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U2が影響を与えた音楽③アイルランドのU2チルドレンたち


U2が影響を与えた音楽②
80年代にU2が売れ、特に1987年に『The Joshua Tree』で大ブレイクすると、二匹目のU2(The Next U2)を狙って、メジャーレーベルがアイルランドのバンドが青田買いしました。逆にこの時期はU2に似ていないバンドがレコード会社と契約してもらえないという弊害もあったようですね――が、結局、神がかりの才能を有していたシネイド・オコナー以外は売れませんでした。その理由は①アメリカではグランジ、イギリスではマンチェスター・ムーブメント→ブリットポップのブームにストレートなロックをやるアイルランドのバンドが乗り切れなかったこと、②U2やSimple Mindsと比較され続けたこと、そして③ダサかったことです。

U2の波に乗ったアイリッシュロックの潮流(1987)

ボストンーーThe Carsが街の音楽シーンを席巻した時、彼らはボストンにスカウトを寄こした。 ゛ネイティブ・サン”プリンスがホットだと聞くと、彼らはミネアポリスに現れた。R.E.M. が現れた時、彼らはジョージア州アセンズをしらみつぶしに調べた。パンクムーブメントが起きた時、彼らはロンドンに行き、ヘビーメタルが流行ると、オーストラリアに行った。

今そのスカウトたちはどこを見ているのだろう?ーーアイルランドだ。1987年に最も売れたバンド、U2の地元である。「U2が成功を収めたおかげで、多くのレコード会社がアイルランドで何が起きているかを調べています」とEpic RecordsのスポークスマンLisa Markowitzは語る。

U2が大成功を収めた翌年、多くのアイルランドのバンドが契約を結んだ。それにはIn Tua Nua (Virgin Records)、Cry Before Dawn (Epic)、シネイド・オコナー (Chrysalis), Aslan (EMI)、Silent Running (Atlantic) そしてHothouse Flowers (London)が含まれる。

「いい契約を結んで、アメリカでツアーするのに競争があるんだ」とIn Tua NuaのアシスタントCarl Corcoranは語る。「けれどもそこにはコミュニティに絆というのもあるんだ。U2には本当に感謝しばければならない。彼らはとてもよく助けてくれて、多くのミュージシャンのためにダブリンにリハーサル用のスペースを提供してくれたんだ。彼らはとても誠実なバンドだ」

1月にMCA Recordsから待望のセルフエイドのアルバムがリリースされると、アイルランドのロックは別の注目を集めた。これは昨年若年失業者を救済するためにダブリンで開かれたセルフエイドのコンピレーションで、U2、ヴァン・モリソン、エルビス・コステロ、The Pogues、In Tua Nua、 The Boomtown Rats (解散前最後のステージだった)、クリス・デ・バーなどが収録されている。

このアイリッシュロックのルネサンスは世紀の変わり目にジェイムズ・ジョイス、ショーン・オケーシー、ジョン・ミリントン・シングが国際的注目を集めたダブリンの文学復興と比較されている。

このアイルランドのバンドの新しい波は1つの音楽の糸に結びつけられるものではない。普通、音楽はその範囲において普遍的なものだ。制限的にエスニックなのではなく、アメリカ、イングランド、そしてアフリカの影響まであるのである。たとえば In Tua NuaとCry Before Dawnは、アイルランドのフォークミュージシャンに愛用されている二つの楽器、イリアン・パイプスとティン・ホイッスルを使っている。但しより現代的な方法で。

「伝統主義者たちが私たちのイリアン・パイプスの使い方を見たら、お墓から出てくるでしょうね」と In Tua Nuaのシンガー Leslie Dowdallはインタビューで答えている。彼女のバンドはU2が設立した Mother Recordsから1stシングルをリリースし、先週、イーストンの1882 Irish Embassyで大観衆を前にして、ボストン・デビューを飾った。「私たちのパイプ演奏者Brian O`Briaianは自分のパイプを電気仕掛けにしたの」と彼女は肘に抱えるタイプの吐気式楽器に言及した。「彼はそれからエコーとノイズを出すの。私たちは彼をパイプのジミ・ヘンドリクスと呼んでいるのよ」

In Tua Nuaは、大雑把に訳せば「新しい世界で」という意味であるが、過去、U2の音楽に貢献している。 バンドの元パイプ演奏者Vinny Kilduffは、U2の『October』に参加し、一時的に在籍していたStephen WickhamはU2の『War』に参加している。

他のアイルランドのバンド、Cry Before Dawnの音楽性は正反対だ。彼らのニューアルバム『Crimes of Conscience』は、イリアン・パイプスとティン・ホイッスルをフィーチャーしているが、より繊細で、彫刻のようなスタイルだ。彼らの音楽はオーストラリアのMen at Workを思い出させるが、優れた音楽センスを持っている。

Cry Before Dawnは既にアイルランドでトップ10ヒットを2曲持っている。 そのうちの一曲は「The Seed That`s Been Sown」で、不景気のためにアイルランドの若者の1000人に10人が毎年国を離れていくことに抗議する曲である。

別のアイルランドの新しいバンドである Silent Runningは、ベルファスト出身だが、彼らの音楽はアメリカのパワーロックのようだ。彼らのニューアルバム『Walk on Fire』はスケールが大きく、ファンファーレのイントロとギターソロを多用することによって、アリーナに馴染みやすいサウンドを鳴らしている。シンガーのPeter Gambleも明らかにボノが好む突然泣き叫ぶような歌い方を踏襲している。全体的によくまとまったアルバムだが、部分的に弱点がある。アルバムを締めくくっているのは、控えめにベルファストに言及した埋め草のような反戦歌である。

これまでのところアイリッシュロックの波のベストアルバムは、シネイド・オコナーの『The Lion and the Cobra』だ。スキンヘッドのポストロックの感性を持った二十歳の謎めいた女性であるシネイドは、驚くべき歌声の持ち主である。彼女は初期Roxy Musicのエレクトロニクスの要素と実験的なサイケデリックロックと身震いするほどパワフルなオーケストラを融合させている。素晴らしいレベルの高い音楽性で、意味深でシュールな歌詞と反戦メッセージによくフィットしている。

誰がシネイドを発見したのか? そう、U2だ。彼らはロンドンで彼女に会って、レコード会社と契約できるよう便宜を図ったのだ。近年、U2に比肩しうるほど成功したバンドはほとんどいないーーそしてその名声を有効に活用するバンドもだ。
(1987年12月6日ボストングローブ)

Aslan

ダブリンのバンド。第2のU2の最右翼でしたが、1988年に1stアルバムリリース後、一旦、解散してしまい、その後、再結成しましたが、現在までアイルランド・ローカル人気(が、絶大です)に留まっています。2013年にU2が彼らの「This Is」をカバーして少し知名度が上がりました。
2023年、ボーカルのクリスティ・ディグナンが死去。

Silent Running

ベルファストのバンド。たしかな実力はあったものの、常にU2とSimple Mindsと比較されて二番煎じの謗り受け、結局、商業的成功を収められないまま解散しました。

Zerra One

ウェクスフォードのバンド。U2やThe Cureの前座を務め(ここに1stアルバムのインナーにU2の名前があるとあります)、1983年のシングル「The Banner of Love」がUKインディーズチャート33位を記録し、1984年にリリースしたセルフタイトルの1stアルバムのプロデューサーはトッド・ラングレンという気合の入りようでしたが、ここも常にU2とSimple Mindsと比較され、結局、鳴かず飛ばずでした。

Joy Divisionのような陰鬱なメロディーをもった「Mountains & Water」、U2のような広がりをもったギターやシンセの音色が聴かれる「Tumbling Down」……こういったバンドを評する際によく使われる表現である「青くさい」音が繰り広げられています。どうしてもPaul Bell氏の粘着感あふれる歌い方は前述したU2のBono氏のスタイルを思い出してしまい、そこが好き嫌いの分かれ目ではないと思います。

不条理音盤委員会 668 Zerra One 「Zerra One」

Cactus World News

ダブリンのバンド。ボノのプロデュースでマザーレコードからデビューし、1986年の1st『Urban Beaches』はがUK56位を記録し幸先のいいスタートを切りましたが、ここも脱U2を果たせず、90年代を目前に解散しました。

A House

ダブリンのバンド。1991年の1stアルバム『I Am the Greatest』は、2008年のアイリッシュ・タイムズが選ぶオールタイムベストアルバムで、1位のMy Bloody Valentineの『Loveless』、2位のU2の『Achtung Baby』(2枚とも1991年の作品)に次いで、3位に選ばれました。その後、バンドはU2とは似ても似つかぬコミカル路線に走り、1997年に解散しました。

Cry Before Down

ウェクスフォードのバンド。素晴らしい歌唱力を誇るブレンダン・ウェイド率いるAslnaと並んで第2のU2の最右翼と目されており、レコード会社から猛プッシュされ、Big Countryの前座を務めたりしていましたが、結局、アイルランドローカル人気を抜け出せず、アルバムを2枚リリースして解散しました。

Power Of Dreams

ダブリンのバンド。クレイグ&キース・ウォーカー兄弟を中心とする4人組。渋谷陽一さんの好みだったらしく、当時、日本では猛プッシュされており、メンバー全員、10代だったというのも話題になっていました(The Strypesみたいですね)。が、結局、商業的成功を収められず、1995年に解散。

An Emotional Fish

ダブリンのバンド。マザーレコードからデビュー。1989年1stシングル「Celebrate」がIREチャートでトップ10入り、UKチャート46位、USモダンタンートでトップ5入りという最先のいいスタートを切る。ちなみにこの曲は後にボノから歌詞の提供を受けたことがあるイタリアのシンガーソングライター、ヴァスコ・ロッシにカバーされました。その後、アトランティックレコードに移籍してアルバムを3枚リリースし、1993年のシングル「Rain」は1993年にIREチャート11位、UKチャート16位を記録。U2のZoo-TVツアーでは前座を務めました。が、その後90年代半ばに解散した模様。Youtubeのコメント欄を見ると惜しむ声が多いですね。なおヴォーカルの人はJerry Fish & The Mudbug Clubというバンドを結成し、アイルランドで人気を博しているようです。

Ghost of an American Airman

ベルファストのバンド。ピクリとも売れませんでした。バンドの説明文にbeing viewd as the next U2とあります。

というわけでU2チルドレンの成功は90年代のThe Cranberriesの成功を待たなければなりません。

U2が影響を与えた音楽④

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