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騙し、騙され -その13 浅草・叩き売りのお店編-

前回までのあらすじ

年に一度だけ山奥で開かれる夜祭。たくさんの夜店の中で一軒だけ奇妙な店がある。「何でも交換致し〼」古い着物や食器、ラヂオに人形。奥の方に無造作に置かれた幾つもの大きな瓶。その瓶の中には、液体の中にだらしなく浮かんだ得体の知れない物体。交換するという真の意味とは…。


-浅草・叩き売りのお店編-

私は東京の下町生まれである。
恐らく他府県の方でも東京の下町と言えば、柴又や浅草と言った地名を知っておられるだろう。
今回はこのテーマにおける私のルーツとも思える場所、浅草での話である。

父もまた、父親つまり私から見ておじいちゃんに連れられてよく来ていたとの事で、父は浅草を自分の庭の様によく知っていた。

ここ数年、インバウンド目当てで町並みも店構えも変わってきた。
数年前タイの友人を浅草に案内したが、多くの商店は買い食いできる商品の専門店になっており、外国人の間ではどれも有名らしかった。
コロッケやアイス、メロンパンなどどの店に行っても外国人が並んでいたし、案内という名目でついていったものの、ほぼ彼らがネットで仕入れた情報をもとにNeo浅草を回るのみだった。
それ以前の、つまり数年前までの浅草は平成だというのに戦後のような雰囲気(リアルな戦後の雰囲気は当然知らないが)を味わえる場所であった。

例えば、「花やしき」という遊園地がある。
日本最古の遊園地だったか。
戦後に再建されたそうだが、本体はかなり古くからある遊園地だ。
ここのお化け屋敷には本物が出るという噂だったし、ジェットコースターもいつレールのネジが外れてもおかしくないから世界一恐ろしいコースターだとかいう噂が実しやかに流れるようなそんな場所だ。

そんな戦後日本の影を色濃く残す浅草。
この一角に「余荷解屋」という店がある、いや正確にはあった。
これを書くにあたって調べてみたのだが、残念ながら2008年位に店はたたまれてしまったようだ。
「余荷解屋」よにげやと読む。
勝手に夜逃げ屋だと思いこんでいたが「余荷解屋」の表記が正しいようだ。

私は、幼稚園だか小学生低学年くらいの頃からしばしば父親にこの店に連れてこられた。
父親はこの店が好きだったようだし、私もこの店が好きだった。
ここは、簡単に言うと叩き売りのお店だ。
店の中には所狭しと多くの商品が無造作に並べられている、というか積み上げられている。
店員の前に大きなテーブルが置かれていた。
テーブルの前には沢山の人人。
ある程度人数が集まってくると、それなりの大きさのラッピングされた謎の箱がテーブルの上に出される。

「さぁこの箱、何が入っているか言えないが1000円で買う人はいないか。1000円以上の価値のあるものが入っている」

おぉとか、うーんという声があちこちから聞こえるが、誰もそれを購入するものはいない。
店員は棚から別の物を取り出す。

「じゃあ、これもつけちゃおう」

置物にもなる車や船の形をしたラジオや置き時計のような類が多かったように記憶している。

「これは高いよ。デパートに行けば1万円以上で売られてるよ」

「これをつけて5000円でどうだ!」

最初の箱のことなどどうでも良くなる。
高価なものが「おまけ」と称して、謎の箱と共に提供される。
当初の「箱」より値段は上がったが「おまけ」のおかげで安い値段で提供されている様に感じられる。
そうすると

「買った!」

と何人かが声を出し、商品を受け取っていく。

「残りあと2つだよ。買う人はいないか」

それに釣られて横から後ろから購入希望者が現れる。
みるみるうちに売り切れた。
しばらくするとまた別の謎の箱がテーブルの上に並べられる。

ざっくりだがこの店はこのようなシステムだ。
店員の言葉巧みな話術は子どもながらにワクワクするものだった。
店員の、話の間や焦らし戦術も中々のもので上記の様な流れの中で人はどんどん集まってくる。
最終的には、狭い店内は寿司詰め状態、店外にも人が溢れるほどだ。

父親は、ここで色々と耳打ちして教えてくれた。

最初の箱が出されると、

「もうすぐ別の商品出てくるぞ」

別の商品が出されると

「他所で買うとものすごく高いものだって言うぞ」

購入希望者が出てくると

「これはサクラって言うんだ。お店の仲間だよ」

父親はここの販売文句や売り方に熟知していた。
おじいちゃんにも連れて来られていたのだから、父親は何十回、何百回もこれを見てきたのだろう。
これらの教えもおじいちゃん譲りなのかもしれない。
ただ、おじいちゃんも父もここでは一度も購入したことはないという。
完全にアトラクションだ。
親子3代に渡り楽しませていただいたのだ。
次の世代に繋ぐことが出来なかったのは残念だが。

私は毎回どの人がサクラなのか、棚を見ながら次は何が出てくるのか楽しみにしていた。
だが父は私をこの店に連れてくるのは、ただ楽しませるためだけではなかったのだろうと思う。

何事にも裏がある
まずは疑ってかかれ
仕組みを知った上でそれを利用するかしないかはお前次第だ

こんな事をこの店で、そして父の耳打ちから自然に刷り込まれていたように思う。
私が騙されにくい事は、父親の英才教育によるものではないかとこの一連の記事を書いていて気付いた。
当初は書くつもりはなかったのだが、私のルーツについて書いておきたくなったのだ。
海外での経験の様に何か面白いエピソードがあるわけではないのだが、ここで文字として記録しておきたいと思ったのだ。

私のルーツ「余荷解屋」に感謝と敬意を込めて。

まとめ


世の中には良い人もいるが、このご時世騙そうとする人も多い。
少し前からだが、コロナ以降は特に人々の不安を煽りネット上、SNS上で壮大な騙し合い合戦が行われている。
それがビジネスだと嘯く者の何と多いことか。
搾取する者の所謂「養分」にならないために、いろいろ考える中の一部分で構わないので、自分の中に「騙されているのではないか」という視点を常に持っていて欲しい。

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