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何かが違うらしい…?
自分が、世の中で言えば、ちょっとみんなと違うんだ、と気付いたのは小学生の時。
正確に言えば、気付かされた、かな。
当時は、2年に1度のクラス替えだったので、家庭訪問も2年に1度。その学年での、家庭訪問はないはずなのに、先生が家にやってきた。
今でも覚えているのは、先生がくるからと玄関の掃除をしたこと。
玄関の隣の部屋に腹這いになり(寄りかかると音がミシッとするかもしれないと思った)ドアに耳を、べったりとくっつけて聞こうとしていたこと。
私が住んでた家は、今考えると驚くほど玄関が広かった。平家で、ぼっとんトイレ、豪邸でもないのに玄関は異常に広かった。
母は掃除が苦手で、家は綺麗とは言えなかった。だからなのか、先生が来ても部屋には入れずに、その広い玄関で話をしていた。
私は気になって気になって、ものすごく気になって、でも聞いている事を先生には、ばれたくなくて、腹這いになって聞き耳を立てていた。
先生が言いにくそうに話を始めた。世間話を最初は少ししていたと思う。少し時間をおき、先生は私が、『自分は日本人ではない』と学校で友達に話したみたいだ、という事を言い出した。
私はビックリした。
『私そんな事言ったっけ?』
「お友達に自分は日本人じゃなくて韓国人だと言っていたようで…」というような事を言いだした。
母親が何と答えたのか覚えていないが、私は子どもながらに動揺していた。
言ったかどうかも覚えていない。覚えていないくらい、子どもの私にとってはTVの話をする感覚と同じくらいの軽い話しのはずだった。
なのに、それを先生が確認に来たのだ。
私が驚いたのは、その後の話しだった。
『話を聞いたお友達の親御さんからご連絡がありまして…』
【親が先生に連絡をするくらい大変な事なんだ!!】
ショックだった。
悲しかった。
自分が日本人でない事は、私の中では当たり前の事だったし、血液型がA型だよ。っと言うくらい、問題なんかない事だと思っていた。
この事は、私の思春期やその後の考え方に大きく影響した出来事だったと思う。
【何がみんなと違うのか…】
【何が問題なのか…】
子どもながらに考えて、それから私は言わなくなった。
当時は、日韓交流正常化がされていたとはいえ、まだ韓流ブームも来ていない昭和だった。
今のようなKPOPのアイドル情報もないし、韓国のドラマも流行っていなかった。
その後、おばさま達が熱狂したヨン様も上陸していなかった。
もし、韓国ブームが来たあとの今なら、こんな事はなかっただろうし、私の人生の選択も大きく変わっていただろうな。と思う。
結婚する時も、今の義母から、韓国人とは結婚させられないと言われた。子どもは産まれれば、村八分になる。と言われた。
この『村八分』の表現は20年前でも、もちろんかなり古い表現で、私はちょっと笑いが出そうになったくらいだった。
夫と出会った時は、多分少し韓国ドラマが深夜あたりに放送されていたと思う。不確かだが、祖母と母親が観ていた気がする。
冬ソナはまだ上陸はしていなかった。
大人と言われる歳を過ぎた頃から、私はもう国籍を隠したりしていなかった。
当時、住んでいた所は、在日韓国人が多く独特の雰囲気をもつ場所で、それを知っている人は、私の顔の雰囲気や住んでいる場所で気付いていたと思う
高校生の時に某コンビニでアルバイトをしていた。当時、ウーロン茶のCMで中国人らしき女の子と男の子が、自転車で2人乗りをしているCMが流れていた。アルバイト中に一緒に入っていた男の子から、『あのCMの子に似ているよね。顔、中国人ぽいよね』言われた。
顔は薄いが、あんなに可愛くはないので、顔の雰囲気の事を言っていたんだと思う。
思春期の私にとって、日本人じゃないことがそのころはコンプレックスになっていた。
国籍の事など、誰にも言わなければ分からないと思ってたので、自宅の場所など、気付かれそうな事は言わなかった。
それでも、顔を見て『日本人ぽくない』と言われた時、私は自分の顔はやはり韓国人なんだ、隠そうと思っても隠せないんだ。と思った。
その後、高校でも似た事があった。
その出来事で、私は自分が韓国人であることを少しずつ受け入れていけるようになった。
高校での出来事については、自分の記憶が鮮明なうちにここに綴っておこうと思う。
未来の子ども達のために、日韓関係が少しでも良くなりますように
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