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2 春の牛空気を食べて被曝した

 句集「むずかしい平凡」第二章「春の牛」より自句自解。

 原発が爆発し、放射性物質が飛散した。人々は避難する。しかし、牛たちは逃げることができない。その牛たちを放置して逃げることができない人たちもいる。放射性物質は、それがどんな生き物であれ、容赦なく汚染する。

 ある牧場経営者が、専門家にこんな質問をしていた。

「牛たちは牛舎の中にいました。そして餌も外国産のものを食べていました。しかし、牛乳からは放射性物質が検出されました。これはどういうことですか。」

 専門家はその質問にまともに答えなかった。

 しかし、そのときそれを聞いていた人はみんな了解したはずである。空気を吸って牛たちは被曝したのだと。また、だとすれば我々も同じように被曝したのだと。さらに、この専門家は何かを隠していると。

 当時、こういう状況下で毎日を過ごしていたから、当然この句もこうした体験から生まれたわけですが、だからといってすぐにできたわけではありませんでした。2か月くらいたって不意にこういう形になって口をついて言葉になった。

 この句は、我が俳句の師、金子兜太の「猪が来て空気を食べる春の峠」から本歌取りしています。口をついて出たとき、それを意識はしていませんでしたが。しかし、師の句をこんな形で使うのは一種の冒涜ではないかと、そんな思いもありました。そのせいか、その日の夜、夢にあらわれた師が、「こんなのは俳句じゃねえんだ」と厳しく叱責するのでした。しかし、それでも自分の中から生まれてきたことは確かなこと。この句を発表するまでにしばらく自分の中で葛藤があったことをよく覚えていますね。そして、震災のあと、俳句がなかなかできなかった自分に、少しずつ俳句の言葉が戻ってきた。

 震災と原発事故から、来年で10年。伝承館などというものもできて、復興の歩みはたしかにみられるけれど、実際にはどうなのだろう。人間そのものは復興したんだろうか。

 この句を見ると、牛たちから問われるような思いになります。

「おい、人間。俺たちのこと忘れたんじゃあるまいな」と。 

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