31歳 スペイン産干し柿を作る
友人ホセ・マリアが彼の実家に連れて行ってくれることになった。
私は少しのおむつとミルクの用意を持った。ホセ・マリアが運転し、奥さんのビッキーが助手席、私たち夫婦は後部座席に娘を抱っこして座った。セビリアの町を出ると北に向かって走りだした。
私たちのつたないスペイン語での会話も、彼らはよく理解してくれた。スペイン人は実に勘がいい。人を見る目が鋭いというか、嘘はすぐに見抜かれてしまう。こちらが気を使っていることもすぐに分かってしまうのだ。だから、分からないことはわからないと最初から言った方がいい。
セビリアには日本人は20人ほどしかいなかったが、その中には何をしているのかわからない怪しい人もいた。何人か私たちのアパートに来たことがあるが、明らかに何か怪しげな商売をしようとしていた。そこにたまたま居合わせたスペイン人は、私たちの会話が分からないのに、「危ない人は顔でわかる」といった。また、それがよく当たるのだ。私はさすがに同じ日本人として危ない人とは言わなかったが、その勘の良さに何度も驚かせられた。
車はセビリアを出発して2時間以上走っている。もしかしたら泊まりになるのかもと心配になり、ホセ・マリアに聞いた。
「今日中にセビリアに帰るの?」
「いや、遠いから明日になるよ」といった。
(え?泊まるのか。)
おむつをそんなに持ってきていないことを伝えると、途中で買えばいいといってスーパーに寄った。実家がそんなに遠いとは思わず、さらに泊まるとは思っていなかったので、着の身着のまま出かけたのだった。
おむつさえあれば問題はないがホセ・マリアの実家へのお土産も何も持ってなかったし、さらに泊まるとは何と予想外なことかと思った。行く前に確認すべきだったがもう遅い。
ホセ・マリアの実家では、長身で上品な顔立ちのお母さんが笑顔で迎えてくれた。そして、85歳のおばあさんも同居していた。ホセ・マリアがおばあさんに私たちを紹介した。
「おばあちゃん、日本人の友達だよ」と言うと、
「今まで日本人と会ったことがないから、日本人かどうかわからない」といって、私の顔に高い鼻をくっつけてまじまじと見つめた。そこにいたみんなが大笑いした。
翌日、田舎の風景を見せてくれるといって、車で出かけた。
農場のようなところには大きな太い木が何本もあり、その木は皮をはがされたような跡があり赤かった。それはコルクの木だと教えてくれた。その横には大きなテーブルを二台くっつけたような黒豚が何匹もいて、どんぐりの実をおいしそうに食べていた。これがあのおいしい生ハムのハモン・セラーノになる豚だった。
あれこれと初めて見るものに感動していると、ホセ・マリアが
「日本にはコルクの木はないのか、黒豚はいないのか」と聞いてくる。黒豚はいてもこんなに大きくないし、コルクの木は多分ないと答えると、ホセ・マリアは不思議そうな顔をしていた。私は黒豚の大きさにしばらく言葉が出なかったが、ふと上を見ると、実がびっしりついた柿の木があった。
「どうして柿を食べないの」と聞いたら、
「これは渋柿だから食べられない」といった。
そこで、日本の干し柿の話をしたら、
「それなら実を取るから、作って食べさせてくれ」といった。
枝を少しつけたまま実を取るように伝えると、そこにいたスペイン人6人で梯子をかけて次々と柿を取った。全部で約200個の大きな柿を収穫した。
翌日、車で家に送ってもらうと、夫と柿の皮をむき、ひもの両端に柿を結んだ。外には洗濯物を干すための長いロープがあるので、そこに干した。
1週間ほどたった頃、干していた柿の周りに白い粉がつき、売っている干し柿のようにきれいに出来上がった。日本と違って空気が乾燥しているからこんなに早くできたのだ。後日、ホセ・マリアの家に持っていくと、みんな生まれて初めての干し柿に、「おいしいおいしい」と言って食べてくれた。
数年後遊びに行ったら、「あの干し柿、あれから毎年作っているのよ」とうれしいことを言ってくれた。
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