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真夜中、それは魔法の時間

 飛行機雲に恐怖を感じて、長年、精神科に通っていると話してくれた教授だったが、彼の日々のサイクルは、あまりに奇妙だ。大学に出校予定のない日の一日を辿ってみよう。

 朝食の後に三時間の睡眠、昼食から夕方にかけては若妻や子ども達との時間を愉しみ、夕食を終えると再び三時間の睡眠。研究という名の仕事に取り掛かるのは、夜半を回ってからのことになる。皆が寝静まる深夜、一人で机に向かう教授は、家の奥深くから、なにやらガタゴトと動き始める音を聞いた。その主は電化製品である。 午前1時を皮きりに2Fの食堂で、食洗機が唸り声を上げて動き出した。2時には、3Fのロビーでルンバが楽しげにお掃除を始め、4時にはパン焼き機が生地をコネ始める。5時になると、洗濯機が高速回転をスタートさせた。

 教授の若妻による経済効率を狙っての策略だが(深夜料金を利用した電気代の節約)、私はそこにファンタジーの面持ちを見つけてしまう。ファンタジーと聞いて、教授は冷ややかに笑ったが、科学技術の発達が、ある種のファンタジーを現実化させたことは、事実だろう。しかも、それが夜の時刻ならば、なおのこと。昼間とは異なる不可思議な力が顕現される時間帯の出来事となる。

 イギリスの作家、フィリッパ・ピアスの児童文学『トムは真夜中の庭で』を初めて読んだのは、いつのことだったか。たしか、深層心理学に通じる、優れた児童文学の一冊として紹介されていたことが、きっかけだった。

 遠方で暮らす親戚のアパートにしばらくの期間、預けられることになった主人公のトム。兄弟や友人たちと日暮れまで遊び回りたい少年にとって、そこでの生活は、退屈を絵に描いたような日々だった。体力も想像力も有り余ったまま、眠れぬ夜を迎えることになるトムは、大時計が13時を告げる鐘を耳にする。不思議に思ったトムは、 こっそりと部屋を抜け、階段を下り、裏扉を開けた先で、息を飲むほどに美しい庭が見つけてしまう。

 世界が寝静まる夜更けの出来事だった。昼の間には抑え込まれていた夢の活動が活発になる時刻だ。たとえ、翌朝、目覚めた時には、何一つ記憶の痕跡を残していなかったとしても、夢がその稼動を開始させなかった夜はない。陽が高く昇る時刻に、望むような遊びを禁じられたトムは、夜という抑圧が減じる時間帯にあって、その欲求を解放させるのである。 夜の夢では、昼間には見出せないほどの不可解な様相をも表現される。それがいかに馬鹿げていようと、夢の中では、そのすべてが納得され、受け入れられることだろう。夢は、不可能を軽々と可能に転じさせる。まるで魔法のようだ。

 真夜中の教授の自宅を想像してみたい。ひと気のない暗闇の中で、人知れず動き始める器械たち。昼間の埃は手際よく吸い上げられ、食器はみるみるうちに洗浄される。芳ばしい匂いがあたり一帯に漂う中、朝食に間に合うようにと、出来たてのパンが用意された。 一昔前だったら驚くような光景を、最新型の電化製品が成せるタイム作動だと言ってのけるのは、たやすい。しかしそこで、一歩踏みとどまり、原因を知りながらも、あえて想像力に翼を与えることも、人類の知性の証だ。

 真夜中、夢の躍動する時間。教授の家で生じる無人の出来事を、13時、トムが遊んだあの庭に通じる魔法だと想像してもかまわないではないか。

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