「ラストシーン」を集めてみたら
世の中には同じタイトルのコンテンツがいくつもあります。同じタイトルなのに、似ているものもあれば全く違うものもあり、それでも同じタイトルならばなにか一貫した共通点があるのでは?という疑問のもと、調べていきたいなと思いました。
今回集めるタイトルは「ラストシーン」です。
ラストシーンとは?
last sceneー和訳すると「最後の場面」。
これをタイトルに冠したものを集めてみましょう。
歌
矢沢永吉「ラスト・シーン」(1991)
SMAP「ラストシーン」(2000)
アジアンカンフージェネレーション「ラストシーン」(2004)
スキマスイッチ「ラストシーン」(2012)
いきものがかり「ラストシーン」(2016) など…J-rylicで調べると30曲ほどヒットしました。「LAST SCENE」の表記のものもあります。予想以上にいっぱいありました。
ドラマ、映画
西島秀俊主演、中田秀夫監督「ラストシーン」(2002?)
以外には見つかりませんでした。
本
漫画や小説に関しては、検索しても「○○という本のラストシーンが衝撃!」みたいなものしか出てこなくて、おそらく題に『ラストシーン』と冠しているものはないようです。
歌詞を比較してみる
そもそもこのnoteを思いついたのは、私の好きなSMAPとアジカンに同じタイトルの歌が多いなと気付いたことからでした。タイトルは同じなのに、曲調も歌詞の内容も全然違うように私は感じていました。この、同じ言葉から連想される歌が全く違うものになる現象を、どうにか解明してみたいと思います。
私の知っている「ラストシーン」は、SMAPとアジカンの2曲だけなんですが、上にせっかく調べたのでスキマスイッチの歌詞も引用してみましょう。
歌詞はJ-rylicさんからお借りしました。
SMAP「ラストシーン」
アジアンカンフージェネレーション「ラストシーン」
スキマスイッチ「ラストシーン」
概要と、3つの歌詞が想定しているラストシーン
まずはSMAPの「ラストシーン」。
付き合っていた女性と別れる最後の日を思い返して描いた歌だと想像します。1番のサビは以下の通り。
今日までは 大キライなままでいたかった
君のこと全部忘れるため
大キライなままでいたかった
悲しみが波音に溶けてくまで
今頃になって痛みだす胸が
モノクロームのラストシーンを
映している
別れ際のあの日が彼女を見たラストシーンなわけですが、その日まで君のことを「大キライなままでいたかった」のに、今になってもその別れ際のラストシーンが忘れられないことを、悲しみながらも責めているような歌です。
彼が見たラストシーンは、
季節外れの波に揺れてる 眩しすぎた夏の記憶
しぶきの中へ駆けだす君の ハシャぐ背中眺めてた
という「眩し」い彼女の後ろ姿でした。
次にアジカンの「ラストシーン」はどんなシーンでしょうか。
この歌詞には、「ラストシーン」という言葉は出てきませんが、
青い綺麗な空から
梅雨掻き消して最後が訪れた
という最後に言及した歌詞が出てきます。全体的に抽象的で、場面が掴みづらいですが、サビの
そっと目を伏せて
逃げ込んだはずのワンダーランド
遠くで遮断機の途切れる音
鳴る「サヨナラ」
という歌詞から、今いる世界から他の世界(「ワンダーランド」と思っていたもの)へと抜け出そうとした時の、今いる世界の最後の風景のことを描写しているのでしょうか。そして今いる世界に別れを告げるその最後の風景が、「青い綺麗な空」「溶けるほど澄んだ空(一番最後の歌詞)」だったのではないでしょうか。
(原爆のような大きな人災から逃げようとした歌とも取れなくはないかなと思っていますが、深読みしすぎでしょうか)
この曲については少し難しかったので、他の方の解釈を探してみたところ、作詞者本人の日記が見つかりました。
Vo. ゴッチの日記(2004/11/05)
これによると、「本当は『サイレン』のラストシーンとして曲を作ったのだが、あまりに悲しいのでこの曲はサイレンの前にして、新たに書いたサイレンの次の曲が『Re:Re:』。」であったと書かれています。
これを読むと、アルバム「ソルファ」の曲順がストーリーになっていて、「ラストシーン」とは前の曲の「夜の向こう」のラストシーンであると解釈することができます。というか、この曲を解釈するには「ソルファ」全体を見る必要がありそうですね。それはまたの機会としましょう。
知恵袋から見つかった解釈に、「この歌詞の主人公は実際に存在するワンダーランドと呼ばれる場所に逃げたのではなく、彼女とうまくいっていた時のことを思い出すことで現実逃避している」というものがありました。「彼女とうまくいっていた時」というのはちょっと疑問がありますが、「目を伏せて逃げ込んだはずのワンダーランド」というのが過去の回想というのはしっくりきます。
最後にスキマスイッチの描く「ラストシーン」です。
窓の外に月が浮かぶ 深夜の映画と なんだか寝付けない夜
僕の隣 優しい吐息 愛しさが募る 確かなこのぬくもり
で始まり、深夜隣で一緒に映画を見る彼女への気持ちを綴ったラブソング、あるいは父親が子供を想った歌でしょうか。
どんな映画も「終」はある
でも記憶の中で生き続けていく
喜怒哀楽で染まる 僕の生き方すべてが
君の人生の道しるべになれるように
そしていつの日にか 幸せを見つけた時
この想いが 君の心に そっと咲いて欲しい
きっと咲いていて欲しい
映画のラストシーンと自分の終わりを重ねて、映画が記憶に残るように自分のことも記憶に残して欲しいと歌った歌に思えます。この男性は死を覚悟しているのでしょうか。ラストシーンは「僕」が見るものではなく、「君」に見てもらえることを想定しているようです。
共通するキーワード
3つに共通して、「ラストシーン」=「最後の情景」という言葉の通り、最後に見た(あるいは見る)景色について歌っていました。
ですが、一つは別れ際の歌、一つは別の世界へ飛び出そうとする歌、一つは自分の死に際して思いを託そうとする歌と、内容も、描いている時制もバラバラです。この3つの中にどんな共通点があって、同じタイトルを得るに至ったのかを考えると、それは「記憶」だったのではないかと想像します。
どんな映画も「終」はある
でも記憶の中で生き続けていく
とあるように、印象に残る「ラストシーン」というものは記憶に残り続けるものです。スキマスイッチはその「終=最期」を記憶にとどめておいて欲しい、と歌っているように思いますし、SMAPは彼女との最後の記憶が今でも頭から離れないと歌っています。アジカンはワンダーランドのなかで過去のことを回想しているような解釈ができました。
ラストシーンが記憶に残るものだからこそ、嫌な思い出だから記憶に残さまいとしたり、逆に覚えていて欲しいから記憶に残そうとしたり、残ってしまった記憶としてのラストシーンの回想をしたり。
ラストシーンには、そういう効力があるのではないでしょうか。
終わりに
歌詞を解釈しきれていないので、証拠性の低い文章になってしまったかもしれません。歌詞の解釈については今後のnoteで触れていけたら触れます。
またたくさんある「ラストシーン」のなかで3つしか今回は触れられなかったことも残念です。他の曲を見てみれば、新たな共通点が見つかるかもしれませんね。
この記事が参加している募集
役に立った、面白かった、新しいものに出会えたなど、もし私の記事が有益なものになりましたら、サポートをお願いします。