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他人の期待を満たすために生きるな

使用の心理学

私たちは、自分の人生を、自分のライフスタイル(人生のあり方)を、自分で選ぶことができます。

過去のトラウマに囚われたり、環境に囚われたりする必要はありません。

アドラー心理学は「所有の心理学」ではなく、「使用の心理学」
「嫌われる勇気」p122

自分に何が与えられていて、何が与えられていないかに注目するのではなく、自分に与えられているものをどう使うかに注目する。

自分にあるものを見つめ、自分の人生のタスクとどう向き合うのかを考え、行動していくことが大事なのです。

本当の自分を見失うな

人から認められたいという承認欲求は誰しもが持つものではあると思います。

私も小さい頃は親から認められたいと思い、親の望む高校に入るために努力していました。

この高校に入れば親から認められるはずだ。

と考え、親の期待する自分像を生きようとしていたのです。

そして何とか努力をしてその高校に入ることができました。親も喜んでくれました。

がそこで自分はどこか燃え尽きてしまい、何だか無性に虚無感を感じたことを覚えています。

私たちは小さい頃から学校で賞罰教育を受けていました。

いい行動をしたら褒められ、悪い行動をしたら叱られたものです。

そうするとどうなるのか?

親や先生の顔色を伺うようになるのです。

先生や親に褒めらた行動は、その後も続けていきます。
掃除を頑張ったら先生から褒められたら、掃除を頑張ります。

〇〇ちゃんえらいね。と言われたら頑張るのです。

ですが、次第にそれが当たり前になってきて、先生や親は褒めなくなっていきます。

先生、あそこ掃除しておいたよ。見て!!


と言っても先生は忙しく、ごめん!後で見るね!と伝えると

その子は、なんだ褒めてくれないのか。。。と

もう掃除をしなくなってしまうのです。

この子は掃除をしたら綺麗になる。みんなの場所が綺麗になって嬉しいという気持ちでやっていたわけではなく

掃除を先生や親から褒められるための手段として行っていたのです。

これは賞罰教育による影響であると本書では語られています。

アドラーもこの賞罰教育を厳しく批判しています。

賞罰教育の先に生まれるのは

褒められなかったら、適切な行動をしない
罰する人がいなかったら、不適切な行動もする

という間違った考え方です。

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」
「嫌われる勇気」p135

誰しもが自分の人生を生きています。

誰のための人生かというともちろん自分のための人生なのです。

もしあなたが他者からの承認を求め、他者からの評価を気にして生きているのであれば、あなたは他者の人生を生きることになります。

SNSでいいねをもらうために生きていませんか?

フォロワーの人に楽しんでもらうために自分を偽っていませんか?

フォロワーの望むような自分になろうとしていませんか?

あなたは他者の期待を満たすために生きていません。

そして他者もまたあなたの期待を満たすために生きてはいません。

いつも他者の目を気にして、他者からの評価に怯え、本当の自分を押し殺して生きることは苦痛でしかありません。

自分の人生を自分のために生きてみてもいいのではないでしょうか?

あなたの人生はあなたのものなのだから。

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