あの頃、確かに私は死にたかった。
ここ数日、グルグルと回る考えがあった。
私は、病気なのか?
4年前に不安障害と診断され、それ以降ずっと精神科への通院を続けている。
今も月に1度の通院は必須だ。
薬も毎日欠かさず飲んでいる。
昨日は定期通院の日だった。
でも、「行く必要あるの?」という思いが溢れてきてしまったのだ。
私の不安は病気なの?
不安があってはいけないの?
不安なんてなくならないじゃない。
不安は、おかしい?
何もおかしくないじゃない。
おかしいと言われることが苦しさを呼ぶのではないの?
結果、私は病院に行けなかった。
そして、この疑問をそのまま恋人に投げかけた。
「私の不安は病気なのかな?」と。
彼はこう言った。
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不安はなくならない。
でも、行き過ぎると「慎重」の度を超えて、何も行動が出来なくなる。
例えば、僕たちは生きてる。
「生」の裏には「死」というリスクが必ずある。
このリスクを怖がってしまったら、何も行動が出来なくなる。
不安というのは、理性だと思う。
その理性があったからこそ、人間はここまで繁栄できたのだとも思う。
だから、不安はなくならないし、持っていなくてはならない。
でも不安が過度になると、苦しく辛くなってしまうでしょう?
不安を過度にしない為に、病院に行くのではないかな?
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これを聞いて、一気に記憶が鮮明に蘇った。
私は、過度な不安によって、引きこもりになった。
私は、過度な不安によって、眠れなくなった。
私は、過度な不安によって、電車に乗れなくなった。
私は、過度な不安によって、食べ物が喉を通らなくなった。
私は、過度な不安によって、人の目を見られなくなった。
私は、過度な不安によって、死にたくなった。
あの頃の自分は、間違いなくいつもの自分ではなかった。
そこには、病気が居た。
最近の私は、きっと少し調子が良くなっていて。
自分は平気なのではないかと、油断をしていた。
私は今まで、こういうタイミングで勝手に通院を辞めたり、断薬したり。
そうしてぶり返す、を繰り返していた。
そうだった。
私は、病気だ。
今はきっと回復期の差し掛かり。
いつぶり返すかもまた悪化するかも分からない。
過信せず。
着実に。
ゆっくり、ゆっくり。
また明日からも歩いて、生きて。
病院にも、行こう。
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