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捨ててしまった色紙、捨てずにいることば

中学時代は思い返せば薄暗いものでした。

当時はさほど気にしていなかったですが、客観的に見ればいじめに近い状態だったかもしれません。

本人が大して意に介さないのが、先生からするとちょっと困惑するぐらいだったかもしれません。

その結果がんばって友だち作りを支援して失敗に終わった、あの先生は可哀想でありました。

大人になると大人側の苦労が分かるのがなんか複雑な気持ち。
あの時は自分なりに真剣だったからね、大人が馬鹿げていると思っていたけど、大人の真剣もちゃんとそこにあったんですよね。

その、三者面談で困らせた担任の先生じゃなくて、部活の顧問の先生、がわたしにとっての「中学の先生」。

吹奏楽部に入ったけど、色々あってやめたわたしは、中1の秋ごろバレーボール部に入部する羽目になりました。

部員が当時7人、うちひとりが生徒会長でほぼ来れない。
バレーボールは6人制です。
「この前風邪でひとり休んで試合にすら出れなかった」と幼馴染み。

「立っててくれればいいから!」と、完全な補欠要員。
帰宅部だと内申点が悪いということで、通知表の成績が悪いわたしは渋々入部しました。

今でこそ同学年の5人、集まって同窓会でもしよう、なんて言える仲ですが、当時の部活は荒んでおりました。

中学生とは面倒なもので、人をハブる、共通の敵を作ることで仲間意識を持とうとする。
バレー部に新参が現れるということは、つまり新たなパシリができるということだったらしい。

どうやらわたしの入部前には、全員が順番にハブられていた、と成人式の時に聞いた。
それはそれですごい。中学生ってすごい。

体育館の鍵を取りに行く(職員室がめちゃくちゃ遠い)、ネットの準備と片付け(面倒くさい)、その他諸々をやらされ、ウォームアップのランニングでは掛け声をすっ飛ばされ(先輩には別の理由でシカトをこかれていました)、まあ散々。

だったのですが、わたしは「ネットこうやって立てるんだ」とか「ひとりでポール持てるのが普通なのか!」とか「わたし声小さいから気付かんかったか…」とか。
全く気付いていません。

体育館の鍵取ってきて、と言われた時も「走るの遅いからわたしは適任じゃないのでは?あ、でも新入部員だもんな、年功序列というやつかなあ」と思って、遅い足で走ってまして。

その日も鍵を取りに行ったら顧問が職員室にいて。
顧問に「体育館の鍵取りに来て……」と言ったら「なんできっちゃん(わたしのあだ名)が取りに来たの?」って真顔で聞かれて「えっ、取ってきてって言われたので」とわたし。

そのまま顧問と一緒に体育館へ。
先生一体質問な意図は何?説明して?

「なんできっちゃんが鍵取りに来たの?」とみんなのいるところで再度確認するけど「取りに行って、って言ったら、分かったっていうから」と、まあだってその通りだし。

顧問はそれを聞いて「まだ仮入部なんだから正式な部員じゃないでしょ、体育館の準備しておくのは部員が率先してやらないと」と。

そうなんだ!と思って、えー別にそんな細かいこと気にしてないのに、と聞いていました。
けど、結果的にコレでいつの間にか、パシリじゃなくなってきたなあと。

すぐ後輩入ってきて、後輩とまた仲が悪くて、それでなあなあになった気もするけど。

元々、顧問は全員に同等に厳しく同等に甘い人でした。
下手でも上手くても、やる気あってもなくても、同じように怒って、同じようにふざける先生。

スパイク練習で、禿頭のテッペンに向かってボール落とせ!って言ってくる先生。

わたしはアタッカーではないし、後輩が入って部員が倍に増えてもずっと補欠の運動音痴だったけれど、それでも「高く飛べ!」と書いてくれた先生。

あの頃の鈍いわたしには全然分からなかったけれど、先生はずっと優しくてチャーミングで。
だから、自分がいま一番に思い出す「中学の先生」は、担任じゃなくて、顧問の体育のおじいちゃん先生。

引っ越す時に、なんの心もこもっていない後輩たちの寄せ書きを見て、色紙は捨ててしまった。
補欠の根暗な先輩に書くことなんか思いつかないよね。

でも、色紙の裏の「高く飛べ!」は大事にしたくて、裏だけ写真に撮った。

成人するまでは年賀状書いていたんだけど、今はどうしているだろう。

元気でいてくれるといいな、と思う。

志邑でした。

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