U2が影響を与えた音楽④The Joshua Treeの影響 世界編
U2が影響を与えた音楽③→
累計2500万枚以上売ったといわれるモンスターアルバム『The Joshua Tree』が、が当時のミュージックシーンに影響を与えなかったわけがありません。亀田大学の学長・亀田誠治氏は、その衝撃をこう述べています。
またU2のメンバーの幼馴染で音楽評論家のニール・マコーミックは「以来、競走馬に乗るジョッキーのように、バンドがこのようなビッグアルバムをリリースするのが慣例になった。解散するまでの間に、その手のアルバムを何枚かリリースし、後のキャリアはおまけとなるのである。多くのアメリカのスタジアム級のバンドが、3年に1枚アルバムをリリースするだけになった。他のミリオンセラーバンドの様子を注意深く観察するために、レコードを何年も寝かせておくようになったのである」と述べており、亀田氏も「後のモンスターバンドの基準を作ったアルバムだと思います」と述べています。
以下、『The Joshua Tree』の影響を見てみましょう…...が、
90年代、世界には明白なU2フォロワーは現れなかった。
のっけから恐縮ですが、90年代、アメリカではグランジ・ブーム、UKではブリットポップ・ブームが巻き起こり、どちらかというと「ひねた」音楽が受けていたので、ノエル・ギャラガー、トム・ヨーク、ビリー・コーガン、エディ・ヴェーダー、トム・モレロらがU2に対するリスペクトを表明したものの、U2ぽい音楽を作ることはありませんでした。唯一Radioheadだけがその音楽性においてU2と比較されることがありましたが、『Kid A』以降、U2とは似ても似つかぬ方向へ向かったので、そんな話も、いつの間にか立ち消えとなりました。直近に流行った音楽を採り入れると、パクリもしくはフォロワー扱いされて損しますしね。だから90年代のメジャーシーンには明白なU2フォロワーはいなかったといっても過言ではないでしょうーーが、そんな中でも、人知れずU2ぽい音楽をやっていたたバンドがいたのです。
BoDeans
ウィスコンシン州出身で、80年代半ばから活動している、ブルース・スプリングスティーンとかトム・ペティとかの、アメリカ白人労働階級+インテリリベラルご用達のハートランドロックに分類されるバンドです。ヨシュアツアーの前座を務め、ロビー・ロバートソンの1stアルバムにもバックコーラスで参加したことにより、ほどよくU2に感化され、固定ファンはいるものの、ヒットとは無縁な中堅バンドゆえの気楽さから、フォロワー呼ばわりされるのを恐れず、臆面もなくU2ぽい音楽をやっています。それにしてもこの曲、ブルース・スプリングスティーンの「Badlands」そっくりなんですね。割と気楽にパ●る性質なのかもしれません。
The Mission UK
元Dead Or Alive、The Sisters of Mercyのウェイン・ハッセイが率い、80年代半ばから2008年まで活動していたゴシックロックバンド。アルバムもシングルもUKチャートのトップ10に放り込んだことのある、ゴスバンドとしては最大級の成功を収めたバンドです。がしかし、ここもヨシュアツアーで前座を務めたことにより、前座の呪縛に嵌ってしまったようで、1990年のアルバム『Carved In Sand』に収録されているこの曲はまんま「With Or Without You」(笑)。さらにこのバンドは1998年に発表されたU2トリビュートアルバム『We will Follow』で「All I Want Is You」をカバーしていますから、もはや確信犯でしょう。実際、裏U2ともいわれているようです。
またウェイン・ハッセイはU2もカバーしたパティ・スミスの「Danicing Barefoot」をカバーし、バンド解散後、2008年にリリースした1stソロアルバムでは「With Or Without You」をカバーしています。しかもお気に入りのアルバムにU2周辺だけを探って肝心のU2を外す周到さ!
そしてこの外見です。区別つきますか? ここまでくると、もはやフォロワーではなく、後で紹介するKaneと同じくストーカーですね。
The Cranberries
80年代後半~90年代前半にかけてU2チルドレンたちが相次いで討ち死にしていく中、ここだけはメガヒットを連発し、ビッグバンドとなりました。彼らがどこまでU2を意識していたのかが知りませんが、同じアイルランド人なら、アイリッシュロックとくくられて、パクリ呼ばわりされる心配もないということでしょうか。が、90年代に他に成功したケルト風味のあるバンドはThe Corrsだけ、シネイド・オコナーと合わせていずれも女性であり、やはりU2と直接比較される男性にはU2は越えられない壁としてそびえ立っていたのかもしれません。
ダニエル・ラノワ
1987年のロビー・ロバートソンのセルフタイトルの1stアルバムに収録されている曲。ラノワは『The Joshua Tree』と並行して、このアルバムのプロデュースも手がけていたので、必然的によく似ています。U2が参加した曲も2曲収録されています。
ラノワは1989年にThe Neville Brothersの『Yellow Moon』とボブ・ディランの『Oh Mercy』をプロデュースし、1stソロ『Acadie』を発表して、これを三部作としています。この曲はその『Oh Mercy』のアウトテイク。ラノワはアルバムの収録を強硬に主張したのですが、ディランが頑なに拒否したという、いわくつきの一曲です。U2ぽいです。
1993年に発表されたラノワの2nd『For the Beauty of Wynona』に収録されいるこの曲も『The Joshua Tree』の成果を生かした感じです。
ベテランがU2化して復活
そしてベテランがU2化して復活という現象もありました。ベテランクラスになれば、現在基準(パクリ)で評されず、「現代風のサウンドに接近した」と評価されるから、U2ぽいサウンドを採り入れたということでしょうか。
パティ・スミス
1988年の9年ぶりのアルバム『Dream Of Life』に収録。プロデューサーは『U2/魂の叫び』ジミー・アイオヴォンです。アルバムの1曲目のこの曲だけU2ぽい。イノセンス・アンド・エクスペリエンス・ツアーではU2はパティと共演してカバーしていました。
ニール・ヤング
ニール・ヤング復活作といわれる1990年の『Freedom』収録。面白いことに、この曲は冒頭にアコギヴァージョン、最後にバンドバージョンが収録されていて、アルバム全体はアコギ風ということです。恐らく恐らくニール自身は、アコギヴァージョンを本来の姿と考えていたのですが、セールスを重視したレコード会社にU2ぽくすることを求められた挙句、苦肉の策としてシングルカットした曲をU2ぽくアレンジしたと思われます。ニールの長いキャリアを見ても、こういう曲は他に見当たらないです。ちなみに2006年、U2はPearl JamとUjam名義でこの曲をライヴでカバーしています。
イギー・ポップ
1993年の『American Caesar』収録。当初は収録予定はなかったものの、レコード会社からシングル用の曲を要請されて、嫌々作ったらしいです。
Pink Floyd
1994年の『The Division Bell』収録。作曲したのはデイブ・ギルモアではなく、ボブ・エズリンというPink Floydの『The Wall』『A Momentary Lapse of Reason』、アリス・クーパーのほとんどの作品を手がけているカナダ人プロデューサー。あまりにもU2に似ているためファンからブーイングを浴びました。