誤学習から学び直しへ
誤学習のからくり
のつづきです。
小学一年生だった、発達障害児(ASD ADHD)の息子は、集団登校の歩くスピードに着いていけず、軽いパニックを起こしました。それを、スピードを緩めるための手段として誤学習してしまいます。歩くスピードに着いていけ無くなると、かんしゃくやパニックを起こし、班の仲間たちへ迷惑をかけてしまうことになってしましました。
集団登校から一度離れて、学び直しをする必要が出てきました。学校と、登校班に許可を取り、息子との話し合いをしました。
その時の事をメモに残していました。メモに書かれていることは、その当時は発達障害であることを知らなかった為、全く気がつきませんでしたが、今振り替えってみると、とても発達障害の特性が強く現れていることがわかります。
一学期はまだ許されていたことが、次第に求められる事が増えていき、みんなでペースを合わせて歩いて行かなくてはならない、それも毎日。そんな集団登校がとても苦しかったのだろうと推測できます。
パニックのことのほかに、興奮してしまうこと、体が勝手に動いてしまうこと、動いていることは分かっているけれど、止まれないこと。などもメモに残っています。
みんなと同じペースと言うのもが、息子には分からない事の第一位だったと思います。
急に早くなったり遅くなったりすることなく、同じようなリズムで15分ほどの道のりを歩いて行かなくてはならない事は、発達障害児の息子にはハードルが高すぎたのだと思われました。
そこで、登校時は私と二人で、ペースを保ちながら歩く練習をすることにしました。
登校班に混ざって私も着いていくと言うことも提案しましたが、それは嫌がられました。そして、登校班がひしめく時間帯も避けたいと言っていました。
息子が困っていることの、第二位は、学校へ到着してから時間が足らなくて準備ができない。事でした。
その当時の登校班の集合時刻は、準備の遅い息子にとっては、かなりギリギリに設定されていて(班の子どもたちが皆で話し合って決める)気持ちばかりが焦ってしまい、パニックのスイッチを押したくなってしまう動機にもなっていました。
『ぼくだってがんばっているのに、まわりの人は分かってくれない』
そう記録されています。
この当時の息子にとって、必要な『刺激』は、認められる事でした。
それから毎日、学び直しの為の登校がはじまりました。
皆が登校するよりも早く、まだ誰も歩いていない通学路を一定の早さで私が歩きます。そして、その横を息子がぴったりとリズムを合わせて歩くと言う練習の毎日でした。
歩きながら、『そうそう、その調子』『いいよ。それで大丈夫』『もう少しペースを上げて』そんな風に隣で歩く息子に声をかけながら、15分ほどの道のりをともに歩きました。
三週間ほどたったころでしょうか。息子は無事に登校班へもどり集団登校ができるようになりました。
ちょうどその頃、NHKの100分で名著という番組で、岸見一郎先生が指南役となり、アドラー心理学について教えて下さる放送と出会いました。
直感的に『これだ!』と思いました。ここに息子たちを育てるヒントが詰まっている。そう感じたのを覚えています。
そこから、アドラー心理学について書かれた本を何冊も読むことになります。もちろん岸見一郎先生の嫌われる勇気、幸せになる勇気も読みました。
岸見一郎先生の教えて下さる、アドラー心理学の中でも特に印象的だった事は
ダメ出しではなく『よい出し』をすること
『勇気付け』をすること
この二つの要素は、その後の私の子育てを支える力となりました。ずっとダメ出しを繰り返されて、精神状態がボロボロになっていた息子を助け、そしてもう一度立ち上がるための力を養うためには、これを続けていこう。そうしていた時に、いよいよ発達障害の診断が下ったのです。
診断のあったころの様子はこちら⬇
アドラー心理学を知った後に、行動分析学に出会いました。この二つの考え方によって、発達障害児の育児にも、定型の育児でも全く変わらない方法で向き合い、楽しい育児という毎日を過ごせるようになりました。これからもこの教えを確認しながら、やっていきたいと思います。
次回は、学校での友達関係が上手く行かず、毎日毎日、帰宅後に泣いたり暴れたり、愚痴ったりしていた息子へはどうやって関わっていたのかというお話。
~To be continued~
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