訂正する力
この本はNOTEの
どなたかがお薦めされていた本です。
最初、【訂正する力】って
勇気のことかな?と
漠然と思ったのを覚えています。
しかし、読みだしてから
違うことがわかりました。
■ 目次
はじめに
第1章 なぜ「訂正する力」は必要か
第2章 「じつは・・・・だった」のダイナミズム
第3章 親密な公共圏をつくる
第4章 「喧噪のある国」を取り戻す
おわりに
■ 訂正する力
大学の2年間、
寮生活をしていました。
最近、この寮生と
定期的に集まっています。
既に齢、50年オーバーの皆。
寮時代の馬鹿話に盛り上がる。
あの過去があるから、
“今”がある。
捉え方次第で、どうとでもなる。
既に過ぎ去った事柄でも、
自分で意味をつけることで、
自分の中で事象の印象が変わる。
今だから
「じつは・・・・だった。」
という解釈が出来る。
過去と現在をつなげる力が
訂正する力とのこと。
勇気云々の本では
ありませんでした!(^^)!
ありませんでしたが、
この訂正する力を
自分で意識して使うと、
もっと自分が生きやすい様になるのでは?
と感じました。
■ 面白いなと感じたこと
第3章の親密な公共圏を作るの中に
「ひとはわかりあえない」
という文章があります。
人間と人間は
最終的にはわかりあえないものだと
筆者は云っています。
ここが私には面白かった(*^^)v
確かに、
そうだよなと思ってしまう
私がいます。
寮生活を共にしていた仲間と
“今”集まって話すのは、
ただ単にお酒を飲みたいのもありますが(笑)
お互いの人となりを、
いまだに確かめあっているのかも?と。
わかった風で既に数十年経過しているが、
実はわかりあえていないからこそ、
言葉を介してコミュニケーションをとり、
ひとつひとつ自分の中で、
未だに相手を知るという作業をしていく。
昔の印象と今の印象、
大きく変わっている人はいないけど、
どんな考え方をしていたのか、
今、どんな考え方をするのか、
知りたいから会っている。
コミュニケーションの根底には
わかりあえないという想いがあって、
そこからはじまると思うと、
なんか不思議だけど面白いと
納得する私がいました。
どの章も面白いですが、
第3章が私には
非常にしっくりきました。
そして、自分が会いたいと思っている人は、
まだわかりあえていないと思うからこそ
会っているのかなと。
■ こんな方にお薦め
訂正する力は、
現在と過去をつなげる力でもあり、
「じつは・・・・だった。」
という発見ありきの力でもあります。
過去の事象から
自分で新たな意味づけをし、
事象を捉えるのは、
何か発見したみたいで、
結構面白いです。
自分で発見したことで、
なんだかんだ
自己肯定感もあがります。
私の場合、本を読むときは、
自分が生きやすい様にとか、
自分が楽しく生きられるヒントや考え方を
見つけようと思って読んでいます。
訂正する力は、
「じつは・・・・だった」と
既にみんなが持っており、
使っている力です。
それを、意識し使っていくことで、
自分や周囲を再発見できます。
一度きりの人生を
存分に生き切るため、
自分を再発見し続けたい人や
既に周囲にいる知人や仲間を
再発見したい人にお薦めします。
以上