"やっちゃえ"が、ずっとこだましてるわけです。

ただいざ作るとなると、人が集まり過ごしたくなる、何かを始めたくなる、クリエイティブを刺激する、そういう場所ってなんだろう?と考えた時に、まだ感覚しかなくて。 経験することから始めようと、メディア事業部の立ち上げや、京都では宿泊・コワーキング・飲食と3業態からなる店舗の立ち上げを経験しました。そして自分でも東京の三鷹にお店を作ります。

レコード屋さん、兼古着屋さん、兼カレー屋さんです。ここも0からお店を作りやってみたんですよ。ライブできるスペースも作って、2,3日に1回イベントを開催してもらったり。

結果とても大変で、一旦閉業しました。その理由は色々あるんですけど、主な要因は”カレー屋さん”となってしまったこと。偶然某誌の表紙を飾ったことによって、 朝自分が出勤したらもうお客さんが並んでるみたいになっちゃって。貸してくれているオーナーさんとも話していたんですが、飲食店として盛り上げるというよりかは、たまにライブをやる音楽がそばにある落ち着いた空間を作れたらと思っていたんです。閉めた後、どうしようかなと思っていたら、吉祥寺にある

知人の飲食店が「うち来なよ、とりあえず遊ぼうよ」って声かけてくれて。そうしたら「あーそうだ、仕事も一緒にしよう」っていうことで、飲食のマネジメントで入らしてもらったり、おおきなイベントをやってるチームでもあるので、その一部の企画を任せてくれたり。そんな中でもやっぱ自分の場所を作りたい。広く場を設けるというよりかは、1つの場所へいろんな人を迎えられるような場所を作りたい。しつこいぐらいに、"あの"台詞がずっと響いていて。かつての僕もそうだったように、サブカルチャーが好きな人、 なんか自分の居場所ないなって思ってる人でも入れるような場所が僕は大好きで、 そういう場所を作りながら僕は働きたいな、暮らしたいなって思いながら生きております。

今はBONUS TRACKに出会って、元々知り合いでもあるメンバーとこれまでの経験を活かしつつ企画を組んだりとかしております。また将来はかつて三鷹で取り組んだようなスペースを作りたいなと。

カレー屋さんとして、ポップアップとかイベント出店とかで引き続きやっておりますので、皆さん、 食事が必要だったらぜひ読んでください。僕は「居場所を中心に働き、暮らす」でした。

ちょっとだけ魔法が使えるインターネットに魅せられて
2人目:株式会社WE UP 門脇恒平さん

株式会社WE UPというスタートアップで今経営とCTO、技術の責任者みたいなことをしています。いわゆるソフトウェアエンジニアであったりプログラマーって呼ばれるような、そういう仕事です。

20年同じ職業を続けてたくさんものを作りました。10年前からは、自分で手を動かしながらもチームのパフォーマンスをどうすれば最大化できるかとか、そのための組織を作ったり、採用や文化作りもやっています。 

世田谷代田駅すぐのところに住んでいて、365日24時間使えるということで、3月は多分1日を除いてMEMBER’Sを毎日使ってました。ここ最近はもう起きてる時間にほとんど仕事をしてるので、仕事=暮らしなので、仕事の話をしようと思います。今日みたいな、なんで自分がソフトエンジニアやってるのかなって振り返ってみて、それが結構暮らしとかに繋がってるなと思ったので、ちょっと考えてみました。

遡って90年頃、僕が5,6歳の頃が原点です。 その昔、MSXというパソコンが流行り、ミーハーな父が購入したんですね。当時はインターネットがなかったので、ソフトやゲームを始める時には今みたいにダウンロードするのではなく、専門雑誌にコードが掲載されていて、それを一文字ずつ正確に入力しなきゃいけないんです。いまだに覚えてるんですけども、ある真夜中に父が暗い部屋で、雑誌のプログラムをみて頭を抱えてていました。
その翌朝、なんかすごいウキウキしたお父さんに「できた、遊べ!」って言われて。ゲーム機をずっと買ってもらえなかった僕は「うわ、すごい、魔法だ」と思って。めちゃめちゃ嬉しくて、もうずっと遊んでました。 

そのうちに、自分でも雑誌のコードを書けるようになりました。3回ミスするとゲームオーバーになる難しいゲームがあって、なんとかなんないのかなと思いコードを見ていると、その中に「3」って書いてある。それを自分で「10」にしてみたら、10回までゲームを続けられるようになった。ちょっとだけど自分でもこの魔法が使える!と思えた。

時を進んで10年、ここにも1つ原体験があります。20代前半は、1日多分10時間ぐらい配信みたいな感じでオンラインゲームをやりすぎた時期がありました。現実にいる誰かがいつも100人くらいいるような。ゲーム画面の下にはチャット欄があって、誰かがずっと喋ってるんですけども、ここで友達がたくさんできて楽しかったんです。これも実はすごく、今の自分の仕事とか価値観にすごく影響を及ぼしています。

内心ビクビクしながらオフ会したり、バイトから帰ってきた夜中にPCから呼び出されるような揉め事も結構起きる。あとは教会に行くと結婚できるっていうシステムがあるゲームで結婚した2人が、 現実世界でも結婚することもありました。
インターネットを介して現実世界にいる人たちが繋がっていて、そこに社会があるっていうのはすごく面白くて。繋がるはずがなかった人同士が繋がって、なかったはずの機会が生まれて、できるはずがなかったことができるようになることを身をもって経験しました。 結果、他にも色んな経験があったんですけども、ソフトエンジニアになったっていうところです。 
で、なんで今やってる仕事も遊びの延長が仕事になっているので、いわゆる仕事ニアイコール暮らしみたいな感じになってるってところかなと思います。 

やっぱり大変なこと、いいことも嫌なこともたくさんあるし、プロダクトをクローズしましたみたいなこともあるし、 結構、本当に若い頃はコンピューターとの対話がすごく楽しかったんですけども、今はもう人と直接話さないといいものは作れない。

やっぱり色んなインターネット見てると、SNSとかで負の側面をよく目にしたりもするなっていう。甘い話ばっかりじゃないなっていう感じはあるんですけれども、それでも自分はソフトウェアとインターネットとか、ポジティブな可能性を信じたいと思って、ずっとやっています。
ていうところで、僕はソフトウェアとインターネットを中心に働き、暮らすっていう、そんな感じでやっているっていうところで、以上です。

暇そうだから相談のってくれるかも
3人目:高畑未央さん

仕事は主にデジタルサイネージの制作をやっています。街中でよくあるタッチパネルとか、ショッピングモールにあるフロア案内とか。最近はプリクラみたいなフォトブースを作ったりなんかもしています。

僕は自分を中心にしているというよりかは、どっちかというと誰かと繋がり繋げながら生活しているように思います。 いろんな人にいろんな人を紹介していって、ネットワークを広げていってるっていう感じですね。(MEMBER’Sではイベント開催でお馴染みになっているアリクさんとか、月に1回火曜にナポリタンを出してくれるIKITSUKE COFFEEさんを紹介いただきました)

そういった相談をしてもらえるように、大事にしてるのは暇そうにすること。
いつも忙しい、忙しいと言う人がいるじゃないですか。そういう人にはなんか相談しにくいじゃないですか。なんか言いにくいな、みたいなことってありませんか?

であれば、ぼーっとしてる様に見える方がいいかなって。いつもこの人なんか暇そうだな、相談乗ってくれるんちゃうかな、と思える雰囲気を醸してみてます。そしたらいろんな相談が来るというか。ほんまに暇な時も多いんですけど。

それって実際どんな生活なのかというと。朝7時ぐらいに起きて、7時半ぐらいに子供を起こして、8時半ぐらいに支度を終わらせBONUS TRACKへ。朝にいるオアダイさんに挨拶して、お仕事して、お昼。僕はBONUS TRACKは午前だけの契約なので、追い出されて。

ランチしたあとは、仕事が暇な時はそのまま隣でビールで終了。
そうじゃない時はそのまま引き続きここで仕事することもあれば、もう1つ借りてる事務所があるのでそっち行ったりとか、家はすぐ近くなんで帰るとか。

3時ぐらいには大体眠いので、ちょっとこう、散歩しながら仕事して。6時ぐらいにはもう家帰って、ご飯食べて、 風呂入って、寝る。そんなサイクルで平日は過ごしています。

大体1日はこんな生活なんですけど、こういった生活で40代にもなると、身の回りに知り合いも相談も増えて、紹介することの方が多くなっていった感じがしています。

いろんな人に会って話を聞くのが好きだった僕は、20代の頃前職の先輩が話していた
「日が出てるメインの時間に楽しくない事をして、夜の残りの時間を楽しむとかより、メインの時間を楽しくしたほうが、人生楽しいよね」という言葉が響いてしまって、その気持ちを生活に取り入れていくことにして、今に至る感じです。

「手伝い」にいったことから、好きな仕事へ。
4人目:吉田和睦さん

20年ぐらい劇団の公演の制作とか、テレビ、ラジオ番組の制作だったり、脚本家や俳優マネジメントをしていたのですが、2年前にその会社を退社し、株式会社ナナガツを設立しました。BONUS TRACKの住所で会社を登記しています。

今はドラマとか映画を作る会社や、京都芸術大学という京都の大学、芸能プロダクションに業務委託契約を結んでいただき、お仕事のお手伝いしつつ、自社では脚本家のマネジメントやラジオポッドキャスト番組の制作をしています。ラジオ番組では、BONUS TRACK MEMBER’S会員のうえはらさんやomusubi不動産の殿塚さん、小田急の向井さんとかにもゲストでご出演いただいたりと、 ここで培った人脈をフル活用させていただいてます。

この2年間は、新しい環境にガラッと変わり、今なお日々試行錯誤していますが、 楽しく暮らすっていうことを念頭に置いてます。
生活も楽しみながら自分に求められることとか自分ができることを中心に、仕事をしたいなと思っておりまして。あと、このBONUS TRACKを中心に、すごく心地良いご近所付き合いをしていたさせていただいてます。 MEMBER’Sの部活動「落語研究会」とか、 ヤマザキショップのサンカツさんによる「代田つばめ会」という、ヤクルトスワローズの試合をみんなで見に行くような集まりとか、omusubi不動産の田植えイベントなどなど。

自主的には、演劇研究会もやってまして、友人や仕事仲間と一緒に演劇を観に行ったりするような会です。またここ10年、月150キロぐらい走ってるんですけど、去年からは登山を始めたりとか、食生活もめちゃくちゃやったんで、 今は自分で自炊してみたりして、健康にも気を遣ったりしております。 

今でこそ演劇・エンタメ漬けの生活ですが、新卒ではガス会社に入り5年間、家庭用ガス機器の営業部門におりました。

元々は音楽とか映画とか演劇とかラジオやテレビが好きだったので、ふと「ガス機器売っていても、ラジオとかテレビとか演劇できないじゃん笑」と、「自分の人生を取り戻さないと」と思うようになりました。

勤めていたガス会社は大阪に扇町ミュージアムスクエアという複合文化施設を運営していました。古い社屋をリノベーションして、演劇の公演ができたり、映画館やカフェ、ギャラリーのスペースがあったりと、BONUS TRACKにも似ているような場所でした。
あそこに行けばちょっと近づけるかもしれないと思って、毎年の異動願いを出してたんですけど、なかなか異動できませんでした。

そんな時、みうらじゅんさんがそこでイベントを開催することを知りました。
元々大ファンだったので、もう異動とかいいから、みうらさんのお手伝いをしに行こうと思って、その劇場に直接電話したんですよ。 当時の先輩がもうぜひ来てくれと。人も足りてないからとのことで、そこを手伝いに行ったら、その先輩が僕のことめちゃくちゃ気に入ってくれて、 その半年後に異動できたっていう、なんか奇跡が起こりまして。

そこから演劇の公演であったり映画のイベントといったようなことを もう存分やらしてもらって、本当にもう毎日が文化祭のような日々でした。

2003年に閉館したのですが、もうガス機器の営業には戻りたくないなと思った時に、 某プロダクションの副社長と出会う機会があり、会社に誘っていただいて転職しました。土曜日の午前中には、私塾みたいなことをやってくださって、契約書の書き方とか、権利ビジネス関係、プロダクションによる映画やテレビの作り方、そういったことをすごい教えていただいて。 そこからようやく怒涛の演劇やエンタメ漬けの生活のスタートラインに立ったのでした。

みんな山に登った方がいい
5人目:PARK Inc. 三好拓朗さん

僕も実は登山初心者で、始めて3年ぐらいなんですけどね。
ある時、暇だなと思って、犬を連れてゆるやかな山をのぼったことがきっかけです。
それで一時期すごく痩せたんですよ。(その後、膝を痛めて登れなくなって体重が戻ったんですけど笑) 

最初は痩せるのが目的だったところが、こんな場所に自分で行けるんだと、これすごくいいぞと思って、どんどん登るようになりました。
いわゆる一般登山道っていうところを、ゆっくりでも歩いてたら、頂きに立てるぞっていうことに気づきました。 また「怖い」と思っていたところも、ちゃんと準備したらちゃんと行けるということもわかりました。

登山をはじめて、自分が拡張されたなっていう風に思っています。
「やればできる」っていう言葉があるじゃないですか。それが実感として「できんだな」って思えたのが、すごい良かった。 
昔は多少憧れはありつつも、自分には無理とか危険とか思い、行かないという選択肢をとっていたのに。今はどうやったらいけるのかな、やりたいことはやってみようと。 やるだけじゃなくて、やりきろうとそういう風に行動原理が変わっています。

そこで「マウンテン グルメ ラボ」という僕らのブランドも始まりました。山に登っているときに食べたいものが世の中にあんまりなくって、じゃあ作っちゃおうと。普段はデザインとかコピーライキングとかプロモーションを手掛けるクリエイティブエージェンシーでもあるので、自分でもブランドやってみたいなとも思っていましたし。

クッカーみたいなのを持っていって、 そこに水を入れて、沸騰したら火とめて蓋閉めて15分で出来上がりみたいな美味しいやつを作ってます。 
山では疲れ、空腹感、高揚感、感覚もすごい研ぎ澄まされる。あと最高にギルトフリー。山だともういくらでも食べてもいいと。むしろ食べないと。 あの場所以上に食べる喜びを最大化してくれる場所はない。 美味しいものを食べるために山に登るっていう、そういう風な文化を作りたいと、「運べるレストラン」っていうつもりで、ブランドを作っております。

正直まだ全然儲かってないです。でも、ゆっくりでもちゃんと歩いていけば、いつか頂きに立てるんだろうなって感覚がある。

ただ、リスクヘッジは大切で、むやみにやるのはちょっと怖い。やっぱり歩き続けられるよう栄養補給や訓練とか、入念な準備をしないとねと。僕はブランディングという栄養補給があるので、なんとか歩き続けられます。ちゃんと事業として考えなきゃいけないけど、でも、 そういうのを考えながら歩き続けるっていうのは大事なのかなと。

というわけで、みんな山に登ると仕事も生活も楽しくなるので、山に登ればいいっていう
お話でした。ただ登りすぎにはご注意ください。お嫁さんがだんだん怒ってくるのがわかるので。ぜひ食の頂きを。 以上です。


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